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『寿命の拳(からくり・ボクシング)』  作者: 水前寺鯉太郎
第一章

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潮風の刺客

第12話:潮風の刺客


 【1】

 熱狂の渦に包まれる観客席の片隅、熱気を遮断するように冷めた空気を纏う二人の男がいた。

 「……見ろ、力武。サップが沈んだばい。あんなデカか図体しといて、バンタムの一撃でひっくり返るとはね」

 菊池が、行儀悪く座席に足を投げ出し、呆れたように鼻を鳴らした。

 菊池は力武と同じく長崎・佐世保の出身だ。造船所の溶接工として、火花と油にまみれて生きてきた肉体には、力武とはまた違う、針金のようなしなやかで強靭な筋肉が宿っている。

 「サップが弱かったわけじゃなか。あの広島のガキ……小松原の拳が、異常なとたい」

 力武は腕を組み、リング上の拳士から目を逸らさなかった。

 「伊勢谷の小賢しか手数は好かんが、あいつが開けた穴に、迷わず『命』をぶち込める拳士の度胸は本物ばい。佐世保のドックで鉄板叩いとる時と同じ音がした。……ありゃあ、システムで測れる重さじゃなかぞ」

 【2】

 「へぇ、あんたがそこまで言うとは珍しかね」

 菊池は、胸ポケットから取り出した寿命チップを指先で弄んだ。

 「俺たちのタッグなら、あんな隙は作らせん。伊勢谷の連打も、俺が全部叩き落としてやる。あんたは横から、あの拳士のクロスカウンターごと、奴らを粉砕すればよか」

 「……分かっとる。俺たちの『命』は、造船所のクレーンよりも重か。一秒や二秒、ケチって生きるようなタマじゃなか」

 力武のウォッチには、荒々しく『20年』の数字が刻まれている。それは、長崎の海風に耐え、泥にまみれて奪い取ってきた、文字通り血の滲むような時間だ。

 「広島のドヤ街、長崎の造船所……どっちの意地が勝つか、次のリングで白黒つけなならんばい」

 【3】

 リング上では、一人残されたモハメド・アリが、かつての伝説がそうであったように、誇り高く拳を構え直していた。

 しかし、菊池の目にはすでに決着が見えていた。

 「アリももう限界ばい。アーマーの蒸気が、焦げた臭いのしよる。伊勢谷に計算され、拳士に魂を撃ち抜かれた。……国庫庁の最高傑作も、形無しやね」

 「菊池。次の試合、俺たちは『倍賭け』以上のものを背負うことになるぞ」

 力武が、静かに立ち上がった。

 「勝てば6年、負ければ6年……そんな数字の話じゃなか。俺たちがこれまで叩いてきた鉄の重さを、あいつらに教えてやらんば」

 「よかよ。佐世保の意地、見せてやろうや。……拳士、伊勢谷。次は、俺たちが相手ばい」

 【4】

 観客席を去る二人の背中には、広島の街にはない、潮風の香りと鉄の匂いが染み付いていた。

 国庫庁の洗練されたシステムの中で、彼ら長崎のタッグは、最も異質で、最も破壊的な「バグ」として牙を研いでいる。

 一方、リング上では、小松原拳士が最後の決着をつけるべく、アリの懐へと深く踏み込んでいた。

 観客席から見守る竹原が、ニヤリと笑う。

 「……ええ面構えになったのう、拳士。長崎の虎も、お前の『一秒』に怯えとるわ」

 2100年10月。

 広島と長崎。西日本の魂が交差する瞬間が、刻一刻と近づいていた。

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