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13 金剛杖と置き薬箱と蝿帳



全種族が手を取り合ったあの奇跡の合同料理コンテストと、災害級の暴食魔獣を一撃で彼方へと叩き落とした「蝿叩き」の大金星から一夜。

十月の澄み渡る秋空の下、学園都市ルミナスの『大収穫祭(グランド・ハーベスト)』は、その熱気の最高潮を迎えていた。昨日までの緊迫感はどこへやら、街のメインストリートから路地裏に至るまで、数え切れないほどの屋台がひしめき合い、香ばしい煙と甘い香りが都市全体を包み込んでいる。


「……決めた。私は今日、この学園都市にあるすべての美味しい屋台飯を、文字通り『胃袋の限界(プロットの果て)』まで食べ尽くす! これこそが、大巫女として世界を救い続けてきた私への、最高のご褒美なんだから!」


天照ひよりは、お祭りの熱気に顔を紅潮させながら、両手の拳を力強く握りしめていた。

十六歳の女子高生(兼・見習い召喚士)の瞳には、並み居る魔王軍の幹部を睨みつけた時以上の、凄まじい執念の炎がメラメラと燃え盛っている。


「お主のその恐るべき食欲のエネルギーを、少しでも魔法の座学や歴史の暗記に回していれば、期末試験であれほどお針の手を煩わせることもなかったろうに……。まあよい、お主が食の道を極めると言うなら、私はそれを一文字残さず書き留めるだけだ」


私はひよりの背負ういつものリュックの中から、依り代である文机を精神体として小さく顕現させ、原稿用紙に万年筆をさらさらと走らせながら応えた。私の名は『硯水(けんすい)』。

千年の歴史を持つあの超ど田舎の神社で、人間の果てしない物欲や、秋祭りの買い食いの歴史を静かに見つめ続けてきた文机の付喪神だ。


「いいの! 勉強のことは、今だけ全部デッドストックの暗黒に封印! あーあ、呉の実家のパパとママは今頃、心地よい秋の潮風に吹かれながら、広の交差点の近くで美味しいお好み焼きでも突っついて『ひより、栄養失調になっとらんかねぇ』なんて心配しとるんかね。娘はこっちで、異世界の屋台を全制覇しようと企んどるっていうのにさ」


「ふふ、ひよりさんの胃袋がそれほど底なしだとは思いませんでした。ですが、今日の市場はいつも以上の大混雑です。お目当ての屋台に辿り着くだけでも、一苦労ですよ?」


ひよりの隣で、お祭りの雰囲気に合わせてお洒落なベレー帽を被った生徒会長のセリアが、楽しそうに笑いながらついてくる。


セリアの言う通り、収穫祭のメインストリートは、人間、エルフ、ドワーフ、さらには尻尾を嬉しそうに揺らす獣人たちで完全に埋め尽くされ、文字通りの満員電車状態になっていた。


「うわぁ、本当だ……。あっちの『ドワーフ特製・黄金骨付き肉』の屋台に行きたいのに、人が多すぎて一歩も前に進めないよ! お肉の焼けるいい匂いはこんなに近くに漂ってくるのに、これじゃあお肉に辿り着く前に、私の魂が餓死しちゃう!」


ひよりが人混みの波に揉まれながら、無念の悲鳴を上げる。

あまりの混雑に、周囲の買い出し客たちも「おい、押すな!」「前が見えないぞ!」と小競り合いを始めており、このままでは美味しい屋台飯を味わうどころか、人混みに押し潰されて終わりかねない状況だった。


「ふむ。せっかくの食のプロットが、人間の物理的な質量(人混み)によって阻まれているわけか」

私はリュックの中から、ふっと煙管の煙を吐き出すように声を届けた。


「ひより、慌てるな。相手が『前を塞ぐ無数の障害物』なら、我が神社の東の物置の奥――千年の間、秋祭りの神輿(みこし)が通る道を切り開き、どんな大混雑の中でも『神様の通り道』を厳かに、かつ絶対的に確保し続けてきた、あの質素な木製の道具を呼び出すのだ」


「東の物置の奥の、道を切り開く道具……あ! お父さんがお祭りの時に、白い着物を着て、大きな声で『お通り、お通り!』って言いながら地面をトントン叩いてた、あの長い……!」


