零秒の彼方
音が、消えた。
二人の拳が互いの顔面で交差した瞬間、怒号も駆動音も、すべてが真空に吸い込まれたかのように沈黙した。
崩れ落ちる二つの巨躯。
ドサリ、という重い音が二重に重なり、キャンバスから砂埃と砕けたセラミックの破片が舞い上がった。力武はうつ伏せに、具志堅は仰向けに。ピクリとも動かないその姿は、戦場に遺された鉄の残骸のようだった。
「……ダブル・ダウン」
審判の声が、震えている。
「ワン! ツー! スリー!……」
大型モニターに、二人のウォッチの残量が映し出された。どちらも「数年」という危険域。観客は、自分たちの呼吸音さえ憚られるような緊張の中で、その数字を見守っていた。
観客席の拳士は、フェンスを握りしめる指に血が滲むほど力を込めていた。
「……立て。立てよ、二人とも。こんなところで、システムの藻屑になって終わんじゃねえぞ」
顎を砕かれ、敗北した自分がここにいる。その自分を絶望の底へ突き落とした強者たちが、今、無様に泥を舐めている。その事実が、拳士の胸を激しく締め付けた。
「——命の重さは、ここから決まるんじゃ」
隣で竹原が、酒の瓶を握りしめたまま、かつてないほどに鋭い眼光でリングを見つめていた。
意識の深淵。
力武は、佐世保の冷たいドックの底にいた。叩いても、叩いても、終わらない鉄の響き。
(……俺の命は、鉄板たい。……こんなところで、冷えてたまるかっ!!)
指先が、キャンバスを掴む。
一方、具志堅は、沖縄の蒼い空を飛ぶ鷲の夢を見ていた。ひび割れたアーマーから、最後の一滴まで寿命を搾り出すような排熱音が漏れる。
「……セブン! エイト!……」
審判の声が裏返る。
その時、力武の右肩が大きく跳ね上がった。続いて、具志堅の左足がキャンバスを強く蹴った。
二人は、折れた骨の痛みも削り取られた寿命の恐怖も、すべてを無意識の彼方へ放り投げ、ただ「立ち上がる」という一点のためだけに全細胞を奮い立たせた。
「カチリ」
二人のウォッチが、同期したように赤く激しく明滅する。
先に膝を突くのは誰か。先に視線を上げ、相手を射抜くのはどちらの意志か。




