第八話 「氷の城」
1
そこからまたしばらく歩いて。そこまでは小川にポツポツとかかる石の上を橋のように、時には魔女様の手を借りながら歩き、なんてことはない道を越えて来た。
ここに書くような事は何も。
そして、今は氷河によって形成された洞穴のような場所で私は、紅茶を入れているのだった。
なんだかこれだけ一つの場所に留まってのんびり出来るのは久しぶり。雪原での生活にも慣れてきたというか。今までは何だかんだ、一時的にここで過ごしてというかここまでゆっくりは過ごして来ていない。
(何だ。何もないは何もないでこうしてゆっくり過ごせる。良い事もやっぱりあるじゃないか)
紅茶は魔女様が炎の街にて漁って来たという。一体、いつ漁っていたのだろう。おそらく、思い当たるとすれば私が倒れている時だろう。洞穴内部は薄暗く氷やつらら、それらが一つ一つ大きく鍾乳洞のように連なっている。この洞穴はきっと自然の賜物。この地に広がる氷河のズレによって生まれたもの。そして、長い年月をかけて形成されたであろうそれは私の手が触れた途端、手から伝わる熱によってゆっくりと解け、炎の魔女のローブに当てるともっと早く、みるみる溶けていく。その光景はまるで一瞬の夢のように儚く見えて。
「リリー、何しているの?」
「いえ、何も。ただ奇麗だな、と」
「そう。確かに奇麗だね」
薄暗い洞穴。そこから見える外は月明りで明るい。
今は夜なのだろうか?
定かではない。けれど、私の睡魔が顔を出してきた頃だからきっと夜。私は勝手にそう思う事にしている。だってないのだから、自分で定めるしかないだろう。辺りは静けさの後、風が吹きやがてまた雪が降る。今夜はきっと冷える。
いつか雪の結晶が見たいなんて街にいた時、思っていた。それがこんな形で叶うとは。なんだ、この世界も意外と悪くない。
人って不思議だ。どんな環境でも与えられればそれに適応しようとする。今の私のように。それに慣れてしまえばなんてことはない。今まで、散々、怖がっていたのに勇気を出して踏み出してみれば意外と「なんだこういうものか」と拍子抜けする事も多々。そう言う事がきっと世界にはありふれている。それが今は分かる。そして、それらを乗り越える度にきっと成長出来るのだろう。だから、そう、私も勇気を出すべきなのだろう。そこにどんな結末が待ち受けていようとも。
それは確かに知っている。
でも、今はまだ勇気が、一歩が踏み出せなくて。
こんな私はきっと一度、口汚く罵られた方が良い。そう思ってもそうしてくれる人がいない事も、また。
「リリーはいつも何を考えているの?」
ふいに聞かれた。おっと、思わず、紅茶を入れる手が止まってしまっていた。それは常に何を思っているのかという意味だろうか。
「いえ、何も。大したことは何も考えていませんよ」
そう返事をして紅茶の入ったカップを渡す。今もこうして気軽に会話が出来るのも過ごしてきた時のおかげ。この世界で私が積み重ねてきた形。かけがえのない宝物。
いつか、この旅にも終わりがあるのだろうか。
それを考えると寂しくなる。それくらいには私の中で無視できない大きなものとなっている事に大層驚く。
でも、いつか終わりがきてしまうのだろう。それは抗えない事実。始まりがあれば必ず終わりがある。人の命にも限りがあるように、終わりがないものなんてきっとこの世の中にはない。
ならば、私は今を大切にするしかない。こうしたのんびりとした今をただ刻み込むしかない。
それが抗うに一番等しい行為だから。
魔女様は「フー」「フー」と息を吹きかけるとカップに口をつける。念入りに息を吹きかけている姿を見るに存外、猫舌なのかもしれない。その姿を見て、愛しいと感じてしまうのはなぜだろう。私の胸の内に広がるこの気持ちは何だろう。
