5.配慮の人
「婚礼の儀は、明日でも良いか?」
アイザックは公爵邸への道のりで、アルマに告げた。
「はい。いつでも……」
「あ、だが、まずは離縁をしなければならんのか……」
まっすぐ出てきてしまって失敗だったとアイザックは頭を掻く。
「早くあそこから出してやりたくってな……」
それが、アルマへの配慮だったと知る。
――キュン
アルマは少しだけ胸が締め付けられた。
(え?)
何が起こったかわからないアルマは、胸元に手を添えた。
「どうした?」
「あ、いえ……」
「そうだ、君に付いていた侍女たちもこちらに付いてくるように手配した。公爵邸には足りなかったもんでね。それでよかったか?」
あれよあれよと移動することになってしまったため、気になっていたことだった。
ルーシーだけでなく、ジーンも手配したという。
「配慮いただきありがとうございます」
(仕事が早いわ。なにより、配慮の人ね……)
「いや、なあに」
アイザックは片手をあげるとひらひらと振った。
アイザックの気負わない仕草に、アルマは思わず微笑んだ。
「お?なんだ、笑えたのか……。うん。笑顔が似合うな」
アルマは驚き、つい真顔に戻った。
「あ。戻ってしまったか、残念」
(どうして……そんなふうに……)
アルマは、自分でも理由のわからない胸の高鳴りを抱えたまま、馬車に揺られていた。
ほどなくして、公爵邸に到着した。
立派な門構えに圧倒する。
(お城と変わらないわ……)
初老の執事を先頭に、大勢の使用人に出迎えられた。
「旦那様、お帰りなさいませ」
「聖女様、お務めお疲れ様でした、ようこそ公爵邸にお越しくださいました」
一同が低頭する。その光景は圧巻だった。
「戻った。急で悪かったな、フレッド」
フレッドと呼ばれた執事は頭をがばっと上げると、震えた拳を握りしめ、アイザックに詰め寄った。
「旦那様!そんな格好で聖女様をお迎えなさるなんて!いくら緊急だったからとはいえ、じいは見損ないましたぞ!」
アイザックは、まぁまぁと両手を前にフレッドをなだめている。
「そんなにひどいか?」
「特に聖女様の前というところが問題かと思いますが?」
アイザックは振り返る。
きょとんと立ちすくむアルマがいた。
しかし、その姿は華やいでいる。
「……そうか」
アイザックは何やら指示を出しながら、奥へと進んでいった。
残されたアルマはキョロキョロと辺りを見回す。
(私……どうしたら?)
すると、女性が一人近づいてきた。
「聖女様。私は侍女長を務めさせていただいております、ヨランダと申します。このあとご案内させていただきますね。こちらへどうぞ」
こうしてアルマも屋敷の奥へと案内された。
「本日は取り急ぎでしたので、客間にて失礼いたします。明日にはお荷物が届くそうですので、お部屋も整うかと思います。少々お待ちください」
「突然でごめんなさいね。ありがとう」
「いえ、お礼など……」
ヨランダはさらに頭を下げる。
「本日は、旦那様より晩餐をご一緒にと伺っております。それまでの時間はご自由にお過ごしくださいませ。その時間になりましたらお呼びいたしますので」
「わかったわ」
アルマは窓際に立つと、外を眺めた。
空は雲で覆われていて、昼だというのに薄暗い。
(こんな日が、数ヶ月続いている。また、青い空を見上げる日が、来るのよね……?)
そのような世界にするのが役割だった。
成果を出すどころか悪化していくのを、見ているしかできなかった。
だが、こんな空だというのに、心の内は温かかった。
(あの時とは違う……)
目を合わせ、優しく見つめてくれる。そんな人が夫になる。
話しかけ、笑ってくれる。そんな人が夫になる。
それだけでも、心強かった。
(今度こそ、聖女としてお役に立とう)
アルマは決意を新たにした。
「聖女様、晩餐のお時間です」
食堂には、食べきれないほどの料理がすでに並べられていた。
「すごい、量ですね……」
「旦那様がお戻りになったのは一年ぶりですからね。それにこんなにお美しい方をお連れになって」
ヨランダはニコニコとし、うれしそうだった。
まもなく、コツコツと足音が聞こえてきた。
アルマが振り返ると、そこには、背の高い紳士が立っている。
黒い短髪、それも前髪は後ろに流し整えられ、露わになっている目元にはサファイアのような瞳が輝いている。顎筋も鼻筋も通った美丈夫がそこにいた。
「ど、どちらさまですか……?」
思わず口からこぼれ出た言葉に、アルマはすかさず口元を両手で覆う。
「ひどいな。兄上と似ているだろう?」
「か、閣下ですか!?」
「他に誰がいる?」
身なりを整えたアイザックは、王族らしく美しかった。
これほどまでに美しければ、なぜ、このお方は独り身だったのだろうかと不思議なほどだった。
「だから、申し上げましたでしょう?聖女様をお迎えなさるのに、身なりを整えないなど、言語道断です。軍の中に居すぎなのですよ。旦那様はその辺が無頓着すぎます。だから、これまで独り身で――」
「はいはい。わかったわかった。もう独り身じゃなくなるからいいだろう?」
フレッドのお小言はいつものことなのだろう。
このやりとりが妙に愉快で、アルマはクスクスと笑い続けた。
笑いがようやく収まった頃、ふと顔を上げた。
目の前にはアイザックの優しい瞳があった。
「ずっと笑っててくれ。その方が君には似合う」
アルマは目を瞬かせる。
(どうしよう……閣下が……美しすぎる……)
頬が上気する。
「どうした?体調でも崩したか?」
アイザックはアルマに近づく。
「失礼」と言ったかと思えば、アルマをふわっと抱きかかえた。
「へ!?」
「そういう時は無理をしないことだ。休みなさい」
「えっ、あのっ」
目の前にはその美しい顔がある。
(ち、近いっ……!)
