第七話 「雪原」
1
温かいどころか熱い場所の後に続くのは冷たい場所。
向こうが赤だとしたらこっちは青とでも言うかのようにこの世界は極端。そして、魔女様と旅に出てどのくらいの期間が経ったのか。この旅がどこまで進んだのか。そもそもゴールなどあるのか。抱える疑問は沢山。その疑問を一つ一つ解決していきたいが、解決する方法は何一つあらず。それこそ今、目の前に広がる雪くらいには果てしない。
そんな事を思うこの頃。
でも、そろそろこの世界も幾つかのバリエーションを跨いでネタ切れを起こすのではないか、と。
(いや、私は何を言っているんだ)
それこそ各魔女の災厄を巡って来ただけで、それを種類などと。災厄の種類なんてなくて良い。そう、どこまでも続く平和の方が。
それでも慣れてきている自分を顧みる。全く、人間の好奇心と言うのは恐ろしい。
ともかく、
(炎の街でローブを貰ってきて良かった)
自分が吐いた冷たい息を眺めながらしみじみ思う。早速、救われている。冷たい息が出るのは、温かい所から冷たい場所に出るから。頭だけを出すローブの中でそんな豆知識を披露。いや、貰ったのではなく奪ったではないかという言葉は頭の隅できっぱりと無視して。むしろ、あんな胸糞の悪い街を見せられてローブ一枚で済ませてやったのだ。ローブ一枚ですらわりに合っていないと考えてしまうのは私が欲張りだからだろうか。
2
ただ、幸いなのは辺りが雪に埋もれる雪原内でも前を行く魔女様のお陰で足元が覚束ないという事はない。魔女様が歩いた道はここまでで分かるように灰が積もる。
けれど、この雪原では灰が積もった所で雪の白と同化して見えない。と思っていたのだが、この雪原ではまるで道を譲るかのように魔女様の歩いた部分は雪が解け、地面が現れる。雪の下に眠っていた新緑が現れ、その上に灰が積もる。だから、魔女様が歩いた所は一目瞭然だったのだ。なんてご都合主義で便利な能力。感動すら覚えてしまう。
(だから、足元がそこまで寒くないのは魔女様のお陰)
雪原を越え、進んだところには幾つかのクレバスが見えた。雪は降る事無く視界も良好。気を付けて歩いて行けば、谷のように落ちる事はなさそうだ。それぞれ縦穴の規模は異なるが、深いものだと目測でも数十メートルはあり、依然として危険なのは変わりなく。それに、最も厄介なのはクレバスを形成する氷河はどれも永久凍土。つまりこの雪原内の外気と合わさり、溶けそうにない事だ。魔女様の灰ですら、それを溶かすのは不可能のようだった。
魔女様は何も言わないが、前を進みつつも一人ペタペタと手で触れたり何度か足踏みをしてみたりと試行錯誤をしていた。今からちょっと前。この氷の地帯に足を踏み入れる前に。
魔女様はこう見えて意外と慎重だ。いや、私の安否に対してかなり気を使っているのかもしれないけれど。
それを思うと頼もしいと思うと同時、心の内が温かくなる。
「この先は、少し慎重に、ね」
私も今一度、息を大きく吐いて気を引き締める。
「リリー。落ちないでね」
前から注意喚起の声を掛けられる。まぁ、落ちても助けるけどと。しかし、私も負けじ、と。
「はい」
と元気に。
しかし、なおもあの谷で取り乱した私の事を知っているからか、魔女様の念入りな注意が続く。それらをしかと胸に刻み込む。大丈夫だと少しでも思ってもらえるように。
「そして、決して無理はしない事。辛かったらすぐに言うの」
すると、前にいる魔女様の手が私の両頬に当てられる。顔が近い。それをされると私はといえば返事はどこへいったか頷くしかできなくなってしまう。
「遠慮なんてしなくて良いから。ね」
魔女様と目は相変わらず合わせられない。旅には慣れてもこれだけは慣れない。見つめられるとやっぱりどこかこそばゆいというかとにかくダメだ。
「ふふ。リリー。いいこ。いいこ」
全く、魔女様はずるい。心からそう思う。
その後は頭を一頻り撫でられて。しなやかな指が視界を通り過ぎる一方で、その一方で複雑な思いも抱く。だって魔女様は私の事をいつまでも子供のように扱ってくるから。心配してくれているのは分かるが、私だって成長していないという訳ではないのだ。
それを示す手立ては今のところ、ないけれど。
なんだか揶揄われてしまったようにも感じるが、その分、肩の力が抜けた。無理しいな私には丁度良いかもしれない。おまじないとでも受け取っておこう。
3
「雪原には本当に何もないみたい」
ある昼下がり、魔女様が突然、そんな事を言い始めた。雪原のここはどこか丘の上。そこで焚火の火を囲みつつ。
火は本当に温かい。雪だって溶かしてくれるし。
「そう、なのですか?」
「うん。多分。もし建物や生き物がいたとしてもそれはもう、この雪に埋もれているか亡くなってしまっていると思う」
魔女様は丘の下へ目を向けて。私も同じように眺めても、真っ白なだけで何も。それこそ雪山くらい。街や人。魔女様の好きな昆虫や生き物。いや、好きなのか?
