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13-第2話:濡れた黒髪の幽霊と「呉の怪談・おいてけ掘り」

第2話:濡れた黒髪の幽霊と「呉の怪談・おいてけ掘り」


【PM 10:15 | 港町ポルトー・冒険者ギルド「潮風の錨亭」宿直室】


蒸し暑い夏の夜気は衰えることを知らず、宿直室の中に重く立ち込めていた。 部屋の真ん中では、三つ仕切りバケツの洗三から貰った冷たい湧き水をゴクゴクと飲み干した「海の精霊」が、ぷにぷにとした透明な身体を満足そうに揺らしている。手のひらサイズの天球儀ステラも、その頭上で楽しそうにクルクルと旋回していた。


しかし、押し入れの中に重なるようにして突っ込み、ガタガタと震えている冒険者三人組には、その和やかな光景が一切目に入っていなかった。


「い、今の足音は……絶対本物の首なし海賊だっただばい……! 間違いないだばい……!」


津軽弁の弓手ヤンが、押し入れの敷布団を頭から被り、涙目で引きつった声を上げた。


「そうや! ひよりちゃんは騙されてるんや! あの首なし海賊の怨念が、可愛らしい姿に化けて俺たちを油断させようとしとるんやでぇ!」


調子乗りな関西弁の盗賊トニも、ガクガクと膝を打ち合わせながら、押し入れの奥でマルコの背中にしがみついている。


「ち、ちがうって言いよるじゃろ! ほんまに海の精霊ちゃんじゃけぇ! ほら、見てみぃね、こんなにぷにぷにして可愛いんよ!」


ひよりが呉弁で苦笑いしながら、両手で海の精霊を「むに〜」と持ち上げて見せた。精霊も「ぽや〜♪」と嬉しそうに短い手をバタバタさせてみせる。だが、恐怖でパニックに陥った三人組の脳内では、その効果音すら「死への誘い」に変換されていた。


「ひぃぃぃッ! 触っちゃダメだばいひよりちゃん! 呪われるだばいーッ!」


「ガハハハ……! お、俺は九州の暴れ獅子マルコ様たい! 幽霊の偽装工作なんぞに騙されんぞ……! だが、怪談大会はまだ終わっとらん! 次はヤン、お前の番たい! 恐怖で毒を食らわば皿までたい!」


マルコは自分もしがみついて震えている癖に、強がりを言ってヤンの背中をバシッと叩いた。


「えぇぇぇっ!? 俺がかだばか!? 無理だばい! もう帰りたいだばいーッ!」


「アカンでヤン! ここで逃げたら冒険者の名がすたるで! さあ、とっておきの怖いやつ頼むわ!」


トニに背中を押され、ヤンは涙をボロボロとこぼしながら、渋々押し入れから這い出してきた。そして部屋の隅に置かれた燭台の前に座り、ガタガタと震える手で自分の膝を抱え込んだ。


「うぅ……約束だばいから話すだばい……。これは俺の故郷、津軽の港町に伝わる本当にあった恐ろしい話だばい……」


ヤンは消え入りそうな声で、津軽弁の訛りを効かせながら語り始めた。


【PM 10:30 | ヤンの怪談と、窓辺の黒髪】


「……あれは、しとしとと冷たい雨が降る、草木も眠る丑三つ時のことだばい……」


ヤンの話し声に合わせて、宿直室の燭台の炎が「チチ……」と小さく小さく狭まっていく。


「地元の若い漁師が、一人で夜釣りをしていたんだばい。すると、海面がザザッ……ザザッ……と不気味に揺れ始めてな……。海の中から、ゆら〜り、ゆら〜りと、何かが這い上がってきたんだばい」


ひよりは膝の上でトタン湯たんぽの『ぬくもり』をギュッと抱きしめ、「うぅ……雨の日の海は怖そうじゃねぁ……」と生唾を呑み込んだ。


「漁師が恐る恐るランタンの光を向けると……そこには、頭からびっしょりと濡れた黒い髪を垂らした、真っ白な女が立っていたんだばい……。その黒髪はな、まるで生き物みたいにウネウネと蠢いていて、顔がまったく見えないんだばい……」


