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『寿命の拳(からくり・ボクシング)』  作者: 水前寺鯉太郎
第二章

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凍てつく再起

第37話:凍てつく再起


 【1】

 二一〇〇年十二月。

 広島の街に凍てつくような冬の風が吹き抜ける中、西区の古びた熊沢ジムだけは、季節を忘れたような熱気に包まれていた。

 「——ぬるいぞ、拳士ィッ!!」

 畑山の咆哮と共に、加速装置ブーストを効かせた右フックが空気を切り裂く。

 拳士はそれを紙一重でかわし、カウンターを狙う。だが、具志堅に砕かれた顎の傷が、激しい動きのたびに鈍い痛みを訴えていた。一ヶ月の休養を経て再開したスパーリング。肉体は戻りつつあるが、失った「六年」という時間は、ウォッチの数字として残酷に拳士の視界に居座り続けていた。

 【2】

 「……はっ、はっ……まだだ、まだ終わっちゃいねえ……!」

 拳士は、飛び散る汗を振り払いながら再び踏み込んだ。

 畑山はかつての敵とは思えぬほど献身的に、しかし情け容赦なく拳を叩き込んでくる。彼は知っているのだ。具志堅の「零コンマ一秒」や力武の「鉄の質量」を越えるには、これまでの延長線上にある努力では決して届かないことを。

 「拳士。お前のクロスカウンターは確かに凄え。だが、具志堅には見切られ、力武には肉で止められた。……足りねえんだよ。お前の『一秒』には、まだ何かが足りねえ!」

 【3】

 「……分かってる。だから、こうして打たれてんだろッ!」

 拳士が放った右ストレートが、畑山のガードを激しく叩く。

 その様子を、ジムの隅で竹原が静かに、そして鋭い眼光で見つめていた。傍らには、タブレット端末を片手に数式を書き込み続ける伊勢谷の姿もある。伊勢谷もまた、敗北の痛みを糧に、自らの「手数」をどう「質」へと変えるか、その計算に没頭していた。

 【4】

 「熊沢さん。拳士の動き、どう見えるかのう」

 竹原が、隣で腕を組む熊沢に問いかけた。

 「……焦っとるな。失った寿命を取り戻そうとして、パンチが『速さ』にばかり寄っとる。具志堅と同じ土俵で戦おうとしとるが、ありゃあ悪手じゃ。ワシの真似事をして本物のワシに勝てる道理はなかろう」

 熊沢の指摘は、ベテランらしい厳しさに満ちていた。

 【5】

 スパーリングが終わり、拳士はリングのロープに身体を預けて激しく肩で息をした。

 「……畑山さん、ありがとうございました」

 「礼はいらねえよ。俺も、あんな化け物どもの戦いを見せられて、血が騒いでんだ」

 畑山が、ウォッチに刻まれた自分の寿命をちらりと見て笑う。

 「拳士。お前の残りは、もう十年を切ってる。……次負けたら、本当の『死』だぞ」

 【6】

 「——ああ。だからこそ、次はもう負けねえ」

 拳士は、窓の外で降り始めた初雪を見つめた。

 白く染まりゆく広島の街。

 力武が手にした「十二年」という輝かしい時間と、自分が背負う「数年」という絶望的なまでの格差。

 だが、冷え切った拳士の胸の奥では、あの決勝戦で見た「不条理な熱」が、今も消えることなく静かに燃え続けていた。

 

 小松原拳士の、本当の「一秒」を探す旅が、ここから再び始まろうとしていた。

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