3.「君が助ければいい。だって君は、魔箒使いになれるんだから」
「レイを見なかった!? 昨日、あの子、帰りが遅くて怒って……っ家を飛び出してから、まだ帰ってこないの……!!」
テナの腕をつかみ、ローラさんは身を乗り出してそう言った。
詳しく話を聞くと、昨日魔法使いを見に行っていたレイは夕食の時間を過ぎても家に帰ってこなかった。
心配していたローラさんが帰ってきたレイの顔を見るなり叱りつけると、レイは泣き出して家を飛び出したそう。
「今までこんなことなかったし、すぐ戻ってくると思ってたんだけど…今朝になっても帰ってこないの」
憔悴したローラさんの目の下には、くっきりとしたクマが浮かんでいる。
「レイが行きそうな場所とか、心当たりはないんですか?」
テナの質問に、ローラさんは力なく首を振った。
「さっき兵士にも依頼したんだけど……」
「私も探します! ローラさんは少し休んでいてください」
ローラさんの手をそっと握り、元気づけるように笑いかける。
すると、ローラさんの表情がわずかに和らいだ。
「うん、そうね。……ありがとう」
テナに礼を告げ、ローラさんは再び歩き出す。だがその方向に彼女の家はない。
きっとローラさんは、まだレイを探し続けるつもりだ。
足取りのおぼつかないローラさんの背中を見つめ、テナは無意識に手を握りしめていた。
「商人さん」
「商人さん……て、僕のこと?」
「商人さん、せっかくお誘いいただいたのにすみません。私、レイを探さなくちゃ」
魔法使いの仕事風景を見れる機会なんてそうそうない。だけどそれより、今はレイの方が大事だ。
テナが見上げると、商人はにこにこと笑っていた。
「うんうん、いいよ〜。……ちなみに、探すなら僕は森がいいと思うなぁ」
「森、ですか?」
この町は門の開閉時間が決まっているし、閉門が迫る時間に子ども一人が外に出るのを門兵が見過ごすことはないと思う。
テナがそう言うと、商人は首をこてんと傾げた。
「さすがにどうやって出たのかは、僕にはわからないな」
まるでレイが森にいることを確信しているような口ぶりだ。
……もしかして、魔法で居場所がわかるの? でも、それなら早くレイの居場所を教えてくれたって…
「――ね、どうする? 今から森へ行く?」
商人はどこかテナを試すような口調で問いかける。
そんなふうに言われれば、選択肢は一つしかない。
「……いきます」
テナを見つめる赤い瞳が、楽しげに細められた。
門を出て十分ほど歩いた先には、町の子どもたちの遊び場でもある森がある。
深い森ではあるものの、少し進むと木々に縄が括りつけられ行く手を遮っている。そこから先は獣や魔物が現れる危険があるため、立ち入りは禁止されていた。
「レイー! どこにいるのー! レイー!」
張られた縄のそばを歩き大声で名前を呼ぶ。
森の中ではその声も、木々に吸い込まれるように消えていく。鳥の鳴き声すら聞こえず、テナたちが枯れ葉を踏み鳴らす音がやけに大きく聞こえた。
「……、……!」
ふと、葉の擦れる音に混じり、かすかな物音がテナの耳に届いた。
「レイ…?」
聞こえたのは立ち入り禁止の縄の向こう側だった。
迷ったのは一瞬。テナはすくみそうになる足に力を入れ、縄の奥へと足を踏み出した。
「ぃぁぁああああ!!!!」
縄を越え歩き始めてすぐ、子どもの叫び声が森に響いた。
気づけば声の方へ、テナは全力で走っていた。
茂みに突っ込み腕が枝に擦れるのもかまわず、木の根に足を取られながらも息を切らし進み続ける。
「――レイっ、ぅわ!」
勢いよく身を乗り出した身体が斜面を滑り落ちそうになり、あわてて近くの木にしがみつく。
しかしテナは、斜面を少し下った先から目を離せなかった。
木々の隙間を縫うように、躓きながらも走る小さな影。――レイだ!
その背を追う濁った緑色の肌の魔物。頭には二本の角が生えていて、大きく空いた口からは涎が滴っている。
あれは……
「おや? この森はゴブリンがでるんだね」
ふいに聞こえたのんびりとした声に、テナははっと顔を上げた。
商人はレイがゴブリンに追われているというのに、その様子を焦りもなく眺めている。
…この人なら、レイを助けられるんじゃないの?