ヤンは部屋の窓ガラスを指差し、引きつった声を絞り出した。


「女はな……ズリ……ズリ……と濡れた音を立てて近づいてきて……冷たい手で窓ガラスを『ペタ……ペタ……』と叩きながら……『髪を……私の髪を乾かしてぇぇぇ……』と囁くんだばい……!!」


語り終えた瞬間、部屋の中に重苦しい静寂が落ちた。


「ひ、ひぇぇ……ぶち怖いやんかぁ、ヤンさん……」 ひよりが身を縮こまらせた、まさにその時だった。


ペタッ……。


宿直室の夜の窓ガラスに、湿った生温かい音が響いた。


「「「「……!?!?」」」」


全員の視線が、一斉に暗い窓ガラスへと向けられる。


ペタッ……ペタペタッ……!!


なんと、真っ暗な窓ガラスの外側に、どこから現れたのか、水滴を滴らせた「ゆらゆらと揺れる黒い髪の毛のような影」がびっしりと張り付き、ガラスを激しく撫で回していたのだ!


「「「「ギャァァァァァァァァッッッ!!!???」」」」


「出ただばぁぁぁぁッ! 濡れた黒髪の女幽霊が出ただばぁぁぁぁッ!!」 ヤンが絶叫し、跳び上がってトニの首に飛びついた!


「アカンアカンアカンッ! 窓破られて髪の毛に巻き取られて海に引きずり込まれるでぇぇぇッ!」 トニも白目を剥いて叫び、二人は抱き合ったまま床をゴロゴロと転がり回った!


「落ち着かんかい、二人とも! 俺が……俺の大剣で斬り捨ててやるたい!……ひ、引き抜けんたい! 腕が震えて鞘から剣が抜けんたいぇぇぇッ!」 マルコも顔面を蒼白にして、腰の剣の柄を掴んだままガチガチと歯を鳴らしている。


【PM 10:45 | 髪の毛の正体と、神刀・紅緒の包容力】


ひよりが慌てて「紅緒! 窓の外! 一体なんね!?」と叫ぶと、朱色の袴を纏った神刀の紅緒が、すっと静かに窓辺へと歩み寄った。


紅緒は神聖な気品を漂わせながら、ガラリと窓を開け放った。


「きゃあぁぁぁッ! 窓を開けたらあかんでぇぇッ!」とトニが叫んだが、紅緒は全く動じることなく、窓の外の影を優しく両手で受け止めた。


「まあ……これは」


窓の外にいたのは、おどろおどろしい女幽霊などでは断じてなかった。


ヤンの「濡れた黒髪の女幽霊」の話を耳にしたイタズラ好きな海の精霊たちが、港の海藻(黒いコンブやワカメ)を頭からたっぷり被り、女幽霊になりきって「ぽや〜♪ ぽや〜♪」と窓ガラスをペタペタと叩いていたのだ!


精霊は紅緒に見つかると、してやったりと言わんばかりにコンブの隙間からポコンと顔を出し、「どやぁ!(怖かった〜!?)」と両手を広げてみせた。


しかし、神刀の紅緒は怖がるどころか、愛おしそうに目を細めた。


「まあ……夜の海から上がってきて、お髪(海藻)がこんなに濡れて……冷たかったでしょうに。可哀想に」


「ぽや……?」


予想外の反応に精霊が首をかしげると、紅緒は優しく抱き上げ、部屋の中央へ連れてきた。そして、朱色と黄色のモコモコカバーを着たトタン湯たんぽの『ぬくもり』の隣へとそっと座らせた。