「そうだ。あれは、ただの木の棒ではない。神聖な神輿の前方を清め、あらゆる混雑や障害を左右へと退ける、絶対的な『交通整理』の執念から生まれた道具だ。……ひより、彼を呼び出して、お主の『買い食いロード』を堂々と切り開いてやれ!」



第二章:混雑打破と「金剛杖の交通整理」


ひよりは人混みの隙間で大きく息を吸い込むと、自らの膨大な魔力タンクから、真っ直ぐな銀色の魔力を地面へと叩き込んだ。

「デッドストック、起動! 我が実家の物置に眠る、どんなに混んでる道でも、神様の通り道を一瞬で作っちゃうお宝、おいで!」


コン、コン、コン……! と、


石畳を硬い木が叩く、あまりにも厳かで、背筋が伸びるような音が市場に響き渡った。

光の中から出現したのは――

………長さが二メートルほどもある、八角形に削り出された、非常に頑丈な白木の『金剛杖(こんごうづえ)』だった。その表面には、千年の歴史を感じさせる無数の護符の文字が微かに刻まれている。


「……おっと、随分と騒がしい市(いち)だねぇ。どれ、神主様のお通りかと思えば、新しい可愛いお嬢様じゃないの。よし、この『道拓き』の俺が、最高のランウェイを作ってやるよ」


金剛杖の先端から立ち上った清らかな煙が、白い作務衣(さむえ)を粋に纏い、頭に白いねじり鉢巻を巻いた、いかにも引き締まった体つきの青年の姿をした


付喪神――名を『拓馬(たくま)』という。


千年の間、神社のあらゆる祭礼や神輿渡御(みこしとぎょ)の先頭に立ち、群がる参拝客や悪霊を「そこを退きな!」の一言と共に行儀よく左右へと整列させてきた、金剛杖の付喪神だ。


「拓馬さん! あの美味しそうな『黄金骨付き肉』の屋台に行きたいんだけど、人が多すぎて全然進めないの! 道を教えて!」


「ハハッ、お安い御用だ、お嬢ちゃん! 俺の引く線の前にはな、どんな大軍勢も、どんな頑固な通行人も、みんな綺麗に整列しちまうんだから! ――【神域開通・御神輿ロード(しんいきかいつう・おみこしろーど)】!」


拓馬が、自らの身体である金剛杖の石突きを、市場の床に向かってコン!と力強く突き立てた。

その瞬間、金剛杖を中心に、目に見えない「神聖な清流」のような波動が、市場の真ん中を真っ直ぐに突き抜けていった。


すると、どうだろう。


さっきまでお互いを押しのけ合い、完全に詰まっていた人間やドワーフ、獣人たちの群衆が、まるでモーセの海割りのように、誰一人として文句を言うことなく、ごく自然に、楽しそうに左右へと「整列」し始めたのだ。市場のど真ん中に、幅三メートルほどの、塵一つ落ちていない完璧な『直線の花道(ロード)』が出現したのである。


「な……何ですかこれは!? 解呪魔法も威圧魔法も感じられないのに、何万もの人々が、まるで王族を迎えるかのように自発的に道を譲っています!」

セリアがベレー帽を押さえながら、その奇跡のような光景に絶賛の声を上げる。


「へへん、これが伝統の交通整理よ! さあお嬢ちゃん、お肉の屋台は目の前だ、突撃しな!」

拓馬が爽やかに笑う。ひよりは「ありがとーーーっ!」と叫びながら、出現した奇跡の道を猛ダッシュし、念願のドワーフ特製・黄金骨付き肉を、一本どころか十本まとめて注文することに成功したのだった。


第三章:屋台飯の快進撃と「果てなき胃袋」


拓馬の完璧な交通整理ロードのおかげで、市場のあらゆる屋台へノータイムでアクセスできるようになったひよりの「暴食の進撃」が始まった。


「ドワーフの骨付き肉、外はカリカリで中は信じられないほどジューシー! タレのニンニクが効いてて最高! ……よし、次はあっちの、エルフの『世界樹ハーブの焼き小鳥』ね!」


モグモグ、ゴクン。ひよりの胃袋は、神酒の力でもかかっているかのように、次から次へと異世界の絶品屋台飯を吸い込んでいく。


「次は人間族の『熟成チーズの濃厚とろけるパイ』! うわぁ、チーズがどこまでも伸びる! 美味しい!」


さらに、獣人族の『激辛スパイスのワイルド肉串』、ハーフエルフの『清流イワナの塩釜焼き』、ドワーフの『大麦黒ビールのノンアルコール仕立て』に至るまで、ひよりが平らげた屋台の数は、わずか一時間のうちに三十店舗を超えていた。


