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『寿命の拳(からくり・ボクシング)』  作者: 水前寺鯉太郎
第一章

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頁(ページ)の中の幽霊

第7話:ページの中の幽霊

 【1】

 2100年9月7日。

 福山の熱狂から一週間。小松原拳士は、ドヤ街にある四畳半のボロアパートにいた。

 窓の外からは、誰かのウォッチが「0」になる直前のアラーム音と、それを嘲笑うような酔客の怒声が聞こえてくる。15年の寿命を持つ男が住む場所ではない。だが、ここ以上に落ち着く場所を、拳士は知らなかった。

 拳士は、プラスチックの包み紙を剥ぎ取り、ハンバーガーを大きく一口齧った。

 「5時間」のハンバーガーだ。ドヤ街の物価からすれば超高級品だが、ローズカップの賞金を考えれば端数にもならない。肉汁と共に、化学調味料の刺激が脳を叩く。拳士は、その下卑た味にどこか安堵していた。

 ふと、テーブルの隅に置かれた、いつのものかも分からない新聞に目が止まった。

 デジタル端末が主流のこの時代、紙の新聞は「寿命を払って情報を買う余裕のない」老人たちが、役所から流れてくる広報を書き写すために使う、化石のような媒体だ。

 【2】

 何気なくページをめくっていた拳士の指が、ある小さな囲み記事の前で止まった。

 『未確認報告:寿命倍増現象ダブル・クロックの真実』

 その見出しの下には、ぼやけた写真と、信じがたい事実が淡々と記されていた。

 「……寿命が、倍になる?」

 記事によれば、稀に「一秒の消費で二秒分の生命を維持する」特異体質の持ち主が存在するという。彼らは同じ寿命を持っていても、他人の二倍の時間を生きる。あるいは、他人から譲渡された寿命が、その体内で二倍の価値に膨れ上がる。

 この「寿命通貨社会」における、絶対的なバグ。

 経済システムを根底から破壊しかねない、禁忌の存在。

 【3】

 拳士は、ハンバーガーを噛む手を止めた。

 頭の中に、一人の老人の顔が浮かんだ。

 竹原。

 彼のウォッチは、真っ白に飛んでいた。上限を超え、数えることをやめた男。

 「……あんたも、これなのか?」

 もし竹原が「特異点」なのだとしたら、彼が「一秒をケチるな」と言い続けている意味が変わってくる。彼にとっての一秒は、他人にとっての二秒。あるいは、それ以上の価値があるのかもしれない。

 記事を読み進めると、さらに不穏な記述があった。

 国庫庁ライフ・トレジャリーは、これらの特異点を「国家資源」として極秘裏に管理・回収している疑いがある、という。

 「回収……。つまり、捕まえて『命の工場』にでもするってのか」

 【4】

 拳士は、自分の左手首を見つめた。

 『15年3ヶ月12日』

 この数字は、今の自分にとってどれほどの意味があるのか。

 ローズカップでサクラから強引に奪い取った時間は、本当に「5年」だったのか。もし自分が、あるいはサクラが特異点だったとしたら?

 「からくりボクシング」という競技自体が、特異点を見つけ出し、効率よくその寿命を「精製」するための巨大な実験場ではないのか——そんな疑念が、黒い霧のように拳士の胸に広がっていった。

 その時、アパートの薄いドアが激しく叩かれた。

 「拳士! おるか! 公務員が来とるぞ!」

 隣室の住人の悲鳴に近い声。

 拳士は新聞を丸めてゴミ箱に放り込み、鋭い目つきでドアを睨みつけた。

 【5】

 ドアが開くと、そこには整ったスーツに身を包んだ、血色のいい男が二人立っていた。

 「小松原拳士さんですね。広島市国庫管理課の者です。ローズカップでのご活躍、拝見しておりました」

 男のウォッチには、公務員特有の『公務執行中(非課税)』の表示が灯っている。

 「あなたの直近の『寿命収支』に、極めて不自然な数値が検出されました。一度、本庁まで同行願えますか?」

 丁寧な口調だが、その瞳に宿っているのは、獲物を逃さない「収穫者」の冷徹さだった。

 拳士はゆっくりと立ち上がり、残ったハンバーガーを口に放り込んだ。

 「……公務員様が、ドヤ街まで何の用だ。手数料(寿命)なら、さっきのバーガーで使い果たしたぜ」

 拳士の戦いは、リングを飛び出し、ついに「世界を支配するシステム」との直接対決へと足を踏み入れようとしていた。

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