「あの…っ」
頭に過ぎる赤い炎に目を瞑り、テナはぐっとこぶしを握りしめ商人へ頭を下げた。
「レイを、助けてくれませんか。お願いします! 私に出来ることならなんでもします! だから、お願いだから…!」
テナの必死の頼みに商人は目をぱちりと瞬かせる。
「なんで僕に頼むの?」
「……っ」
やっぱり魔法使いは、そう都合よく助けてはくれない。
唇を噛み締め苛立ちを込めた瞳を向けるテナに、商人はさも当然のように言った。
「君が助ければいい。だって君は、魔箒使いになれるんだから」
「…!」
テナの目が、大きく見開かれる。
「魔法の使い方がわからないなら、教えてあげる」
目の前に差し出されたのは、テナの背丈よりも大きな黒みを帯びた箒。
テナは無言でそれに手を伸ばす。
それが、答えだった。
「魔法はね、精霊の力で起こすもの。呪文は精霊へ命令するための言葉にすぎない。だから、発音には気をつけて」
瞼を閉じ、静かに頷くテナの耳元で、商人は囁いた。
「――」
テナの瞼がゆっくりと持ち上がる。
射抜くような鋭さで、金色の瞳がゴブリンをとらえた。
レイとそう変わらない小柄な体格。小さい手足。肉食獣のように鋭い爪。
両手で箒を持ち上げ、ゆっくりと穂をゴブリンへ向ける。
――レイが転ぶ。その隙を逃さず、ゴブリンが一気に距離を詰め目の前の獲物に飛びかかる。
テナはその様子を冷静に見つめながら、頭の中で流れる商人の声をなぞるように口にした。
「アオラトルタ・ヴィナミス」
口にしたとたん、その場から音が消えた。
全身が粟立つ。箒の穂から蠢く影のようなものが溢れ出した。
同時に、皮膚の下を何かが身体中這いまわる感覚。それは箒の柄を持つ手からざぁっと全身を巡り、再び手から柄へ流れていく。
喉の奥から込み上げる吐き気に、テナはぐっと歯を食いしばった。
――グギャッ
短い断末魔とともに、骨が砕け肉と混ざり合う鈍い音。ゴブリンの体が見えない何かに押し潰されるようにひしゃげ、破裂した。
ざぁっと小雨が葉をうつ音がほんの数秒その場に流れた。低く広がる草の一部が、血を被りながら揺れている。
「――やっと見つけた。君が、最後の魔箒使いだ……!」
しんと静まり返った森の中。揺れる赤を見つめるテナの隣りで、商人が抑えきれない興奮を滲ませた声で囁いた。
一瞬の出来事に、知らず呼吸が止まっていたようだ。
息は荒く、気を抜けば身体中の力が抜けそうだった。
状況を把握しようと、テナはゴブリンが消えた場所に目を凝らす。そこには雨が降り終わったあとによく見る水溜まりができていて、水溜まりが、赤くて……
「ぅぁぁあああん!」
レイの泣き声にはっとする。
そうだ、レイ……!
転がり落ちないように気をつけながら傾斜を下り、尻もちをついて泣き続けるレイのもとへ駆け寄った。
「レイ!」
「ぅう〜っ、ひっく、テナぁああ!」
テナが近づくと、レイが胸元に飛び込んできた。
泣きじゃくるレイの頭をなでながら、怪我がないか全身を確認する。
頬にゴブリンの血が少しかかっていたので、そっと袖で拭ってあげた。
「ローラさん、心配してるよ。帰ろう?」
「ぅぅううっ、ぐずっ、かえるぅ〜!」
力強くテナの服を引っ張るレイに苦笑する。
テナはもう一度レイの頭をなでると、そっと小さな手をとった。
涙を拭きながらもレイが立ち上がった、その時。
「グギャグギャッ」
「っ!」
咄嗟に声の聞こえた方へ振り向くと、血だまりをはさんだすぐそこに、二体のゴブリンがいた。
いつのまに!?
咄嗟にレイの手を離し、両手で地面に置いていた箒を手に取り前に出る。
「テナっ」
「……大丈夫」
言いながらも、箒の先は揺れていた。
さっきは初めて魔法を使った。たまたま上手くいったけど、今回もちゃんと魔法が発動するかわからない。
浅くなる呼吸を落ち着かせようと、こくりと唾を飲み込む。
「――アエリウス・コステネブラ・ドルクス」
突然、歌うように滑らかな低音がその場に響いた。
「グギャァァッ」
「ガァッ」
一瞬だった。二体のゴブリンは音もなく切断されると、上下真っ二つに分かれ、静かに地面へ沈んだ。
赤い水溜まりが、さらに大きく広がっていく。
足音の方へ視線を向けると、つい先ほどテナが下りてきた傾斜を紫紺のローブを着た女性が下りてきた。
その手には、テナの持つ箒と同じくらいの大きさの灰色の箒。
風で波打つ艶やかな黒髪を片手でおさえ、眉間に皺を刻んだ女性は、黒い瞳でテナを鋭く見据えていた。




