魂の質量
第14話:魂の質量
【1】
青白い炎が、視界のすべてを焼き尽くさんばかりに荒れ狂っていた。
オーバークロックによって物理限界を超えたモハメド・アリの拳が、拳士の左頬を掠める。肉が裂け、熱波でウォッチの警告音が悲鳴のような高音を奏でる。だが、拳士は目を逸らさなかった。ここで退けば、これまで燃やしてきた「一秒」がすべて嘘になる。
「……終わりだ、システム野郎!」
拳士は、一歩も引かずに踏み込んだ。
踏み出した足が、キャンバスを抉る。伊勢谷が削りに削り、ボロボロになったアリの防御機構。そのわずかな「澱み」に、拳士は己の生涯のすべて、そして18歳で止まった肉体の全質量を叩き込んだ。
【2】
「クロスカウンター」
アリの右ストレートが拳士の肩を砕くのと、拳士の右拳がアリの顎を貫くのは同時だった。
だが、衝撃の質が違った。
拳士の拳には、竹原から授かった「一秒をケチらない覚悟」が乗っていた。アリのオーバークロックされたエネルギーは、拳士の拳という支点を得て、行き場を失った奔流のようにアリ自身の内部へと逆流していった。
「バギィィィィィィィィン!!」
リング全体を震わせる轟音。
アリの白銀のアーマーが内側から弾け飛び、青い火花がリングを彩る。吹っ飛んだのは、ヘビー級の巨体だった。
【3】
アリの体が、スローモーションのように宙を舞い、マットへと沈んだ。
地響きと共にリングが大きく波打ち、その後には、心臓の鼓動すら聞こえそうなほどの静寂が訪れた。
「……1、2、3……」
審判のカウントが響くが、アリのウォッチはすでに機能を停止し、中身の回路から黒い煙が立ち昇っている。
「——テン! 勝者、小松原拳士、伊勢谷タッグ!」
【4】
『寿命移譲を完了しました。 +6年』
拳士のウォッチに、激闘の対価が刻まれる。
奪い取った6年。しかし、拳士は勝利の余韻に浸る余裕さえなかった。砕けた肩の激痛と、命を限界まで燃やした反動で、視界がチカチカと点滅している。
「……よくやったよ、小松原くん。僕の計算以上の、あまりに不合理な一撃だ」
伊勢谷が、ボロボロになったジャージの袖で額の汗を拭いながら、拳士の肩を支えた。
「不合理、か。……最高の褒め言葉だぜ、伊勢谷」
【5】
会場が熱狂と罵声に包まれる中、拳士は観客席の一点を見つめた。
そこには、立ち上がってこちらを睨みつける、力武と菊池の姿があった。
二人の瞳には、アリを倒した拳士への称賛など微塵もなかった。あるのは、獲物を定める獲物への、ギラついた飢えだけだ。
「終わったばいね、広島のガキ。……よか一撃やったばってん、俺たちの喧嘩は、あんなに綺麗には決まらんばい」
力武の低い声が、騒音を突き抜けて拳士の耳に届いた気がした。
次の相手は、システムが生み出した「伝説」ではない。
佐世保の泥にまみれ、人の命を鉄板と同じように叩いてきた、生粋の破壊者たちだ。
拳士は、血の混じった唾を吐き捨てた。
「……ああ、分かってるよ。次は、お前らを引きずり下ろしてやる」
2100年10月30日。
初戦を突破した拳士たちの前に、本当の地獄への門が開こうとしていた。