分からない。けれど、貴方の一挙手一投足から目が離せない。魅了されている。
「おいしい」
今度は魔女様が暖かそうな白い吐息を吐いた。
「そうですか。良かったです」
けれど、私は貴方の中の路傍の石。切って捨てるに値する。夢見る少女。ならば、この気持ちに蓋をして隠した方が賢明。だって、貴方は魔女で特別な存在だから。
私の気持ちはあくまで憧れ。いや、私程度が抱いて良いのはそれだけ。それ以上はきっと、いけない。だから、私が我慢すれば良い。そうすれば何てことはなくいつも通り。そう、貴方と横並びになれるのは私ではない。だって対等ではない。分部相応だ。
でも、この心に宿る寂しさは何だろう。この胸の痛みは何だろう。
ねぇ、魔女様、教えてください。この痛みの理由を。
そう思って、きっと手を伸ばしても届かない。ならば最初から伸ばさない方が良い。眺めている方が良い。今までだってそうして来たじゃないか。夢を見ては叶わず散々、諦めて来たじゃないか。今更何だ。甘えているのか。期待しているのか。そうした結末の末に何が待っているのか知らないのか。ただ傷つくだけだ。諦める事には幸い、慣れている。だから、
諦めようと。知らないふりをしようと何度も。
試みているが、魔女様の顔を見るとその決意が揺れて。
「魔女様。昼間は楽しかったですね」
本当に聞きたい事は聞かず先延ばしにして。関係が崩れないようにして。
こんな自分は嫌いだ。つくづく吐き気がする。張り付けた笑顔で取り繕って。それに対して、魔女様は微笑みを返して。それを見ては飛び跳ねそうなくらい喜んでしまう自分は。
もっと、嫌いだ。
誰かを好きになるのがこんなに苦しいなんて思わなかった。こんなにも胸が締め付けられるなんて。手と足の先が冷たい。これは寒さによるもの? それとも貴方を思う心からのもの?
どちらからでしょうか。この氷が解ける日は来るでしょうか。
洞穴の入口には雪だるまやかまくらなんかが見える。これは私達が昼間に二人で作ったもの。
なんだか二人共、突然、憑りつかれたかのように雪遊びを始めては今まで、とてもはしゃいでしまったように思う。
そもそも私は雪というのを見るのが初めてだったし、魔女様も魔女様で元の世界ではこれだけ雪が降る場所ではなかったという。これだけ雪の大玉を作れないのはもちろん、足がすっぽりと沈む程も降っていなかったらしい。だからか、二人してゆっくり過ごせるとあればすぐに外に飛び出して日がな一日、遊びつくしてしまった
それに、体も冷えた。
「つい遊んでしまいました」
「うん。でも、楽しかった」
完成したかまくらの中で二人手を繋いで、暖をとった。
かまくらとは不思議な物で外に現在、吹雪いている雪で作るというのに温かいのはどうしてだろう。実際は寒いのだろうが外に比べると温かいといったところだろうし、その二面の落差による部分で相対的に温かく感じるだけかもしれない。けれど、自然界で雨風を凌げるのだからかなりの発明だろう。
かまくら内部は狭く、狭いが一応、二人が寝転がれるぐらいのスペースは確保した。魔女様と私がこだわったのだ。地面もまた、灰で満たされている。炎の魔女のローブと合わせれば、そこで一晩眠ったとしても凍えるという事はないだろう。
でも、これもいつか消えてしまう。
ああ、一生、夢だけ見てれば良いのにな。夢だけ見てればこんなに苦しむ事も無いのに。
でも、夢の中の貴方はきっと本当の貴方じゃない。私が生み出した都合の良い虚像だ。真っ白な貴方を汚すにも等しい行為のようにも感じられる。
「元の世界ではあんなにはしゃぐことはなかった」
魔女様もそれを見て、言った。どこか遠い目だった。その心は何を馳せているだろう。
元の世界。
