揺らめく影、佐世保の底力
「——あーあ、リキの奴、高みの見物なんて柄じゃないやんね」
第三リング。菊池は観客席で退屈そうに鼻を鳴らす力武を横目に、軽く肩を回した。
対戦相手は、三次の「のっぺらぼう」と呼ばれる男、泥水。その名の通り、泥水は構えを持たない。上半身を柳のようにゆらゆらと揺らし、関節があるのかさえ疑わしい動きでリング上を漂っている。
「……捕まえどころがないね。幽霊とボクシングしてるみたいだ」
リング下で伊勢谷が呟いた。泥水の動きには「起点」がない。どこからパンチが飛んでくるか、どこに重心があるか、視覚情報が全て攪乱されていた。
「ひょいッ、ひょいッ」
泥水が奇妙な声を上げながら、予測不能な角度から拳を突き出す。菊池はそれを紙一重でかわすが、泥水の体はそこからさらにしなり、背後から腕が回ってくるような軌道で側頭部を狙った。
「ガッ!!」
「……ちっ、気持ち悪い動きやんね。佐世保の海にも、こんなヌルヌルした奴はおらんかったばい」
避けたと思った場所から「生えてくる」ように追撃が来る。菊池は翻弄され、徐々にリングの端へと追い詰められてゆく。
「どうした、佐世保の。王者の相棒が、ただの『添え物』だったって証明してやるよ」
泥水の体が低く沈み込み、そこからバネのように跳ね上がって、菊池の顎へ変幻自在の右を放った。
「——添え物? ……ハッ、笑わせんで」
菊池の瞳が、冷徹な光を放った。
彼は泥水のパンチを避けるのをやめ、揺らめく腕を自分の腕で「絡め取った」。
「……何ッ!? この状態で……!」
「リキの相手をずっと務めてきた俺が、軟弱なパンチで倒れるわけなかろうが。……お前の動きは、波と同じたい。……引く時が、一番脆い」
菊池のからくりアーマーが激しく火花を散らす。泥水の流動性が、絡め取られた腕を支点に強制的に止まった。
「——沈め、泥水ッ!!」
ショートフック。急所だけを的確に撃ち抜く、鋭く速い一撃。
「カハッ……ッ!!」
泥水の「ゆらゆら」が止まり、その肉体が真っ直ぐに崩れ落ちた。
菊池はふう、と息を吐き、乱れた髪をかき上げた。
「リキがいなくても、俺一人で十分たい。……拳士、伊勢谷。準決勝で待っとるばい」
観客席の力武が、満足げに笑みを浮かべた。