「ひ、ひよりさん……、本当にその小さな体のどこに、それだけの量の食べ物が入っていくのですか……?」


隣を歩くセリアは、すでに一本の肉串と小さなタルトだけでお腹がいっぱいになっており、ひよりの規格外の食欲の前に、もはや畏怖の念すら抱き始めていた。


「ふふん、私の魔力タンクの大きさと、呉の女子高生のお祭りへの執念を舐めちゃいけないよ、セリア様! ……あ、でも、うぷっ……」

その時、突如としてひよりの足がピタリと止まった。


流石に、油物の肉、濃厚なチーズ、激辛のスパイス、そして大量の炭水化物を限界まで詰め込みすぎたのだろう。ひよりの顔が、一瞬にして、お祭りの風船のような青緑色へと変色した。


「ひ、ひよりさん!? 大丈夫ですか!?」


「う、うう……。ちょっと、さすがに、限界突破(キャパオーバー)しちゃったかも……。お腹がパンパンで、胃が『これ以上入れたら、すべてのプロットを逆流(嘔吐)させるぞ』って警告を出してる……。でも、まだあっちの『大収穫祭限定・世界樹のトリプル果実パフェ』を食べてないのに……! ここで倒れるわけには……うぅっ……」


ひよりは市場のベンチに倒れ込み、お腹を抱えて苦しそうに唸り始めた。セリアが慌てて回復魔法(ヒール)をかけようとするが、これは単なる「食べすぎによる消化不良」であり、体力の回復魔法では胃の中の物理的な質量をどうにかすることはできなかった。


「やれやれ、だから言わんこっちゃない。自身の容量(プロットの文字数)を考えずに具材を詰め込むから、そのような大惨事になるのだ」


私は文机の前でため息をつきながら、原稿用紙の文字を見つめた。


「ひより、お主のデッドストックの最深部には、戦闘の役には一ミリも立たないが、『人間の胃袋の不快感を一瞬で和らげ、その機能を極限まで活性化させる』、本殿の御神札(おふだ)の真下に置かれていた『あの驚異の薬箱』が眠っているはずだ」


「本殿の御神札の下の……あ! お祭りで食べすぎて、お腹を壊した参拝客の人たちに、お父さんが『これを一杯飲めば、すぐにまた屋台に戻れるよ』って渡してた、あの木製の……!」


「そうだ。あれは、千年の間、神社のあらゆる『お腹の不調』や『飲みすぎ・食べすぎの不条理』を、その薬効の念で一瞬にしてリセットし続けてきた、置き薬箱の付喪神だ。……ひより、彼を呼び出して、お主の胃袋のプロットを綺麗に整理(消化)してやれ!」



第四章:胃袋復活と「薬箱の神癒」


ひよりはお腹をギチギチと押さえながら、最後の力を振り絞って、デッドストックの術式を自らの胃袋に向けて展開した。

「デッドストック……! 我が家の神棚の下に眠る、お腹の痛いのを全部治しちゃうお宝、出てきて私の胃袋を助けてぇぇ……!」


パカッ……と、


どこか懐かしい、杉の木が擦れ合う小気味良い音がベンチの周りに響き渡った。

光の中から出現したのは――

…………何重もの小さな引き出しがついており、表面に「諸病平癒・萬病丸」と古めかしい文字が墨書きされた、小ぶりの木製の『置き薬箱(くすりばこ)』だった。箱が動くたびに、中から様々な和漢薬の、すっきりとした、どこか落ち着く香りが漂ってくる。


「おやおや、欲張りなお嬢様だねぇ。お祭りの御馳走が美味しいからって、そんなに詰め込んじゃあ、お腹の神様が怒るのも当然だよ」


薬箱の引き出しから立ち上る、ハッカと山椒の清々しい煙の中から現れたのは、白い白衣のような羽織をまとい、手には小さな丸薬の入った袋を持った、いかにも知的で、物腰の柔らかい少年の姿をした付喪神――名を『萬寿丸(まんじゅまる)』という。


千年の間、神社の蔵の奥で歴代の神主や地域の人々の健康を守り、「人間の胃腸の不調を癒やし、再び笑顔で食卓(日常)に向かわせる」という、純粋な『医薬の慈愛』の執念から生まれた、薬箱の付喪神だ。