「ぬくもり殿、この子を温めてあげてくださいな」


『承知いたしました! 私めの情熱の熱、存分にお味わいくだされ!』


ぬくもりがポカポカとした黄金色の暖かな光と熱を解き放つ。


海藻を被った精霊は、ぬくもりの温もりに包まれると、一瞬で「ぽやぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜ん……♡」とトロけるような表情を浮かべた。コンブの被り物もスルスルと脱ぎ捨て、ぬくもりのモコモコカバーに頬をすりすりしながら、あまりの気持ちよさに骨抜きになってふにゃふにゃと平らになってしまったのだ。


「うわぁぁぁ! ぬくもりの上ですっかりトロけとるよ!」 ひよりが思わず呉弁で笑い声を上げる。


天球儀のステラも『ふふっ、すっかり温まって幸せそうですね』と星の光を降らせ、洗三も「美味しいお水のおかわり、どうぞ!」と湧き水を差し出す。


精霊たちは「ぽやぽや〜♡(ここ天国〜♡)」と完全に骨抜きにされ、イタズラすることすら忘れてくつろぎ始めていた。


【PM 11:15 | ひよりの登場と「呉の怪談・おいてけ掘り」】


「な……なんんだばい……また精霊のイタズラだったのかだばい……?」


押し入れの陰からこっそり覗き込んでいたヤンが、ぬくもりの上でデロ〜ンとトロけている精霊を見て、拍子抜けしたように脱力した。


「ふぅ……ビックリさせやがって……。脅かしやがったらタダじゃおかへんでほんま……」 トニも胸を撫で下ろし、汗を拭いながら床に腰を下ろした。


しかし、九州弁のマルコが腕組みをしてニヤリと鼻で笑った。


「ハッ! 何だ、ただの可愛い海の精霊たい! 驚いて損したたい! ひよりちゃん、結局本当の幽霊なんておらんかったたいね! 最後にひよりちゃんも一話話し合って、このくだらん怪談大会を終わりにしようたい!」


「えっ、うちの番なん!? う〜ん……うち、そんなに怖いの知らんのじゃけど……」


ひよりはうーんと腕を組み、呉の家族や街の人から聞いた昔話を思い出そうと腕を捻った。


「あ、ほうじゃ! うちの故郷・広島県呉市の近くに伝わる、昔話みたいな怪談で『おいてけ掘り』っていうのがあるよ!」


「おいてけ掘りだばか? なんかあんまり強そうじゃない名前だばいね」ヤンが首をかしげる。


ひよりは燭台の火の前に座り直し、語り部のように声を一段低く落とした。呉弁独特の情緒あふれるアクセントが、夜の宿直室に響き始める。


「……昔々ね、呉の古いお堀(池)で、釣りをしとるお侍さんがおったんよ」


ひよりは臨場感を出すために、手振り手振りを交えながら情感たっぷりに語り始めた。


「そのお侍さんね、その日はぶち運が良くてからに、カゴに入りきらんくらい大漁の魚が釣れたんよ。『今日は豪勢な晩酌じゃわい』言うて、ルンルン気分で暗い夜道を歩いて帰りよったらね……」


ひよりが言葉を切り、燭台の炎をそっと手で煽った。影が部屋の壁に大きく揺れる。


「急に……周りの風がピタッと止まってからに……足元からどろりとした冷たい霧が立ち込めてきたんよ……。お侍さんが『変じゃねぇ』思って足を速めようとした、その時……」


ひよりは目を細め、喉の奥から絞り出すような不気味で擦れた声を出した。


「暗闇の奥……誰も居らん池の水底から……ぬ〜〜〜〜〜っと……恐ろしい声が聞こえてきたんよ……」


ひよりは自分の顔の下から手を当てて影を作り、おどろおどろしい声を張り上げた。


「『おい〜〜〜〜て〜〜〜〜けぇ〜〜〜〜〜〜……!!』」


「「「「ひッ……!?」」」」


冒険者三人組がビクッと肩を跳ね上がらせる。


ひよりはさらに感情を込め、声のトーンを一段と低く不気味に響かせた。


「『魚を……おい〜〜〜〜て〜〜〜〜けぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ!!』」


ひよりが「ガオッ!」と身を乗り出すと、三人組は「ひゃああぁぁぁッ!」と抱き合って縮み上がった!


