セコンドの咆哮
第19話:セコンドの咆哮
【1】
「よしッ! そのまま沈めとけッ! 拳士、伊勢谷、手を休めるな! 残りの一匹もまとめて焼き尽くせッ!!」
リングサイドのフェンスを激しく叩き、身を乗り出して叫んでいるのは畑山隆則だった。かつて自らの全寿命を燃やして拳士と戦った男の瞳には、今、自らが戦っている時以上の「熱」が宿っている。
「ええか拳士、奴は相棒を失って理性を飛ばしとる! そこが一番危ねえし、一番のチャンスや! 伊勢谷、お前は冷静に奴の関節を狙え! 削り倒せッ!」
畑山の放つ「熱」が、セコンド席から物理的な熱風となってリングに流れ込む。拳士はその怒声に背中を押されるように、砕けた肩の痛みをアドレナリンで押し殺した。
【2】
一方、対角の赤コーナーでは、大阪側のセコンドが狂ったようにタブレットを叩き、田上に絶叫していた。
「田上、何しとんねん! 亀田が沈んだらライブは中止や、それだけは絶対あかん! アーマーの出力を全開放しろ! 『アンコール』や、残りの寿命を全部注ぎ込んで、一人でもええから道連れにするんやッ!」
大阪側の指示は、もはやボクシングの戦術ではなかった。相棒を失い、観客の期待を裏切った汚名をそそぐための、絶望的な特攻指令。
田上のウォッチが、血のような不気味な紫色の光を放ち始める。彼は一人で「二人分の手数」を補うべく、肉体の限界を超えたオーバードライブを起動させた。
【3】
「……ああ、わかっとる。亀田のライブは、まだ終わらせへんで」
田上の瞳から、先程までの余裕が消え、底知れぬ漆黒の殺意が溢れ出した。
ゴングが鳴る。
田上の突進は、一ラウンド目の比ではなかった。左右から放たれる連打は、もはや打撃音ではなく、空気を引き裂く連続的な爆鳴音となって伊勢谷を襲う。
「っ……速い! 一人でこれほどの演算速度を……!」
伊勢谷が防戦に回る。田上の一撃一撃に込められた「呪い」のような寿命の重さが、伊勢谷のウォッチを『マイナス一ヶ月』ずつ、猛烈な勢いで削り取っていく。
【4】
「伊勢谷、耐えろッ! そいつの『一秒』は、長くは持たねえッ!」
畑山の声が、鼓膜を破らんばかりに響く。
「拳士、お前はそいつの『呼吸の合間』を見ろ! どんだけ手数があっても、一箇所だけ……必ず音が止まる瞬間がある! そこが、お前の打ち込む場所だッ!」
畑山の指示は的確だった。彼はかつて拳士のカウンターに敗れたからこそ、その「一瞬の隙」がどこに生まれるかを、誰よりも熟知していた。
拳士は、伊勢谷の背後に隠れるようにして、田上の連打の「隙間」を凝視した。
紫色の火花を散らしながら、狂ったように拳を振るう田上。
確かに、ある。
数百発の連打の果て、次の「旋律」に移行する瞬間の、わずかコンマ零数秒の静寂。
【5】
「……見えたぜ、畑山さん」
拳士が、重心を低く沈める。
田上は伊勢谷を仕留めようと、全寿命を注ぎ込んだ超高速の右フックを繰り出した。
「終わりや! 地獄で亀田の歌、聴きやがれッ!」
「——あいにく、音痴の歌は聞き飽きたんだよ」
拳士の右が、田上の「アンコール」を強制終了させるべく、最短距離を走り抜けた。
セコンドの畑山が、勝利を確信したように拳を突き上げる。
広島のドヤ街、そして長崎の喧嘩屋たちをも震わせる、二度目の沈黙が訪れようとしていた。