「萬寿丸くん……、お腹が痛いの……。パフェが食べたいのに、胃袋がもう動かないの……」


「はいはい、分かったよ。お嬢様のその『底なしの食欲』に免じて、最高の特効薬を処方してあげようね。……我が薬効の前には、いかなる暴食のツケも残りません。――【神農本草・萬病消散(しんのうほんぞう・まんびょうしょうさん)】!」


萬寿丸が自らの身体である薬箱の、一番小さな引き出しをトントンと叩くと、中から一粒の、黄金色に輝く小さな丸薬が飛び出してきた。

萬寿丸はその丸薬をひよりの口元へと運び、ひよりがそれをゴクリと飲み込んだ、その瞬間。


スーゥゥゥゥッ……!!!


ひよりの胃の中から、さっきまでのじっとりとした不快感、脂っこさ、そしてパンパンに膨れ上がっていた「食べ物の質量」が、まるで朝露が朝日に溶けるかのように、一瞬にして完璧に『消化・吸収』され、純粋な魔力エネルギーへと変換されていくのが分かった。


「えっ……!? う、嘘……! お腹の痛いのが、一瞬で綺麗さっぱり消えちゃった! それどころか、胃袋の中が完全にリセットされて、まるで朝起きたばかりの時みたいに、ものすごくお腹が空いてきたよ!?」


ひよりがベンチから跳び起き、自らのお腹をポンポンと叩いて驚愕の声を上げる。


「素晴らしいです! 高位の治癒魔法でも不可能な、肉体の『代謝の完全正常化』を、あの小さな一粒の薬で行うなんて……!」

セリアが目を見開いて萬寿丸を見つめる。


「ふふ、これでもう大丈夫だよ、お嬢様。お腹の神様も、お嬢様のその笑顔が見たかったはずさ。さぁ、お目当てのパフェのお店へ行ってらっしゃい」


萬寿丸は優しく微笑むと、元の薬箱の姿に戻って、何事もなかったかのようにひよりのリュックへと収まった。


第五章:大不穏の影と「特製パフェの防衛戦」


萬寿丸の神がかり的な薬効のおかげで、完璧な「第二の胃袋」を手に入れたひよりは、ついにこの大収穫祭のラスボスとも言える、市場の最奥にある超人気カフェの前に辿り着いた。


「これだ……! これこそが、私が今日、命(プロット)を懸けて求めていた、収穫祭限定『世界樹のトリプル果実パフェ』!」


ひよりの目の前に運ばれてきたのは、高さが三十センチはあろうかという、世界樹の最高級のイチゴ、メロン、マンゴーが山盛りにされ、その上に精霊の純白のクリームがこれでもかと絞られた、まさに芸術品のような大パフェだった。


「いただきまーーーす!!」

ひよりが嬉しそうにスプーンを突き立てようとした、まさにその瞬間。


市場の天井である、世界樹の巨大な枝の隙間から、ドサリッ!!と、不気味な黒い影がカフェのテラス席へと降ってきた。


「キシャァァァァァッ!!!」


現れたのは、お祭りの賑やかな魔力に引き寄せられて、上層の危険エリアから迷い込んできた、体長三メートルを超える狂暴な魔獣――『黒毒蜘蛛(シャドウ・スパイダー)』だった。その鋭い脚の先からは、触れるものを一瞬で腐らせる暗黒の毒液が滴り落ちており、その目は、ひよりの目の前にある特製パフェを、その汚い脚で踏み潰そうと狙いを定めていた。


「大変です! 防衛線の隙間から、また魔獣が! ひよりさん、危ない!」


セリアが慌てて杖を構える。しかし、蜘蛛の魔獣の着地した位置がパフェのあまりにも近くであったため、ここで派手な攻撃魔法や防御魔法を使えば、その衝撃波の風圧だけで、ひよりの特製パフェは跡形もなく吹き飛んでしまうことは確実だった。


「おのれ……。私の完璧な買い食いロードの最終章(大団円)を、そんな汚い毛虫みたいな蜘蛛に邪魔されてたまるかぁぁぁーーーッ!!」

ひよりの怒りが、市場の魔力を一瞬で凍りつかせるほどの密度で爆発した。


「ひより、その通りだ。お主のパフェを、一滴のクリームの乱れもなく、完璧に、かつ静かに防衛するプロットだな。……ならば、我が神社の本殿の裏庭――千年の間、神聖なお供え物の果物や、職人たちの美味しいお弁当を、容赦ない夏の蝿や泥棒猫から『ただの一ミリの侵入も許さず、完璧に覆い隠して護り続けてきた』、あの素朴な網の道具を呼び出すのだ!」


