潮風の刺客
熱狂の渦に包まれる観客席の片隅に、その熱気から切り離されたように冷めた空気を纏う二人の男がいた。
「……見ろ力武。サップが沈んだばい。あんなデカか図体しといて、バンタムの一撃でひっくり返るとはね」
菊池が、行儀悪く座席に足を投げ出し、呆れたように鼻を鳴らした。力武と同じく長崎・佐世保の出身。造船所の溶接工として火花と油にまみれて生きてきた肉体には、力武とはまた違う、針金のようなしなやかな筋肉が宿っている。
「サップが弱かったわけじゃなか。あの広島のガキ——小松原の拳が、異常なとたい」
力武は腕を組んだまま、リング上の拳士から目を逸らさなかった。
「伊勢谷の小賢しか手数は好かんが、あいつが開けた穴に迷わず命をぶち込める度胸は本物ばい。佐世保のドックで鉄板叩いとる時と同じ音がした。……ありゃあ、システムで測れる重さじゃなかぞ」
「へぇ、あんたがそこまで言うとは珍しかね」
菊池は胸ポケットの寿命チップを指先で弄んだ。
「俺たちのタッグなら、あんな隙は作らせん。伊勢谷の連打は俺が全部叩き落としてやる。あんたは横から、あの拳士のクロスカウンターごと奴らを粉砕すればよか」
「……分かっとる。俺たちの命は、造船所のクレーンよりも重か。一秒や二秒、ケチって生きるようなタマじゃなか」
力武のウォッチには、荒々しく点滅する『20年』。長崎の海風に耐え、泥にまみれて奪い取ってきた、血の滲む時間だ。
リング上では、一人残されたモハメド・アリが、誇り高く拳を構え直していた。
「アリももう限界ばい。アーマーの蒸気が焦げた臭いのしよる。伊勢谷に計算され、拳士に魂を撃ち抜かれた。……国庫庁の最高傑作も、形無しやね」
「菊池」と力武が、静かに立ち上がった。「次の試合、俺たちは数字以上のものを背負うことになるぞ。勝てば6年、負ければ6年……そんな話じゃなか。俺たちがこれまで叩いてきた鉄の重さを、あいつらに教えてやらんば」
「よかよ。佐世保の意地、見せてやろうや」
菊池が立ち上がり、二人は並んで観客席を後にした。
その背中には、広島の街にはない潮風の香りと、鉄の匂いが染み付いていた。