アルマは思わず顔を隠すように、そっとアイザックの胸元に身を寄せた。
──ぐ~きゅるる。
「……」
「……」
「なんだ。お腹が空いてるのか」
「す、すみません……」
アルマは恥ずかしさから、真っ赤な顔を両手で隠した。
アイザックはそのまま移動すると、アルマの席に彼女を下ろし、その斜め横の上座に座った。
「さ、食べるとするか」
「……はい。いただきます」
「遠慮なくたくさん食べるといい」
「……それにしても、多くないですか?」
「そうか?」
(あれ?多くないの?)
「遠征先では、食べられるときに食べるから、その癖がついてしまってな……」
二人の食事が終わる頃には、皿の上には何も残っていなかった。
部屋に戻ると寝支度をしていた。
「おなかがいっぱいだわ……」
「随分とお召し上がりになりましたね」
ヨランダの返答に、自分の声が漏れていたと気づいたアルマは顔を赤くした。
アイザックのペースにつられ、ついつい自分も食べ過ぎてしまったのだ。
「とてもおいしかったです」
「それはよかったです。料理長にお伝えしておきます」
ヨランダによって身支度は終わった。
「明日は荷物と共に、お仕えになる侍女もこちらに来ますのでお待ちくださいね。それまでは、私になんなりとお申し付けくださいませ」
「ありがとう、ヨランダ」
ヨランダが退室し、一人の時間を過ごす。
でも不思議と寂しさはない。
窓の外を見る。星は今日も見えなかった。
(月明かりで、外を歩けるようになるといいわね……)
部屋の明かりを一つだけ残し、アルマは眠りについた。
翌日、公爵邸に続々と馬車が到着した。
アルマの荷物と侍女が二人、そして使いの者が一人いた。
「こちらから行く手間が省けたな」
アイザックから呼び出されたアルマは、差し出された書類に目を見開いた。
それは、フランシスの名前が記入済みの離婚届だった。
(こんなに早く……。彼にとって私は、余計なものでしかなかったのね……)
聖女と結婚したことも、私と夫婦になったことも、彼にとっては望まぬものだった。
(……私だって、望んでこうなったわけじゃないのに)
「ほら、早く縁を切ってやれ。ここに名前を書くだけだ。簡単だろう?」
「ふっ」
アイザックの言葉に、思わずアルマは吹き出した。
ペンを持つ手を走らせる。
そこに名前を書き連ねた。
「早く提出してくれよ?朝早く来るくらいだ。あちらもお望みなのだろう?」
アイザックは書面を従者に突き返す。
昼の時間まではまだ遠い。それほどまでに所望されているのだろう。
アイザックは従者を見送った。
「さて、これで俺と婚姻を結べるぞ?」
はっとアルマは顔を上げる。
「今すぐにでも行くか?しかしな、聖女殿を迎えるのは簡単なことじゃないだろう。神殿に確認をとるから待っててくれ」
アイザックはポンポンとアルマの頭を撫でる。
今、アルマは望まれてここにいる。
それだけで、不思議と心は満たされていた。
「ルーシー!」
アルマはルーシーに抱きついた。
「お嬢様……」
ルーシーは何も語らず受け止めた。
「それに、ジーンもありがとう。ジーンは良かったの?」
ルーシーは生家からの侍女だが、ジーンは王城勤めの侍女だ。
「はい。私からお願いしたものです。これからも聖女様にお仕えさせてください」
「ジーン……」
アルマはジーンも抱きしめた。
早速、侍女二人は、荷物の整理を始めた。公爵夫人の部屋の準備だ。
その間、アルマはヨランダに屋敷内を案内してもらった。
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