鋼鉄の薔薇(ローズカップ)
2100年9月1日。
瀬戸内の海風が吹き抜ける福山の街は、かつてない熱狂に包まれていた。福山城の白壁を背にした巨大なアリーナ。バラを模した電飾が煌めき、街全体が「ローズカップ」という名の祝祭に酔いしれている。
控室で、拳士は贈られた一輪の赤いバラを眺めていた。
手首のウォッチには『17年4ヶ月』という、かつての彼なら想像もできなかった数字が刻まれている。だがその数字が増えるほどに、拳士の心は冷めてゆくのを感じていた。命を「燃料」として燃やすことを覚えたはずなのに、ここでは増えた数字が単なる「口座残高」のように思えてくる。
「拳士。福山の連中は、広島のドヤ街とは毛色が違うぞ」
熊沢がバンテージを締め上げながら言った。
「あいつらは命を熱で燃やさん。効率よく『収穫』することを美学としとる。バラのトゲには毒があると思え」
ローズカップ決勝。拳士を待っていたのは、白銀のアーマーを纏った麗人だった。
一条サクラ。福山の巨大重工業企業の令嬢でありながら、自らリングに上がる異色のボクサー。アーマー『ブリリアント・ローズ』は全身に微細な鋼鉄のトゲを巡らせた完全迎撃型で、ウォッチには洗練された『50年』の数字が静かに横たわっていた。
「小松原拳士。あなたの野性、この洗練されたリングでは少し野蛮すぎるわね。ここでは、無駄に命を燃やすことは許されない。美しく、効率的に——それが福山の流儀よ」
ゴングが鳴った。
サクラの動きはボクシングというより舞踏に近い。拳士の左ジャブをわずかな体捌きで回避し、すれ違いざまに肩のトゲが腕を掠める。衝撃はない。だが掠めた一点から、冷たい水が流れ出すように寿命が引き抜かれた。『マイナス7日』。触れるたびに行われる、過剰なダメージを与えない正確な徴収。これが彼女の『ニードル・ドレイン』だった。
打てばトゲに触れ、寿命を吸われる。避けても、細かなジャブが皮膚を掠めるたびに日単位の時間を持っていかれる。
レンやブンシリが暴力で奪いに来たのに対し、サクラは契約のように淡々と、正確に拳士の時間を削り取っていく。福山の観客はその優雅な剥奪に酔いしれ、拍手を送っていた。
(……まただ。俺はまた『いくら奪われたか』を計算しはじめてる)
サクラの完璧なペース。1ラウンド、2ラウンドと進むにつれ、拳士は彼女の描いた「収穫の計算式」の中にはめ込まれていく感覚に襲われた。残高を気にし、失うことを恐れる……昔の自分へ逆戻りしていく恐怖。
「どうしたの? 誇り高き広島の野性も、この効率の前には無力かしら」
サクラがガードを固め、隙のない迎撃姿勢を取る。一分の隙もない、完璧な計算。
(計算通りに奪うのがお前の美学なら……その計算式ごと叩き割る!)
拳士は深く重心を沈めた。
相手のジャブを避けない。わざとトゲの密集するサクラの右腕に己の左腕を「噛ませた」。
『警報:ニードル・ドレイン作動——』
「なっ……自ら捕まりに来たの!?」
サクラが目を見開く。だが、拳士の狙いはそこからだった。
拳士は吸われる寿命を止めるどころか、熊沢に教わった技術で「1年分」の寿命を一気に解放し、サクラのトゲへ向けて逆流するように流し込んだ。
『警告:許容吸収量を超過! システム・過熱!』
チマチマと「効率よく吸う」ために作られたサクラの細密な回路が、拳士が叩き込んだ過剰な「命の熱」に耐えきれず、激しい火花を散らしてショートした。白銀のトゲが焼き切れ、完璧だった迎撃の計算がコンマ一秒だけ狂う。
サクラの顔から余裕が消えた。その一瞬の隙——計算の外側へ、拳士の右ストレートが突き刺さる。
「そこだッ!!」
過負荷で固まっていたサクラのアゴを、拳士の拳が真下から打ち抜いた。
「バキィィン!!」
白銀の装甲が弾け飛び、サクラの身体が宙を舞ってキャンバスに叩きつけられた。
静寂がアリーナを包む。倒れたサクラが、ショートしたアーマーから煙を上げながら拳士を見上げた。
「……なぜ。効率的な吸収を……自ら壊すようなマネを……」
「お前の計算は綺麗だったよ。だがな、計算通りに吸えると思うな。俺の命は……お前のちっぽけなタンクに収まるほど冷めちゃいねえんだ」
福山の夜空に、バラの形の打ち上げ花火が上がった。観客は静まり返り、言葉を失っていた。
『寿命移譲を完了しました。+10年』
「バラにはトゲがあるって言ったろ」と拳士は煙を吹く腕を下ろした。「だがな、熱すぎる命は……トゲから中身を焼き尽くすんだよ」




