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『寿命の拳(からくり・ボクシング)』  作者: 水前寺鯉太郎
第一章

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35/40

不滅の五拍子(エンドレス・ビート)

第35話:不滅の五拍子エンドレス・ビート


 【1】

 「——ナインッ!!」

 審判の絶叫がアリーナに響き、その腕が「テン」を告げるために振り下ろされようとした、その刹那だった。

 力武の血塗られた右手がキャンバスを掴み、具志堅の砕けた左足がバネのように弾けた。

 二つの肉体が、まるで見えない糸で引き上げられたかのように、同時に、そして完璧に同じタイミングで立ち上がったのだ。

 「……う、嘘だろ……」

 観客の誰かが漏らした呟きが、静寂を破る合図となった。割れんばかりの、地鳴りのような咆哮がアリーナを包み込む。本来ならここで試合終了、引き分けによる寿命全徴収のはずだった。だが、二人の瞳に宿る、システムさえも焼き切るような「殺意」の光が、審判の宣告を躊躇わせた。

 【2】

 二人は無言のまま、再び拳を構えた。

 力武のアーマーはもはや九割が消失し、剥き出しの背筋からは過熱した「マブイ(魂のエネルギー)」が陽炎となって立ち昇っている。対する具志堅も、自慢の『島風』をすべてパージ(脱装)し、痩身ながらも鋼のように研ぎ澄まされた生身の体で対峙していた。

 ウォッチの残量は、両者共に「数日」を切っている。次の一撃が空振りしただけで、その稼働エネルギーさえ足りずに命が尽きる……そんな極限の崖っぷち。

 【3】

 「……規定ラウンド終了。だが、両者続行の意志ありと見なす!!」

 審判が狂ったように叫び、青ざめた手でゴングを叩いた。

 「——第五ラウンド、開始ッ!!」

 カァァァン、という乾いた音が、世界の終わりのように鳴り響いた。

 その瞬間、二人は示し合わせたように同時に踏み込んだ。もはや「零コンマ一秒」の駆け引きも、排熱の読み合いも存在しない。ただ、相手の存在をこの世から消し去るためだけの、純粋な物理的衝突。

 【4】

 観客席の拳士は、その光景を前に、立ち上がることもできずに震えていた。

 「……あいつら、もうウォッチを見てねえ。……自分の命がどれだけ残ってるかさえ、どうでもよくなってやがる」

 伊勢谷も、手元の端末を握りつぶさんばかりに凝視していた。

 「計算不能……。現在のエネルギー燃焼レートを数式化すれば、本来なら十秒前に心停止していなければおかしい。……彼らは今、未来の寿命ではなく、過去の『記憶』や『矜持』を燃料にして動いている……!」

 【5】

 力武の右が具志堅の脇腹を抉れば、具志堅の左が力武の喉元を打つ。

 当たれば死ぬ。外れても死ぬ。

 そんな「死」の網目を縫い合わせるように、二人の拳が空気を切り裂き続ける。

 「——長崎ィッ!!」

 「——沖縄ァッ!!」

 二人の咆哮が重なり、リング中央で激しい火花が散った。それはアーマーの火花ではなく、魂が摩擦して発せられる、命の最後の一閃だった。

 【6】

 その時、拳士のウォッチが不気味に共鳴した。

 敗北して止まっていたはずの秒針が、リング上の二人の熱に当てられたかのように、激しく震え始める。

 「……一秒……」

 拳士は包帯に塗れた口元で、小さく呟いた。

 「一秒を燃やすんじゃねえ。……一秒を、永遠に引き延ばすんだ……!」

 広島のドヤ街で死にかけていた少年が、二人の怪物の死闘を教科書に、ついに「システムの向こう側」にある真理に手を伸ばそうとしていた。

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