倍賭け(ダブル・オア・ダブル)の狂宴
2100年10月。広島を吹き抜ける風が冷たさを帯び始めた頃、国庫庁から全ボクサーへ通達が下された。
『特別タッグトーナメント開催』。
勝てばベットした寿命の「倍」を得る。負ければ「倍」を失う。バンタム級の拳士に提示されたベット額は「3年」。勝てば6年を得るが、負ければ6年を奪われる。現在の残量は約15年。6年を失えば、ボクサー生命の半分以上が消える。
「倍返しか。国庫庁の連中、いよいよ本気で俺たちの命を整理しに来やがったな」
拳士はドヤ街の安宿で、赤い光を放つウォッチを眺め、低く呟いた。
翌日から、熊沢ジムに奇妙な顔ぶれが揃った。
ジムの主である熊沢。雪駄を鳴らして腕を組む竹原。そして、畑山隆則——前回の死闘を経て、今はスパーリングパートナーとして立っていた。
「今回は相手が二人だ」と畑山が、バンテージを締めながら言った。「一人を倒しても、もう一人が残っていれば終わらねえ。俺の熱に耐えてみせろ。避けられねえようじゃ、倍の寿命なんて夢のまた夢だ」
「分かってるよ。やってやる」
特訓は過酷だった。熊沢が拳士のフォームの微細なズレを修正する。その背後で竹原が、湯呑みの酒を一口煽ってから口を開いた。
「拳士。お前はまだ、6年を失うことを『損』だと思っとる。その計算が、足を鈍らせとるんじゃ。6年が怖いなら、最初から自分の命を全部拳に乗せて叩き返さんかい。ボクシングいうんは、数字の引き算じゃねえ。ゼロになるまで燃やし尽くす覚悟のぶつかり合いじゃ」
畑山の連打が、その言葉を証明するように拳士の腕を弾く。
「クロスカウンターだけじゃ足りねえ。相手は二人だ」
拳士は繰り返しながら、地下施設で出会った力武と伊勢谷の顔を思い浮かべた。あの二人も、この狂ったタッグマッチのどこかに潜んでいるはずだ。破壊と精密。どちらもタッグ戦で増幅されれば、容易に対処できる相手ではない。
特訓から二週間。肉体は痣だらけに絞り込まれ、竹原の「一秒をケチるな」という言葉が、骨の芯まで染み込んでいた。
10月下旬。初戦が目前に迫った朝、拳士は古びたリングを一瞥してから出口へ向かった。
「熊沢さん、竹原さん。畑山……。行ってくるぜ」
「死ぬなよ、拳士。お前の拳は、まだ磨き足りんからのう」
竹原の声が、背中にかかった。
拳士は振り返らなかった。ただ、その一言を胸に収めて、冷たい秋風の中へ踏み出した。