「お侍さんはね、ぶち怖くなってからに、大漁の魚の入ったカゴを投げ捨てて、命からがらお家へ逃げ帰ったんよ。でね、ハァハァ息を切らしながら『怖かったわぁ』言うて自分のカゴを開けてみたらね……さっきまでいっぱい入っとった魚が……一匹残らず……綺麗〜〜〜サッパリ消えてなくなっとったんよ……」


ひよりはニッコリと微笑み、「……おしまい♪ どうかいね? 呉のおいてけ掘りの話!」と呉弁で締めくくった。


【PM 11:45 | 悪戯な精霊たちと「おいてけぇ〜!」の大合唱】


「う……うむ……!」 九州弁のマルコが汗をかきながら強がってみせた。


「な、なかなか情緒のある話だったたい! だが、魚が消えるくらい、大したことなか! 幽霊というよりはイタズラ好きの妖怪の話たいね! 全然怖くなかったたい!」


「そうやそうや! 魚を取られるくらい、盗賊の俺からしたら朝飯前やで! ガハハ……ガハハ……」 トニも引きつった笑いを浮かべながら同調する。


しかし——ひよりたちの全く預かり知らぬところで、大変な事態が進行していた。


ひよりの語った「おいてけぇ〜」という言葉の不気味な響きとリズムを、ぬくもりの上でトロけていた海の精霊たちが**「ぶち面白くて格好いい魔法の言葉」**だと大大誤解してしまったのだ!


「ぽや! ぽやぽや〜っ!(なにそれ! 超イケてる言葉〜っ!)」


精霊たちは仲間を呼び寄せ、いつの間にか宿直室の窓の外や屋根の上に、数十匹もの海の精霊たちが大集結していた。


そして、精霊たちはひよりの呉弁の真似をして、カタコトの怪しい声で一斉に大合唱を始めたのだ!


「オイ〜〜〜〜テ〜〜〜〜ケェ〜〜〜〜〜〜……!!」


地響きのように宿直室の周りから響き渡る不気味な大合唱!


「「「「……ッ!?!?!?」」」」


冒険者三人組の顔から、一瞬で全ての血の気が失せた。


「オイ〜〜〜〜テ〜〜〜〜ケェ〜〜〜〜! オ菓子ヲ……オイ〜〜〜〜テ〜〜〜〜ケェ〜〜〜〜〜〜ッッ!!」


精霊たちは無邪気に「お菓子をおいてけ〜!」とおねだりしているだけなのだが、カタコトの不気味な合唱は、まるで地獄の底からの怨霊の叫びのように聞こえていた。


「ひ……ひよりちゃん……! さ、さっきの怪談の幽霊が……街中に溢れ出してるだばいーッ!」 ヤンが泡を吹いて目を見開いた。


「アカンアカンアカンッ! ひよりちゃんが呉の呪いをポルトーに召喚してもうたぁぁぁッ! 俺たちの命がおいていかれるぅぅぅッ!」 トニが頭を抱えて狂乱する!


「ひよりちゃん! お前……一体何の呪文を唱えたとだぁぁぁぁッ!?」 マルコも大剣を振り回しながら白目を剥いて叫んだ!


「えぇぇぇっ!? 呪いじゃないよ! ただの『おいてけ掘り』のお話じゃよ〜〜っ!?」


慌てるひよりをよそに、外からは「オイ〜〜〜〜テ〜〜〜〜ケェ〜〜〜〜!」という精霊たちの元気いっぱいな大合唱が響き続け、冒険者三人組の発狂寸前の悲鳴が、熱帯夜のポルトーの夜空へとどこまでも空しくこだまするのであった。

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