猟犬と鉄槌
2100年11月16日。
昨夜の喧騒が嘘のように、アリーナの空気は冷え切っていた。二回戦・第二試合。リングに上がった秋田代表、藤堂とアンディのペアは、雪山の斜面に立つ一本の枯れ木のように、不気味なほど静かだった。
毛皮をあしらったアーマー『白銀の猟場』。その表面からは、周囲の熱を奪い去るような冷却蒸気が立ち昇っている。
「……力武。あいつら、ボクサーの目じゃなか。獲物を追い詰める猟師の目ばい」
菊池が珍しく警戒の色を浮かべ、低い声で言った。
「関係なか。熊だろうが鹿だろうが、佐世保のドックで叩き潰してきた鉄板よりは柔らかい」
力武は首の骨を鳴らし、生身の拳を握りしめた。
ゴングが鳴ると同時に、リングは「白濁した視界」に包まれた。超低温の冷却剤がアリーナの湿気と混ざり合い、即席の猛吹雪を作り出したのだ。
「——見えん!? 力武、どこにおるっ!」
からくりのセンサーさえも、異常な低温でエラーを吐き出す。その霧の中から、音もなく秋田の牙が剥かれた。藤堂の突きは、獲物の心臓を一撃で射抜く「止め刺し」の動きだった。
力武の脇腹に鋭い衝撃が走る。打たれた箇所から凍りつくような冷気が流れ込み、ウォッチが『マイナス三ヶ月』を刻んだ。
秋田ペアの戦術は、徹底した「追跡」と「消耗」だった。大振りはしない。吹雪に紛れ、相手の動きが鈍った瞬間に急所を突く。力武の肩にアンディの重い一撃が突き刺さる。一分経つごとに「寒さ」で数週間分の寿命が自動的に引き落とされていく。長崎の熱い血が、冷徹な計算によって凍らされようとしていた。
「——菊池、伏せろ」
不意に、力武が地を這うような声で言った。
「力武?」
「喧嘩に『天候』は関係なか。相手が見えんとかなら、全部壊せばよかと」
力武が自らのウォッチから一気に「二年分」の寿命を引き出した。加速でも防御でもない。純粋な「熱」としての放電だ。
「おおぉぉぉぉぉぉッ!!」
全身から造船所の溶鉱炉のような赤い熱気が噴き出し、リングを覆っていた人工の吹雪を一瞬で蒸発させた。
霧が晴れた中心で、藤堂とアンディが目を見開く。
「……化け物め。命をそんな使い方で……」
藤堂が次の一撃を放とうとした瞬間、力武の左手がそのアーマーの首元を生身で掴み取り、逃げ場を奪った。
「猟師様……。悪いが、俺たちは獣じゃなか。……鉄を叩く、鉄の塊たいッ!」
力武の右ストレートが、藤堂の胸元に真っ向から激突した。
「ガッシャァァァァン!!」
藤堂のアーマーは内側からひしゃげ、背後のアンディをも巻き込んでリングの壁へと吹き飛んだ。
「……テン。勝者、力武、菊池タッグ!」
『寿命移譲を完了しました。+6年』
力武は白煙を上げる自らの拳をじっと見つめ、その後、観客席で肩を負傷したままの拳士を刺すような視線で射抜いた。
「……広島。次じゃ。……次で、お前の『一秒』が鉄板より硬いか、俺が試してやる」




