削りと断罪
第11話:削りと断罪
【1】
二ラウンド目のゴングが鳴り響くと同時に、リングの空気は「回避」から「侵食」へと変わった。
「小松原くん、プランBだ。僕が『穴』を開ける。君はそこを撃ち抜いてくれればいい」
伊勢谷が静かに告げると同時に、彼の両腕が霧のように霞んだ。
伊勢谷のボクシングは、精密機械による超高速の連打だ。相手が巨腕を一発振り下ろすコンマ数秒の隙に、三発、四発と正確に急所を叩く。一撃の威力は拳士に及ばない。しかし、その「数」こそがからくりボクサーにとっての猛毒となる。
「チッ、チョコマカと……!」
ボブ・サップが苛立ちと共に拳を振るうが、伊勢谷はその腕の内側を滑るように潜り込み、サップのウォッチとアーマーの継ぎ目に、針で突くようなジャブを無数に刻み込む。
【2】
伊勢谷の狙いは、寿命を奪うことそのものではなかった。
「からくり」の防御システムに過剰な負荷をかけ、エネルギーを強制消費させることだ。伊勢谷が叩くたびに、サップのアーマーは衝撃を和らげるために数秒、数十秒の寿命を無数に吐き出していく。
一方のアリも、伊勢谷の高速の刺突に、自慢のステップを乱され始めていた。
「……見事なもんだ。あいつ、相手のシステムを『バグ』らせてやがる」
コーナーで息を整えながら、拳士は伊勢谷の背中を見つめた。
計算し尽くされた連打。それは、相手の意識を「数」で飽和させ、たった一つの致命的な隙を作り出すための、冷酷な下準備だった。
【3】
「今だ、小松原くん! サップの右、大振りが来る!」
伊勢谷の鋭い声。
焦れたサップが、寿命を数年分上乗せした必殺の右フックを繰り出した。伊勢谷の連打によって装甲をボロボロにされたサップは、もはや一撃で全てを終わらせるしか道がなかったのだ。
これこそが、伊勢谷の描いたシナリオ。
拳士は、野性の直感でその瞬間を捉えた。
「——待ってたぜ、その大振りをよ!」
拳士は逃げなかった。竹原の教え通り、自分の命をケチらず、むしろ相手の暴力へと自ら踏み込んだ。
【4】
サップの巨拳が拳士の顔面を掠める。
だが、その衝撃をエネルギーに変えるようにして、拳士の右拳が放たれた。
伊勢谷が数秒前にサップのアーマーに開けた、唯一の「亀裂」。そこへ、拳士の全力の寿命を乗せたクロスカウンターが突き刺さる。
「ガアァァァァァァッ!!」
サップの巨体が、内側から爆発したかのようにのけ反った。
伊勢谷の「削り」によって防御機能を失っていたサップのウォッチに、拳士の一撃必殺が直撃したのだ。行き場を失ったサップの自らの寿命エネルギーが、逆流してその巨躯を粉砕する。
【5】
ズゥゥゥン、とリングが揺れた。
あのボブ・サップが、たった一発のカウンターでキャンバスに沈んだ。
「……一人目だ」
拳士は荒い息を吐きながら、隣に立つ伊勢谷を見た。
伊勢谷は汗一つかいていない顔で、残ったアリを冷たく見据えている。
「いいカウンターだったよ、小松原くん。僕の計算以上の破壊力だ」
「……お前の『削り』がなきゃ、あの装甲は貫けなかった。いいタッグじゃねえか」
一人は数で圧倒し、一人は質で断罪する。
バンタム級の二人が、ヘビー級の伝説を一人、また一人と「解体」し始めた。
アリのウォッチから、警告音が鳴り響く。
二ラウンド終了まで、あと一分。
「倍賭け」の天秤が、今、大きく拳士たちの側へと傾いた。