その言葉が私の心に深く、深く沈み込む。鋭利な刃物のように私の胸を刺す。
その言葉を聞くと更に苦しくなる。耳を塞ぎたくなる。不思議だ。この気持ちを自覚するまでそんな事なかったのに。
貴方が私に向ける笑顔も、言葉も全て私だけのものじゃない。私の傍を離れていくような気がする。それは分かっていた。でも、分かろうとはしなかった。ずっと抑えていたのに溢れてしまう。私の心に闇が走る。きっと、元の世界には私の知らない貴方が居る。繋がりもあるかもしれない。そして、私はそれを知らない。この先もきっと知る由はない。それを考えると苦しい。心にぽっかりと穴が開いたみたいになる。
だって、耐えられないのだ。私が知らない貴方が存在する事が。それを自覚すると自己嫌悪に陥る。たまに出る知らない単語だってホントは知りたい。貴方の口から教えてもらいたい。手取り足取り。時間は懸かるかもしれないけど、貴方が教えてくれるなら私は一生懸命学ぶ。私は貴方と一緒に夢だって見たい。
全て分かっている。それが我儘だという事も。縛り付ける行為だという事も。
でも、同時に知りたいと思うのは罪ですか。独り占めしたいと思うのは私が愚かだからですか。
と言う気持ちもあって。
こんな風に不安にさせる魔女様が悪いといつの間にか責任を移してしまう醜い私も顔を出してきては。その度、自己嫌悪に陥ってすぐさま閉まって。
そう思っても何一つ私は言えない。今日はもう寝よう。これ以上、起きていても苦しむだけ。だから、眠ろう。眠って今日の穢れを全て忘れてしまおう。
「ごめんなさい。魔女様。もう、眠くなってしまいました」
そう一声かけて。
「うん。おやすみ」
と。
幸い、外は嵐。洞穴の外は嵐。ごうごうと雪も吹き付ける。
辺りだっていつもより暗い。
この煩い鼓動も悲痛で歪む表情も貴方に届く事はない。
2
雪原の最果てには氷の城が見えた。
吹雪で朦朧とする視界でそれを確認。聳え立つ大きな城。その城の周りには城壁。されど、誰もいない。ただ、頻りに雪が降り注ぐだけ。
私達は城壁を堂々と潜り抜けて城内へ侵入。氷の城の内部は、立ち入った者全てを拒むほどには冷たい。でも、その冷たさにまで今の私は安心を覚えて。私は炎の魔女のローブを改めてぎゅっと握って。
私は未だ、もやもやしていた。心なしか、魔女様との会話も減った気がする。なんだか気まずい。触れ合う距離が離れていく感覚。きっと、魔女様もなんとなく察しているのかもしれない。
でも、それでも、貴方がいくら離れようとも私は着いていく。
磁石のように離れる事はない。
例え「愛が重い」と言われてもその決意は揺らぐことなく。
この城はいつからあるのだろう。いつからこの氷は解ける事無く残り続けているのだろう。
(ここに来るまでにもこのローブには大分、助けられた)
この世界を歩いてきて、もう随分と経った気がする。魔女様の髪の毛は成長がそこで止まってしまったかのように変わらないけれど、私は違う。
私の髪も街にいた時よりもかなり伸びた街にいた時には肩に届くか届かないかぐらいの長さだったというのに今は腰元で揺れている。気になるといえば、気になるが別に切る程ではない。それこそ魔女様に言えば、その手に灰のはさみを生み出して切ってくれるかもしれないが今の所、困っていないので大丈夫。それに、体つきも同様だ。少女だった体から少しは女性らしくなっただろうか。
(私の体を見て貴方は褒めてくれるだろうか)
城を奥へ、奥へ進んでいくと、やがて最果てに辿り着く。ここが恐らく、この雪原の最後。一体、何が待ち受けているのか。
玉座。氷の階段の上部に眠っていたのは氷漬けになった少女。と、もう一人。でも、少女の隣には白骨のようになっている遺体。その白骨の薬指には指輪がある。銀色の指輪がキラリと確かに。