「本殿の裏庭の……あ! おばあちゃんがいつも、お庭のテーブルの上の御馳走に、『虫さんに食べられちゃダメだよ』って言いながら、ぽんって被せてた、あの折りたたみ式の……!」


「そうだ。あれは、ただの網ではない。その内側にある『美味しいもの(日常)』を、外側のいかなる汚れや不条理からも完全に遮断する、至高の防衛兵器だ。……ひより、彼女を呼び出して、お主のパフェの絶対領域を確立してやれ!」


第六章:パフェ防衛と「蝿帳の絶対障壁」


ひよりはスプーンを構えたまま、蜘蛛の魔獣に向けて、黄金の神聖な魔力を一気に解き放った。

「デッドストック!! 我が家の食卓に眠る、美味しいご飯を虫さんから守るお宝、出てきて私のパフェを完璧にガードしちゃって!」


パサッ……と、


軽やかな布が広がるような、あまりにも平和な音がカフェのテラスに響き渡り、網目模様の丸い魔法陣が出現した。

光の中から出現したのは――

………細い竹の骨組みに、薄い絹の網が張られた、傘のように折りたたむことができる、古風な『蝿帳(はいちょう・食卓カバー)』だった。


「あらあら。随分と大きくて、お行儀の悪い『虫(魔獣)』が、お嬢様の大切なおやつを狙っていますねぇ。……ワシの網の内側には、一匹の羽虫の影すらも立ち入ることは許されませんよ」


蝿帳の網の隙間から立ち上る、爽やかな菊花(蚊取り線香)の煙の中から現れたのは、白い着物の上に、お洒落なエプロンを締めた、いかにも上品で、どこか古風な若奥様の姿をした


付喪神――名を『お網(おあみ)』という。


千年の間、神社の食卓でお供え物や家族のご飯を護り続け、「我が覆ったものの内側は、すなわち絶対不変の安息圏である」という、強烈な『食の防衛』の執念から生まれた、蝿帳の付喪神だ。


「お網さん! あの蜘蛛の化け物が、私の特製パフェを踏んづけようとしてるの! パフェを絶対に守って!」

「お安い御用ですよ、ひより様。……さぁ、我が結界の内側で、安心しておやつを召し上がりなさい。――【神苑防護・食卓絶対領域(しんえんぼうご・しょくたくぜったいりょういき)】!」


お網が、自らの本体である蝿帳を、ひよりの目の前にある『世界樹のトリプル果実パフェ』の上に向けて、ぽん……と、優しく被せるようにして広げた。


その瞬間、パフェの周囲に、透き通った絹の網目状の「絶対不可侵の防衛障壁」が、ドーム状に展開された。


直後、蜘蛛の魔獣が「キシャァァァッ!」と鋭い脚を突き立て、パフェを押しつぶそうと上から襲いかかった。


ドガァァァァンッ!!!!!


すまじい衝撃音が響く。しかし、魔獣の鋭い毒の脚は、お網の張った薄い絹の網の表面に触れた瞬間、まるでダイヤモンドの壁にぶつかったかのように「パキィン!」と軽い音を立てて完全に弾き返され、蜘蛛の爪の先が粉々に砕け散ってしまった。


「キ、キシャァァッ!?!?(何だこの薄い布は、一ミリも突き破れないぞ!?)」


蜘蛛の魔獣が驚愕して後退する。お網の結界は、外側からの物理攻撃も、暗黒の毒液も、さらには風圧の一吹きすらも完璧にシャットアウトし、内側にあるパフェのクリームのツノを一ミリも揺らすことなく、完璧な美しさを維持していた。