その真偽は置いといて、この極寒の地では明かりすら当に失われている。
「例えば、生き物は大抵の環境には適応できる。でも、流石にこの寒さは。ここは生きていける環境じゃないんだよ」
確かに、この寒さの前では何もかもが凍って、それでもなお絶え間ない風に吹かれていつか砕けてしまう。本当に荒廃した世界と言うのはこういうものをいうのかもしれない。おおよそ、ジオラマ等でしか再現できないような。
「だって、ここで無理に生活しても楽しくないよね。どんな存在だってここで生きたいとは思わないよね」
生きたいと思わないから元居たであろう存在達の進化も見込めない。一理ある。魔女様がそう言うならそうなのかもしれない。
でも、楽しくない、か。あの魔女様にそんな事を言わせるとは。何物も寄せ付けない自然の驚異や恐ろしさはここまでの道のりでも一番なのかもしれない。私もこの地を歩くに至って、ある程度の事は覚悟しておいた方が良いかも。何故、普段と違って不満を言うのか分からないけど。
「だって、寒いのは私も嫌いだから」
いや、直ぐに明かされた。ああ、納得。基準は自分だった。でも、魔女様の姿を見れば、裸足に薄手のワンピースが一枚。そのお召し物が寒風にはためいては揺れており、全然、説得力はなかった。
この旅にも随分、慣れて来た。どれくらいの年月が経ったのかは再三、定かではないないけれど。しかし、この隣にいる魔女様との距離感が何よりもそれを物語っている。
「リリー、聞いてる?」
横にいる魔女様が首を傾げる。
「なんだか、上の空だけど」
その瞳は揺れていた。おっと安心どころか不安にさせてしまったのかも。私はすぐに返事をした。
「いえ、ただ、嬉しくて」
「嬉しい? 何が?」
だって、何者も寄せ付けないという事は、
「ここでは、私と魔女様。ずっと二人きりなのですね」
一際、温かい息が出た。今日一番かもしれない。
この閉ざされたような真っ白な中で。二人の呼吸が当たる程、身を寄せて温まりながら。呼吸はやがて溶け合って。思えばいつしか旅の中で休憩するときはここが定位置になっていた。それも気づいたらいつの間にか、ここではないと安心できなくなっていた。身近に感じているくらいではないと。
なんだか飼い主を見つけた猫みたいだ。なんて一人で笑って。
そう笑っている間にふと魔女様を見れば、口をあっと開けて驚きの目をしていた。何だか、魔女様の様子が変だ。こんな表情は初めて見る。
あれ? そういえば私、今さっき何を言ったんだっけ?
「なるほど。そういう見方もあるね」
それは思いつかなかったなぁとのんびり。
当のリリーもそこで気づく。おおよそ脊髄反射というか思いついて自然と口に出ていたから、その発言のおかしさになかなか気づけなかった。もしかすると、人が初めて魔女の上を行く瞬間だったかもしれない。
よく考えればかなりおかしな発言だった。だって、あの魔女様ですら嫌がる酷な地を前にして述べる感想ではない。ここで生きていきたいと思う存在がいないという話をしていたのに、わたしはどこか夢心地で否定どころか生きていく事を肯定するなんて。他の人が見れば、完全に頭が湧いていると思われるかもしれない。それくらいには狂っている。
「でも、そんなに私と二人が良いの?」
さらに追及され、「うわっ」と声が出そうになるのを必死に堪えつつ、今更否定も出来なそうだったので大人しく頷く。
「リリーは結構、ロマンチストだね」
未だ慌てつつ。耳に灯る熱が収まらない。
「でも、確かに、そう言われれば私もちょっとこの場所で生きたいと思えるかも」
ありがとう。リリーと。
私は頭がぐるぐると動転して何も言えなかった。
「見て。こんな雪原内でも星は奇麗だよ。いや、こんな雪の中だからこそ、かもね」
確かにいつもよりくっきりと映る夜空。それに星たち。
私は何も言えなかった代わりにこの夜空に、
ああ、いつまでも一緒に、
居られますように。
と静かに願いを込めて。
ああ、今日の私は本当におかしい。
丘の上、辺りの音は何も聞こえない程に静かだった。




