静寂のフィナーレ
拳士は、ゆっくりと両腕を下ろした。
「……なっ、何を考えとるんや、広島ッ!」
田上が動揺に声を荒らげる。観客席からもどよめきが上がった。無防備に晒された顔面。だが拳士の瞳だけは、田上の拳の軌道を蛇のような執念で見据えていた。
「死にたいんやな! 望み通り、一瞬で終わらせたるわッ!」
一秒に十発のジャブが、ガードのない肉体に突き刺さる。打たれるたびに、ウォッチから残りの「年」がこぼれ落ちてゆく。
『マイナス二ヶ月……マイナス半年……残り寿命、10年を切りました』
警告音が鳴り響く。だが拳士は一歩も引かない。田上の連打が、わずかにその鋭さを失う瞬間を、打たれながら「待って」いた。
変化が生じた。
一秒に十発だったジャブが、九発、八発へと落ちてゆく。寿命を過剰に燃やした反動。アーマーの隙間から噴き出す紫色の蒸気が、どす黒く変色し始めた。
「はっ……はっ……なんや、このガキ……。なんで、倒れへんのや……!」
田上の瞳に、初めて「死」への恐怖が浮かぶ。自らの命を切り売りして放つ連打が、目の前の野性を沈められない。その事実が、田上のリズムを根底から狂わせた。
「——そこだ」
田上の左ジャブが、疲労によってわずかに外側へ流れた。拳士はその隙間に、自らの頭を滑り込ませた。ノーガードでいたのは、この一瞬の最短距離を確保するためだった。
「歌い疲れたろ、大阪。……これが、幕引きだッ!」
拳士の右拳が、田上の下顎を真っ向から撃ち抜いた。スピードを制御できなくなった田上の身体に、全体重とドヤ街で培った絶望のすべてが乗ったクロスカウンターが炸裂する。
「バギィィィィィィィィン!!」
衝撃が防護機能を完全に貫通した。下顎から脳へと突き抜ける振動。田上のウォッチが激しく明滅し、ぷつりとその赤い光を失った。
宙を舞ったのは田上だった。マイクを離した歌手のように、静かにキャンバスへと沈んでいった。
「……テン! 勝者、小松原拳士、伊勢谷タッグ!!」
審判の宣告と同時に、耳を刺すような静寂が訪れた。崩れ落ちたアーマーの金属音だけが冷たく響く。
『寿命移譲を完了しました。+6年』
膝をついたまま、拳士は隣の伊勢谷を見た。
「……伊勢谷、ライブは……中止だ」
「ああ。最高の静寂だったよ、小松原くん」
畑山がリングに駆け上がり、拳士の頭を乱暴に撫でた。
「よくやったッ! あんな博打、二度とすんじゃねえぞ、この大馬鹿野郎がッ!」
畑山の瞳に、熱い涙が滲んでいた。
観客席で、力武が冷めた目のまま拳を固く握りしめ、席を立った。
「……見苦しか。でもあのガキの『一秒』、確かに受け取ったばい」
「力武、次はいよいよ俺たちたい。秋田のドブネズミを、佐世保の海に沈めてやろうや」
菊池の不敵な笑みが、暗闇の中で白く光った。