「な……何という防御力だ……! 災害級の魔獣の全力の突撃を、ただの『お弁当に被せるアミ』が、そよ風のように受け流しているなんて……!」

セリアが杖を構えたまま、完全に顎を外して固まっている。


「さぁ、ひより様、今のうちにどうぞ」

お網が優しく微笑むと、ひよりは「やったぁぁぁ!」とスプーンを動かし、絶対領域の中で守られたパフェをパクリと口に運んだ。


「お、美味しいぃぃぃーーーッ!! 世界樹のイチゴ、甘酸っぱくて最高! クリームも冷たくて天国みたい!」

ひよりがパフェを美味しく味わっている横で、お網は「お行儀の悪い虫さんは、お外へお行きなさい」と、手に持った小さなうちわをフッと仰いだ。

その瞬間、絶対領域の網から放たれた『神聖な退散の波動』が蜘蛛の魔獣を包み込み、魔獣は「ギャァァッ!」と悲鳴を上げて、戦意を完全に喪失し、自ら世界樹の上層へと一目散に逃げ帰っていってしまったのである。


こうして、ひよりの特製パフェは、一滴のクリームの崩れもなく、完璧な状態でひよりの胃袋へと美しく収まり、彼女の「屋台飯食べ尽くしツアー」は、文字通りの完全勝利(大団円)を収めたのだった。


終章:お祭りの夜と、呉の未来を想う


十月の大収穫祭、その果てなき屋台飯の迷宮を、「金剛杖」と「置き薬箱」と「蝿帳」という、異世界のどんな超常魔法の系譜にも載っていない不条理な日常道具コンボで完全制覇したひより。


学園都市の広場には、再び平和な夜が訪れ、収穫祭のフィナーレを飾る美しい大輪の花火が、夜空を色鮮やかに染め上げていた。


お祭りの喧騒が少しだけ落ち着いた、いつものルミナス魔法学院の図書室。

ひよりは文机の上で、市場で買ってきた可愛いお土産の数々を広げながら、セリア、そして元の姿に戻った付喪神たちと共に、楽しいお茶会を開いていた。


「いやー、今日のパフェは本当に命懸けの美味しさだったよ! 拓馬さんも萬寿丸くんもお網さんも、みんなのおかげで、私の胃袋のプロットは最高の結末を迎えられました!」


ひよりはすっかりのぼせから回復し、冷たいハーブティーを飲みながら、大満足の笑顔を浮かべていた。


「本当に、ひよりさんの持っている『ツクモガミ』の力には、大混雑を整理する力から、胃袋を治す力、そしてパフェを守る力まで、日常を最高に楽しむための不思議な温もりが詰まっていますね。最高の収穫祭になりました」

セリアも、お土産のクッキーを美味しそうに齧りながら、幸せそうに微笑んでいる。



「ふむ。果てなき食欲の旅の果てに、最高のパフェで締めくくる。これ以上ない見事な日常のプロットだな、ひより」

私は文机に向かい、この『第七幕・屋台飯食べ尽くし編』の最後の一ページに、満足のいく文字を刻み終え、万年筆を静かに置いた。


「硯水さん、今回の本のタイトルは?」

ひよりが夜空の花火を見上げながら覗き込んでくる。私は微笑み、表紙に力強い文字でこう書き込んだ。


『名もなき神社のデッドストック・第七幕~十月収穫祭の屋台飯を、金剛杖の道拓きと薬箱の消化パワー、そして蝿帳の絶対防衛で食べ尽くしてみた~』


「ふふ、完璧な大団円だ。さあ、ひより。お祭りは終わったが、明日からはまたルミナス魔法学院での、新しい楽しい物語の始まりだ」

「うん! よーし、学校が始まったら、ルファス君やミーナちゃんにも、お土産のお肉(冷めても美味しいやつ)を配らなきゃね!」


夜空に大きな青と緑の鈴蘭の花火が弾け、ひよりの黒い髪を優しく揺らす。

「パパ、ママ。私ね、こっちの世界の秋祭りで、信じられないくらいたくさんの屋台飯を食べて、最後は蜘蛛の化け物からパフェを完璧に守って食べちゃったよ。だから……いつか呉のレンガ通りの秋祭りに帰ったら、私の大好きなフライケーキとお好み焼き、絶対にパパの奢りで、お腹が破裂するくらい食べさせてね!」


少女のどこまでも明るい笑い声と、千年の時を超えてリュックの中で賑やかに笑う付喪神たちの声は、収穫祭の活気に満ちた学園都市の夜空へ、遠い、遠い故郷の空へと、どこまでも、どこまでも響き渡っていった。

みなさま、どんな風に感じてもらったのでしょうか?

少しでも面白いかもと思って頂けましたら幸いです。

励みになりますので、☆☆☆☆☆をチェックしてもらえると嬉しく存じます。

これからもお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

今回は女子高生のお話です。

よろしくお願いします。

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