二つの残響(ダブル・ダウン)
第26話:二つの残響
【1】
全身を走る青い火花。寿命を電気信号に変えて無理やり再起動させた拳士の肉体は、文字通り「壊れかけの機械」だった。膝を震わせ、吐血しながらも立ち上がったその姿に、アリーナの観衆は息を呑んだ。それはもはや勇気などという綺麗な言葉ではなく、死に損ないの執念そのものだった。
だが、具志堅の瞳に映ったのは、憐れみでも恐怖でもなかった。
「……無意味だよ。壊れたなら、そのまま眠っていればよかったものを」
具志堅が、左足を一歩、鋭く踏み込む。その動作には一糸の乱れもない。
【2】
「閃光」だった。
拳士は避けることすら考えられなかった。いや、脳が認識した時には、具志堅の左拳はすでに拳士の顔面、その正中線を真っ向から撃ち抜いていた。
「カハッ……!」
クリーンヒット。
不条理なほど正確で、冷酷なまでに重い。先程のカウンターよりも深く、拳士の脳を揺さぶった一撃。拳士の視界は、火花を散らすこともなく、一瞬で深い漆黒へと塗り潰された。再び、抵抗する間もなくマットへと沈みゆく肉体。背中からキャンバスに叩きつけられた衝撃さえ、もう彼には届いていなかった。
【3】
「……チェックアウトだ、広島」
具志堅が静かに呟くと同時に、リングの対角でも一つの「終焉」が訪れていた。
具志堅の援護を得た我那覇が、伊勢谷のガードの隙間を抉り、渾身の右を叩き込んだのだ。伊勢谷の華奢な身体が宙を舞い、拳士のすぐ隣、血に染まったキャンバスへと崩れ落ちる。
二人のウォッチが重なり合うように警告音を発する。それは、終わりを告げる不吉な二重奏だった。
【4】
「拳士! 伊勢谷! クソッ、立たんかぁぁぁッ!!」
セコンドの畑山が狂ったようにフェンスを殴りつけるが、二人は微動だにしない。
会場を埋め尽くしていた広島の歓声は、氷を打ったような静寂に変わった。リング上に立っているのは、汗一つ乱れていない具志堅と我那覇だけだ。鷲に狩られた狼たちは、冷たい床の上でピクリとも動かない。
審判の腕が、再び大きく振られる。
「ワン! ツー! スリー! ……」
【5】
観客席の力武は、握りしめていた拳をゆっくりと開き、背もたれに深く体重を預けた。
「……終わりたい。格差ば思い知らされたばいね」
菊池もまた、何も言わずにリングを睨んでいた。彼らが期待していた「野性の逆転劇」は、具志堅というシステムの最高傑作によって、あまりにも呆気なく、完璧に圧殺された。
「……立てんか、拳士。……お前の『一秒』は、ここで消えてしまうとか」
力武の呟きは、怒号の消えたアリーナに、虚しく吸い込まれていった。
【6】
意識の深淵。
拳士は、ドヤ街の冷たい雨の中にいた。
誰からも顧みられず、ウォッチの数字が「0」になるのを待つだけの、あの日々。
(……ああ、そうだった。俺は、いつだってこうして泥の中にいたんだ)
遠のく審判のカウント。隣で倒れている伊勢谷の、弱々しい鼓動。
すべてが消えようとしたその瞬間、拳士の耳の奥で、カチリ、と「時計の針が逆回転する音」が聞こえた。