少女。恐らく魔女の薬指にも同様の指輪。
それを見た時、私はハッとした。だって、この二人が辿った結末が垣間見えたから。光指す道はないと分かってしまったから。私達の行く道を指しているようだったから。
氷漬けの魔女はその白骨に向かって、祈るような縋る目でその手を絡ませている。二人の手には同じ指輪が煌めいて。そして、魔女の瞳には涙の跡が煌めいて。
悲しみに満ちた表情をしていた。
二人の向かう最後はきっと破滅だったのだろう。人と魔女。その二人が愛し合った末路はきっと。ならば、私達の向かう先も破滅なのだろうか。私と魔女様も同じ結末を辿るのだろうか。
知る者は、教えてくれる者は誰もいない。
ああ、神様。なぜ、世界はこんなにも悲しみに溢れているのでしょうか。
救いは。愛し合う事すら許してくれないのでしょうか。
永遠なんてない。それは分かっていた。けれど、いざ前にすると。
なぜ人はこんなに弱いのだろう。身も心も。一人では補えない。だから、求める。けれど、求めてもその場所には立たせてくれない。人と魔女。その二つは決して交わる事はない。
ああ、世界は残酷だ。こんなにも不完全だ。
でも、その世界で生きる私達は。
一体、どうしたら・・・。
私は動けない。
「・・・・・・。」
そして、魔女様は何も言わない。スタスタと歩いて行く。氷の城の奥。扉を開けて進んでいく。それは私を拒むようにも見えてしまった。
魔女様は分かっていたのだろうか。人と魔女ではどう足掻いても同じ位置に立てない事を。
ああ、これがきっと答えなのだろう。少なくとも、魔女様の答えは暗に見えていて。
でも、私は一つの疑問を問う。
二人は幸せだったのだろうか、と。
私には分からない。けれど、私は魔女様がその場所を後にしても一人で眺めていた。
二人は禁断の恋だったのだろうか。城と言う事から、王子と王女だとか。でも、王女は魔女で王子は人で。それを覆す事も変える事も出来なくて。今もこの寒い城で。この寒い世界で二人。
そんなバックストーリーだろうか。勝手に推察したものだけれど。まるで、大きなクリスタルかのような氷の彫像。その前で、そのクリスタルが醸し出す冷気を浴びながら。
いつか、私はこの場所で二人きりな事を嬉しいと言った。でも、これを見ても同じことが言えるだろうか。果たして。
いや、どうだろう。
このまま二人、いつまでも。永遠に止まったままの時間の中を。それはある種、幸福な事だ。だって、ずっと一緒にいられるのだから。
でも、その一方でそれは寂しい事だとも思う。だって、それは立ち止まったままなのだから。まるで絵のように切り取られた一部なのだから。
動き出す事はない。
それは生きていると言えるだろうか。
「ねぇ、氷の魔女様。貴方は今、幸せですか?」
その瞳には何を映すのですか。溶けることのない氷の中で。
私は一人、問いかける。氷の魔女と、勝手に名付けて呼びかける。当然、返事はないが。その氷の彫像に。返る事ない返事を期待して。
でも、せめてもの餞別として、
「このローブはここに置いていきます。きっと、役に立つと思います」
大きな氷の塊の前に畳んで置いた。
「このローブは温かいですから」
きっと、あなたの冷えた心も温かく溶かしてくれると。でも、
「その代わり、この靴を頂いて良いでしょうか」
そう言って持ち上げる。貴方の氷の前に脱いで置かれている靴を。
私達は前に進まないといけないから。例え、傷ついたとしても動き出した時の中を踏み出していかないといけないから。
だから、この靴を。氷の魔女のガラスのような靴を。
それでは、さようならと。
私は魔女様の後を追って扉の奥へ歩んでいく。バタンと言う音だけが乾いた空気に響く。
その足はもう軽かった。




