表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『寿命の拳(からくり・ボクシング)』  作者: 水前寺鯉太郎
第一章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

34/41

零秒の彼方

第34話:零秒の彼方


 【1】

 音が、消えた。

 二人の拳が互いの顔面で交差した瞬間、アリーナを揺らしていた怒号も、アーマーが放つ駆動音も、すべてが真空に吸い込まれたかのように沈黙した。

 崩れ落ちる二つの巨躯。

 ドサリ、という重い音が二重に重なり、キャンバスからは砂埃と、砕けたセラミック装甲の破片が舞い上がった。力武はうつ伏せに、具志堅は仰向けに。ピクリとも動かないその姿は、まるで戦場に遺された鉄の残骸のようだった。

 【2】

 「……ダブル・ダウン」

 審判の声が、震えている。

 「ワン! ツー! スリー!……」

 カウントが刻まれるたび、会場の大型モニターには、二人のウォッチの残量が映し出された。どちらも「数年」という危険域。このまま立ち上がれなければ、引き分けによる両者からの寿命徴収――すなわち、二人ともがこの場で「死」を迎える可能性さえあった。

 観客は、自分たちの呼吸音さえはばかられるような緊張感の中で、その数字を見守っていた。

 【3】

 観客席の拳士は、フェンスを握りしめる指に血が滲むほど力を込めていた。

 「……立て。立てよ、二人とも。こんなところで、システムの藻屑もくずになって終わんじゃねえぞ」

 顎を砕かれ、敗北した自分がここにいる。その自分を絶望の底へ突き落とした「絶対的な強者」たちが、今、無様に泥を舐めている。その事実が、拳士の胸を激しく締め付けた。

 「——命の重さは、ここからが決めるんじゃ」

 隣で竹原が、酒の瓶を握りしめたまま、かつてないほどに鋭い眼光でリングを見つめていた。

 【4】

 意識の深淵。

 力武は、佐世保の冷たいドックの底にいた。

 叩いても、叩いても、終わらない鉄の響き。

 (……俺の命は、鉄板たい。……熱ば入れて、叩いて、鍛えて……。こんなところで、冷えてたまるかっ!!)

 指先が、キャンバスを掴む。

 一方、具志堅は、沖縄の蒼い空を飛ぶ鷲の夢を見ていた。

 (……零コンマ一秒の先へ……。俺は、誰よりも速く……光の速さで、あの空へ戻らなきゃいけないんだ……!)

 ひび割れたアーマーから、最後の一滴まで寿命を搾り出すような排熱音が漏れる。

 【5】

 「……セブン! エイト!……」

 審判の声が裏返る。

 その時、力武の右肩が大きく跳ね上がった。

 続いて、具志堅の左足がキャンバスを強く蹴った。

 死んでいたはずの鉄塊に、再び命の火が灯る。二人は、折れた骨の痛みも、削り取られた寿命の恐怖も、すべてを無意識の彼方へ放り投げ、ただ「立ち上がる」という一点のためだけに、全細胞を奮い立たせた。

 【6】

 「カチリ」

 二人のウォッチが、同期したように赤く激しく明滅する。

 先に膝を突くのは誰か。

 先に視線を上げ、相手を射抜くのはどちらの意志か。

 二一〇〇年十一月末。広島のリングに、今、人類の歴史で最も長い「十秒間」が流れていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