第53話:理性の欠落(ロスト・ロジック)
【1】
三次の準備室。
無機質なモニター越しにリングを見つめる伊勢谷の表情は、氷のように冷たかった。画面の中では、回転しつつもバランスを崩した拳士が、鴉の猛攻に晒されている。
「……ダメだ。予測アルゴリズムが、拳士くんの回転運動と鴉の落下ベクトルを合わせきれない。……このままじゃ、拳士くんのアーマーが先に限界を迎える」
伊勢谷は拳を握りしめ、端末を操作する指が震える。彼がここを離れたのは、次戦に向けた拳士のアーマー調整を急ぐためだった。だが、今の状況は「次の試合」など存在しない未来を突きつけていた。
【2】
リング上。
「……はぁ、はぁっ……くそっ……!」
拳士は地面を蹴って回転し、鴉のスタンプを紙一重でかわし続ける。しかし、回転を繰り返すたびに、からくりアーマーの関節ユニットには限界を超える負荷がかかっていた。
「避けるたびに寿命を削り、回転するたびにユニットが悲鳴を上げる。……どっちに転んでも死に体だな、広島の狼!」
鴉は笑いながら、再び跳躍した。今度は、拳士の回転速度を完全に読み切った軌道で。
【3】
「畑山さん……!」
「分かってる! 拳士、無駄な動きをするな! そのままじゃ、ユニットが焼き切れるぞ!!」
畑山の叫びも、もはや霧の中に虚しく消える。
拳士のウォッチが、最後の一年を切ったことを告げる警告音を鳴らした。これが止まれば、心臓が止まる。
「……ああ、わかってるさ。計算なんて、もう知らねえよ!」
【4】
拳士は、止まった。
鴉が最高到達点から、再び急降下を開始したその瞬間。
あれほど避けていたスタンプを、拳士は正面から受け入れる姿勢をとった。
「……おい、まさか!」
畑山が息を呑む。拳士は、自分を「突き刺す」ための踏み台になったのだ。鴉の脚が、拳士の左肩の装甲を突き破り、深く、深く食い込む。
【5】
「捕まえた……!!」
激痛に顔を歪ませながら、拳士は突き刺さった鴉の右脚を、両腕でロックした。
計算も、理論も、回避もない。ただ、相手を逃がさないための、獣の抱擁。
「ひ、離せ! この狂人ッ!!」
「離すもんか。……お前は空の王者かも知れんが、ここは地上だ。……泥の味がする、三次のリングだぞ!!」
拳士は肩に脚が突き刺さったまま、鴉のバランスを強引に引きずり下ろし、体重のすべてをかけて地面へと叩きつけた。
【6】
激しい土煙が舞う。
モニター越しに、伊勢谷が立ち上がった。
「……計算外。……そんな無理な姿勢で、荷重をかけるなんて……」
泥の中に沈む二人。
霧の向こうで、決着の時が刻まれていた。




