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『寿命の拳(からくり・ボクシング)』  作者: 水前寺鯉太郎
第一章

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巨神との五分間

第10話:巨神との五分間


 【1】

 2100年10月30日。広島グリーンアリーナ。

 国庫庁主催タッグマッチ、その初戦の組み合わせが発表された瞬間、会場は静まり返り、次の瞬間には割れんばかりの嘲笑と怒号に包まれた。

 青コーナー、小松原拳士と伊勢谷。対する赤コーナーに現れたのは、もはや人間というよりは巨大な鋼鉄の塔だった。

 モハメド・アリ、そしてボブ・サップ。

 伝説の名を冠したその二体は、国庫庁が「ヘビー級」の極限として調整した最新鋭のからくりボクサーだった。サップの巨体はリングの半分を占拠せんばかりに威圧し、アリの纏うアーマーからは、高密度の寿命エネルギーが青白い燐光となって溢れ出している。

 「……冗談だろ。階級差を無視しやがって」

 拳士は、見上げるような巨躯を前に、グローブを固く締め直した。バンタム級の自分と、ヘビー級の怪物を同じリングに上げる。国庫庁の狙いは、効率的な「寿命の徴収」でしかない。

 「落ち着きたまえ、小松原くん。これは計算ずくのミスマッチだ」

 隣で伊勢谷が、冷徹なまでに平坦な声で言った。

 「彼らの出力は異常だ。だが、その分エネルギー消費も激しい。一ラウンド五分、全三ラウンド。彼らのスタミナが切れるまで、僕たちが『生存』できるかどうかのゲームだよ」

 【2】

 ゴングが鳴った。

 開始と同時に、ボブ・サップが咆哮と共に突進してきた。

 「オォォォォッ!!」

 丸太のような腕が振り下ろされる。拳士は間一髪でサイドにステップしたが、床を叩いた衝撃の余波だけでウォッチが『マイナス一ヶ月』を刻んだ。掠ってもいないのに、空気を伝って寿命が震動で削り取られる。

 一方のアリは、その巨体からは想像もつかない軽やかなステップで拳士の退路を断つ。

 「蝶のように舞い、蜂のように刺すか……。本物そっくりじゃねえか!」

 アリのジャブが、閃光のように拳士の視界を掠める。一撃一撃が、拳士の全力のストレートに匹敵する質量を持っている。

 拳士と伊勢谷は、リングの四隅を使い、徹底した回避に徹した。しかし、五分という時間は、死を背負う者にとって永遠にも感じられるほどに長い。

 【3】

 「小松原くん、左だ! サップの突進をアリにぶつけろ!」

 伊勢谷の指示が飛ぶ。

 伊勢谷は、自らの寿命を微細なレーダーとして展開し、二体の怪物のエネルギー残量を常にモニタリングしていた。彼のボクシングは、もはや格闘技ではなく、冷酷な「資源管理」の域に達している。

 拳士は野性の直感で伊勢谷の意図を汲み取り、サップの豪腕を誘うようにアリの前へと滑り込んだ。

 サップの右フックが、拳士の鼻先を通り過ぎ、アリの白銀のガードを叩く。

 「……よし、削ったぜ!」

 巨漢同士の衝突により、リングに膨大なエネルギーが飛散する。アリのアーマーが、激しい衝撃を緩和するために数ヶ月分の寿命を瞬時に消費したのが分かった。

 【4】

 一ラウンド、残り一分。

 拳士の肩を、アリの鋭い左が捉えた。

 「っ……!」

 衝撃が脳を突き抜け、ウォッチの数字が『マイナス半年』を叩き出す。

 三年のベットに対し、早くも半年を失った。負ければ倍、つまり六年の損失。その恐怖が、一瞬だけ拳士の動きを止める。

 「ケチるな、拳士!」

 観客席から、竹原の怒声が響いた。

 「一秒を惜しんで死ぬか、一秒を燃やして勝つか! どっちか選べ!」

 その言葉で、拳士の目が再び据わった。

 そうだ。負けることを考えている暇などない。この五分間を、地獄の業火に変えてでも生き残ってやる。

 拳士はあえてサップの懐へと飛び込んだ。

 巨漢の腹部に、渾身のボディを叩き込む。岩を殴るような感触。だが、サップの肺から濁った蒸気が漏れるのを、拳士の拳が感じ取った。

 【5】

 「カァァァン!」

 一ラウンド終了のゴングが鳴り響いた。

 拳士と伊勢谷は、ボロボロになりながらも自陣のコーナーへと戻った。

 対するアリとサップ。その巨体からは、激しい熱気と共に、寿命エネルギーの燃えカスが黒い霧となって立ち昇っている。

 「……伊勢谷、あいつらの残量は」

 「予定通りだよ。一ラウンド目で、彼らは全エネルギーの四割を浪費した」

 伊勢谷は、乱れた呼吸を整えながら、冷たく笑った。

 「次は、彼らの動きが鈍る。そこが、僕たちの収穫祭の始まりだ」

 拳士は、赤く腫れ上がった拳を握りしめた。

 ヘビー級の暴力に対し、バンタム級の野性がどこまで食らいつけるか。

 倍賭けの戦いは、まだ始まったばかりだ。

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