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『寿命の拳(からくり・ボクシング)』  作者: 水前寺鯉太郎
第一章

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鋼鉄の薔薇(ローズカップ)

第6話:鋼鉄の薔薇ローズカップ

 【1】

 2100年9月1日。

 瀬戸内の海風が吹き抜ける福山の街は、かつてない熱狂に包まれていた。福山城の白壁を背に建てられた巨大なドーム型アリーナ。その周囲には、特産のバラを模した電飾が鮮やかに彩られ、街全体が「ローズカップ」という名の祝祭に酔いしれている。

 だが、その華やかさの裏側にあるのは、巨大な「寿命銀行ライフ・バンク」が主催する、冷徹なまでの資本の論理だ。

 小松原拳士は、アリーナの控室で、贈られた一輪の赤いバラを眺めていた。

 「ローズカップか。ドヤ街の掃き溜めから、えらい出世したもんだな」

 拳士は自嘲気味に呟いた。手首のウォッチには、前回の畑山戦で得た「10年」に、これまでの残量を合わせた『17年4ヶ月』という、かつての彼なら想像もできなかった膨大な数字が刻まれている。

 だが、その数字が増えるほどに、拳士の心は冷めてゆくのを感じていた。竹原との出会い、そして畑山との魂の激突。それらを経て、彼は「数字(寿命)を奪う」という行為の空虚さに気づき始めていた。

 「拳士。福山の連中は、広島のドヤ街とは毛色が違うぞ」

 熊沢が、重厚な革張りのソファに腰かけながら、新しいテーピングを拳士の腕に巻いてゆく。

 「あいつらは命を『情熱』では燃やさん。効率よく『収穫』することを美学としとる。バラのトゲには毒があると思え」

 【2】

 ローズカップ決勝。

 リングへ上がる拳士を待っていたのは、白銀のアーマーを纏った麗人だった。

 対戦相手、一条サクラ。

 福山の巨大重工業企業の令嬢でありながら、自らリングに上がる異色のボクサー。彼女の纏うアーマー『ブリリアント・ローズ』は、全身に細い「鋼鉄のトゲ」を巡らせた、美しくも凶悪な防御特化型だ。

 「小松原拳士。あなたの『野性』、この洗練されたリングでは少し野蛮すぎるわね」

 サクラの声は、鈴を転がすように澄んでいた。だがそのウォッチには、冷酷なまでに整えられた『50年』の数字が静かに横たわっている。

 「ここでは、無駄に命を燃やすことは許されない。美しく、効率的に、他人の時間を管理する。それが福山の流儀よ」

 ゴングが鳴った。

 サクラの動きは、ボクシングというよりは舞踏に近い。

 拳士の鋭い左ジャブを、彼女はわずかな体捌きで回避する。その際、彼女の肩に配された「トゲ」が、拳士の腕を薄く掠めた。

 「……っ!」

 衝撃はない。だが、掠めた一点から、冷たい水が流れ出すように寿命が引き抜かれる。

 『マイナス7日』

 一撃のダメージではない。触れるたびに、トゲを通じて「強制的な自動引き落とし」が行われる。これが彼女の『トゲの絶縁破壊ニードル・ドレイン』。

 【3】

 試合は拳士の焦りを誘うように進んでいった。

 打てばトゲに触れ、寿命を吸われる。避けても、サクラが放つ細かなジャブが皮膚を掠めるたびに、日単位、週単位の時間が削り取られてゆく。

 (……やりづれぇ。レンやブンシリとは正反対だ)

 彼らが「暴力」で奪いに来たのに対し、サクラは「契約」のように淡々と、正確に拳士の時間を徴収してゆく。会場を埋め尽くす福山の観客たちは、その優雅な剥奪に酔いしれ、拍手を送っている。

 「どうしたの? 自慢のクロスカウンター、打ってみなさいよ。私のトゲを貫けるなら、ね」

 サクラが誘うようにガードを広げる。

 その奥に潜むのは、触れた瞬間に一気に「数年」を吸い取る、最大のトゲ。

 拳士は、竹原の顔を思い浮かべた。

 竹原なら、この綺麗なリングで何と言うだろうか。

 (一秒を、ケチるな——)

 そうだ。自分はいつの間にか、また「奪われる量」を計算していた。サクラのトゲに触れることを「コスト」として恐れていた。

 【4】

 拳士は深く、重心を沈めた。

 サクラの目に、微かな疑問が浮かぶ。

 「……捨てる気? その17年を」

 「ああ。ケチケチ守ってる暇はねえんだ」

 拳士が踏み込んだ。

 サクラの迎撃、トゲを全面に押し出した右。

 拳士はそれを避けない。むしろ、自らのウォッチをトゲに叩きつけるようにして懐へ飛び込んだ。

 『警告:マイナス1年……2年……3年!』

 ウォッチが絶叫する。寿命の奔流がサクラのアーマーへ流れ込む。

 だが、拳士の顔は笑っていた。

 「吸えるだけ吸えよ。その代わり、道を開けてもらうぜ」

 トゲが肉を裂き、寿命が溢れ出すその瞬間。

 拳士の右拳が、サクラのアーマーの唯一の死角——美しさを保つために薄く作られた、喉元の装甲を捉えた。

 【5】

 「バキィィン!!」

 白銀の装甲が砕け、サクラの身体が宙に浮く。

 美しく管理された時間が、拳士の「無謀な一撃」によって粉砕された。

 キャンバスに倒れたサクラは、初めて乱れた呼吸で、信じられないものを見るように拳士を見上げた。

 「……なぜ。数年分を犠牲にしてまで、そんな一撃を……」

 「俺には、数字(寿命)の貯金より、今この一瞬の『手応え』の方が大事なんでね」

 拳士は、血の滲む腕を上げ、空を指差した。

 福山の夜空に、バラの形の打ち上げ花火が上がる。

 奪った寿命は、吸われた分と相殺されて、結局は『15年』ほどに落ち着いた。

 勝ったのは拳士だ。だが、会場は静まり返っていた。福山の流儀である「洗練された収穫」が、ドヤ街の「命懸けの浪費」に敗れた。その事実に、観客は恐怖していた。

 「バラにはトゲがあるって言ったろ。……だが、俺の拳はトゲごと叩き潰すようにできてるんだ」

 小松原拳士、ローズカップ制覇。

 それは、システムによる管理を拒絶し、自らの命を「火」として扱う男が、華やかな表舞台さえも焼き尽くし始めた夜だった。

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