音速のノイズ
二ラウンドのゴングが鳴った瞬間、リングは消失した。
少なくとも、観客の目にはそう映ったはずだ。伊勢谷、亀田、田上。三人の高速ボクサーが交差する中心で、空気が悲鳴を上げ、アーマーの駆動音が幾重にも重なって一つの巨大な「ノイズ」と化していた。
伊勢谷が放つ一秒六発の刺突を、亀田が歌いながら紙一重でかわし、その隙間に田上がボディブローを叩き込む。実況の声も追いつかない。
「小松原くん、合わせるんだ……! 僕が彼らの『リズム』を狂わせる!」
伊勢谷の叫びが、打撃音の中に溶けた。亀田と田上のコンビネーションは、大阪の街で何千回と繰り返された即興演奏のような調和を見せていた。伊勢谷の精密な計算も、二人がかりの変則的なリズムによって、じわじわと処理落ちを起こし始めている。
拳士は、その嵐の只中にただ一人「静止」していた。
三人の打撃は合わせて一秒二十発を超える。だが、そのすべては「削り」だ。当たっても即死はしない。一秒、一分、一時間。少しずつ確実に命を摩耗させていく、冷たい雨だ。
(……速すぎて逆に『隙』がねえ)
ガードを固めたまま、野性の感覚だけを研ぎ澄ませる。この戦場で「一撃」の重みを持っているのは自分だけだ。この高速の世界を止められるのも、ドヤ街の泥にまみれたこの拳だけだ。
「ほな、そろそろクライマックス行こか! 小松原くん、君の『一秒』、僕らの『千発』で塗り潰してあげるわ!」
亀田が最高潮の笑顔で右拳を突き出す。田上がその影から、拳士の視界を奪うフリッカーを放つ。
その瞬間だった。
伊勢谷が自らのウォッチから一年分を無理やり引き出し、アーマーを過負荷させた。亀田に当てるためではない。亀田のステップを「一瞬だけ」物理的に封鎖するための壁だ。
「——ここだ、撃てッ!!」
逃げ場を失った亀田の動きが、コンマ数秒止まった。
高速のリズムが途切れ、完全な「空白」が生まれた。
「……歌い飽きただろ。……静かにしてろッ!」
拳士の右が、真っ直ぐに放たれた。カウンターでも利用でもない。自らの肉体の質量と、ドヤ街で積み上げてきた絶望のすべてを乗せた、一発だけ。
「バキィィィィィィィン!!」
亀田の華やかなアーマーが粉々に砕け散った。
パッション・リンクによって高まっていた観客の熱狂が、一瞬で凍りついた。
キャンバスに叩きつけられたのは、大阪のスターだった。
「……ごふっ……なんや、この……重さ……。俺の、ライブが……」
亀田の意識が闇に沈む。
手数が支配していたリングに、拳士の一撃がもたらした沈黙だけが残った。




