懐(ふところ)の死神
「——何、だと……?」
入道の困惑が、霧を震わせた。
ゆっくりと立ち上がった拳士は、構えを解いていた。両腕を力なく下げ、顎も腹も剥き出しにする、完全な「ノーガード」。
「狂ったか、広島の狼! ならばその生身の顔面に、地獄のリーチを叩き込んでやるッ!!」
入道が右腕を解放する。ガスシリンダーが咆哮し、三メートルを超える拳が、拳士の眉間を目掛けて最短距離を貫いた。
パンチが着弾する直前、拳士は首をわずかに傾け、その「腕」を自分の肩に斜めに滑り込ませた。
「ガッ!!」
激痛。だが、拳士の瞳は死んでいなかった。
「……捕まえた。……お前の腕が伸び切るその瞬間だけ、俺とお前の『一秒』は、繋がるんだよッ!!」
伸び切った腕は、すぐには戻らない。拳士は肩にめり込んだ入道の腕を、脇に挟んで固定した。力武が可部で見せた、あの肉の万力だ。
異形のリーチは、懐に潜り込まれた今、ただの「邪魔な棒」へと成り下がっていた。
拳士はノーガードのまま、残されたわずかな寿命をすべて脚の駆動系に叩き込み、入道の本体へと爆発的な突進を見せた。
一気にゼロ距離。入道の本体は遠距離特化ゆえに生身の防御が脆い。拳士の右が、剥き出しの喉元へ突き刺さる。
「ガハッ……あ……ッ!?」
入道の巨大な伸縮アームが、機能を失って力なくキャンバスに落ちた。
拳士は止まらない。顎、レバー、そして心臓。霧に隠れていた三次のリングに、入道のアーマーが砕け散る乾いた音が響き渡る。
「お前が引き延ばしたリーチの分だけ……俺が近づく時間が、短くなったんだよッ!!」
霧が、晴れていく。
最後に放たれた左フックが、入道の巨体を霧の向こう側へと吹き飛ばした。
「……見たか、力武。……俺も、泥を啜ってここまで来たぜ」




