不滅の五拍子(エンドレス・ビート)
第35話:不滅の五拍子
【1】
「——ナインッ!!」
審判の絶叫がアリーナに響き、その腕が「テン」を告げるために振り下ろされようとした、その刹那だった。
力武の血塗られた右手がキャンバスを掴み、具志堅の砕けた左足がバネのように弾けた。
二つの肉体が、まるで見えない糸で引き上げられたかのように、同時に、そして完璧に同じタイミングで立ち上がったのだ。
「……う、嘘だろ……」
観客の誰かが漏らした呟きが、静寂を破る合図となった。割れんばかりの、地鳴りのような咆哮がアリーナを包み込む。本来ならここで試合終了、引き分けによる寿命全徴収のはずだった。だが、二人の瞳に宿る、システムさえも焼き切るような「殺意」の光が、審判の宣告を躊躇わせた。
【2】
二人は無言のまま、再び拳を構えた。
力武のアーマーはもはや九割が消失し、剥き出しの背筋からは過熱した「マブイ(魂のエネルギー)」が陽炎となって立ち昇っている。対する具志堅も、自慢の『島風』をすべてパージ(脱装)し、痩身ながらも鋼のように研ぎ澄まされた生身の体で対峙していた。
ウォッチの残量は、両者共に「数日」を切っている。次の一撃が空振りしただけで、その稼働エネルギーさえ足りずに命が尽きる……そんな極限の崖っぷち。
【3】
「……規定ラウンド終了。だが、両者続行の意志ありと見なす!!」
審判が狂ったように叫び、青ざめた手でゴングを叩いた。
「——第五ラウンド、開始ッ!!」
カァァァン、という乾いた音が、世界の終わりのように鳴り響いた。
その瞬間、二人は示し合わせたように同時に踏み込んだ。もはや「零コンマ一秒」の駆け引きも、排熱の読み合いも存在しない。ただ、相手の存在をこの世から消し去るためだけの、純粋な物理的衝突。
【4】
観客席の拳士は、その光景を前に、立ち上がることもできずに震えていた。
「……あいつら、もうウォッチを見てねえ。……自分の命がどれだけ残ってるかさえ、どうでもよくなってやがる」
伊勢谷も、手元の端末を握りつぶさんばかりに凝視していた。
「計算不能……。現在のエネルギー燃焼レートを数式化すれば、本来なら十秒前に心停止していなければおかしい。……彼らは今、未来の寿命ではなく、過去の『記憶』や『矜持』を燃料にして動いている……!」
【5】
力武の右が具志堅の脇腹を抉れば、具志堅の左が力武の喉元を打つ。
当たれば死ぬ。外れても死ぬ。
そんな「死」の網目を縫い合わせるように、二人の拳が空気を切り裂き続ける。
「——長崎ィッ!!」
「——沖縄ァッ!!」
二人の咆哮が重なり、リング中央で激しい火花が散った。それはアーマーの火花ではなく、魂が摩擦して発せられる、命の最後の一閃だった。
【6】
その時、拳士のウォッチが不気味に共鳴した。
敗北して止まっていたはずの秒針が、リング上の二人の熱に当てられたかのように、激しく震え始める。
「……一秒……」
拳士は包帯に塗れた口元で、小さく呟いた。
「一秒を燃やすんじゃねえ。……一秒を、永遠に引き延ばすんだ……!」
広島のドヤ街で死にかけていた少年が、二人の怪物の死闘を教科書に、ついに「システムの向こう側」にある真理に手を伸ばそうとしていた。




