■ 第2話 「干渉の感触」
第2話です。
まだ少し分かりにくい部分もあると思いますが、違和感をそのまま楽しんでもらえれば大丈夫です。
歓声は、しばらくのあいだ石の空間に残り続けていた。
幾重にも反響したそれは、やがてゆるやかに薄れていき、代わりに落ち着かないざわめきだけが場を満たしていく。中央では儀式が終わり、人々はそれぞれの役割へと散りはじめていた。勇者として選ばれたカインもまた、数人の従者に囲まれながら、奥へと続く通路へ歩き出している。
その様子を、俺はさっきと変わらない位置から見下ろしていた――はずだった。
「……変だな」
小さく呟いた声が、どこにも引っかからずに消えていく。
違和感の正体はすぐには掴めなかったが、意識を向けた瞬間、それは思った以上にはっきりと浮かび上がってきた。背中に感じていたはずの石の冷たさが、どうにも曖昧だった。確かにそこに触れていたはずなのに、その感覚だけがぼやけていて、はっきりと思い出せない。
試しに、自分の足元へ意識を向ける。
そこに“あるはずの”感触が、うまく掴めない。
座っている、という認識はある。だが、その重さも、姿勢も、どこか輪郭がぼやけているようで、現実のものとして手応えがない。
「……俺、ちゃんとここにいるのか?」
口にしてみてから、その言葉の意味が遅れて胸に落ちる。
いる、というのは何だ。
ここ、というのはどこだ。
考えようとした瞬間、意識は自然と別の方向へ引っ張られる。
カインの方だ。
通路へ向かって歩いていくその背中に、意識が吸い寄せられるように定まる。距離を詰めたわけでも、視点を移動させたわけでもない。それでも、先ほどよりもはっきりと、その動きが捉えられていた。
「……近くなった?」
いや、違う。
近づいたというよりも、最初から“そこを見ていた”かのような感覚だ。
距離というものが、うまく実感できない。
それでも一つだけはっきりしているのは、カインの動きが、さっきと同じように“揺れている”ということだった。
現実の動きの奥に、もうひとつの動きが重なっている。
踏み出す一歩の中に、わずかに異なる軌道が存在している。それは選ばれなかったはずの行動であり、実際には起こらないはずの可能性だ。それでも完全に消えきらず、薄く残っている。
「……あるな」
さっき見たものと同じだ。
見間違いでも錯覚でもない。意識を向ければ、はっきりとそこにある。
ゆっくりと手を伸ばす。
触れているのかどうかは分からない。ただ、そこに“重ねる”ように意識を向ける。
その瞬間、頭の奥にざらついた違和感が走った。
鋭い痛みではないが、無視できるほど軽くもない。耳鳴りに似た短いノイズが思考をかすめ、わずかに意識が揺らぐ。
「っ……」
息を詰める。
同時に、カインの足取りがほんのわずかに乱れた。
踏み出した位置が、ほんの数センチだけ外れる。そのせいで体勢が崩れるほどではないが、一瞬だけ動きがぎこちなくなる。
「……やっぱり、ズレる」
低く呟きながら、その変化を見つめる。
結果そのものは変わっていない。転ぶこともなければ、歩みが止まることもない。ただ、その過程に微かな歪みが生じている。
それでも、さっきよりもはっきりしていた。
「俺が触った、からだよな」
疑いようはない。
自分が意識を向けた瞬間にだけ起こる変化。それが偶然であるとは考えにくかった。
もう一度、試す。
今度は少しだけ強く意識を重ねる。
揺れているもうひとつの動きを、よりはっきりと掴むようにして。
その瞬間、頭の奥に走る感覚が一段階強くなった。
鈍く重い衝撃がこめかみの内側に広がり、思考がわずかに鈍る。視界の端が白く滲み、呼吸が浅くなる。
それでも、意識を外さない。
押す。
現実に選ばれなかった方へ、ほんの少しだけ寄せる。
すると、カインの足がぴたりと止まった。
「……え?」
前を歩いていた従者が振り返る。
カイン自身も戸惑ったように足元を見下ろし、何かに引っかかったかのようにその場で一瞬だけ動きを止める。
「どうした?」
「い、いえ……少し、変な感じがして」
言葉を選ぶように答えるカインの表情には、はっきりとした理由の分からない違和感が浮かんでいた。
「……なるほどな」
ゆっくりと息を吐く。
分かってきた。
俺が触れているのは、実際には選ばれなかった動きだ。
それをわずかに押し出すことで、現実の流れに歪みが生まれる。
だが、その代わりに――
「……負担、増えるな」
頭の奥に残る鈍い痛みが、はっきりとそれを示していた。
さっきよりも明らかに強い。何度も繰り返せば、まともに考えることすらできなくなるかもしれない、そんな感覚がある。
無制限に使えるものではない。
むしろ、使うほどに何かを削っているような、嫌な予感が付きまとう。
カインは何事もなかったかのように再び歩き出し、そのまま通路の奥へと消えていった。
だが――
「……見えない、わけじゃない」
ふと気づく。
姿は視界から消えているはずなのに、その位置だけはなぜか分かる気がした。
意識を向ける。
すると、先ほどまで見えていなかったはずの通路の先が、自然と認識の中に浮かび上がる。そこを進んでいくカインの背中が、ぼんやりとではなく、はっきりと捉えられていた。
距離を詰めたわけではない。
それでも、見えている。
「……なんだよ、これ」
思わず呟く。
自分の足元に意識を戻す。
だがそこにあるはずの感触は、やはり曖昧なままだった。
ここにいるという実感と、あいつを見ているという認識が、うまく結びつかない。
「……どこにいるんだ、俺は」
答えは出ない。
ただ一つだけ、はっきりしていることがある。
「……触れられる」
距離も位置も関係なく、あの“分岐”には手が届く。
それがどういう意味を持つのかは、まだ分からない。
だが。
「……見てるだけってわけでもない、か」
小さく息を吐く。
物語の外側にいるはずなのに、完全に切り離されているわけではない。
その中途半端な立ち位置が、妙に現実味を帯びていた。
この先、何が起こるのかは分からない。
それでも――
「……もう、知らなかったことにはできないな」
静かに呟き、意識をカインの方へ向ける。
それが自然なことのように、迷いなくできてしまう自分に、わずかな違和感を覚えながら。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
少しずつですが、主人公が置かれている状況と「できること」が見え始めてきます。
この先もゆっくり進んでいくので、引き続き読んでいただけたら嬉しいです。




