116話 はじめまして、ごきげんよう
——顔も、背丈も、声も、金色の目も、全てが彼そのものだった。だというのに、表情と紫色の瞳が天賦の記憶と違っている。彼は「彼」のはずなのに、頭で理解することができなかった。
「……誰?」
腰からナイフを抜き、それを構える。混乱した天賦は彼に対して、一度「敵対」の形をとってしまった。
彼は武器を見てもたじろがない。ただ、笑みを浮かべて天賦のことを見ていた。
「私は、ベスティオローネの王です。皆と同じように「国王」とお呼びになってください」
「王」にしては丁寧な口調で、腕を広げる。他人行儀な振る舞いで、怪しげに口角を柔らかく上げた。
「……私のこと、知ってる?」
汗が伝う感覚がする。
彼は、その笑みを崩さないまま答えた。
「いいえ」
天賦は感じた。
これは、彼じゃない。
「ベスティオローネは初めてですよね? そうだ、もう噴水はご覧になりましたか? 私のお気に入りなんです」
「なに、誰」
天賦は反射的に、そのナイフを彼の首元に向けた。今にも触れそうな距離だが、やっぱり彼は動かなかった。
「国王、ですよ」
「違う、そのはずない」
彼はこんな風に笑わない。自分のことを「私」と言わない。まるで、パカっと体を開けて中身を取り替えてしまったかのようだった。
「とりあえず、その武器を下げていただけませんか? 国王ですので、殺されてしまうわけにはいかないのです」
「ファ——元の人はどこにいったの」
天賦のことが見えていないのか、と思うほど、民衆からの歓声は変わらない。なにもかも、不揃いである。
「どこへ行った、と言われましても。私は国王であり、それ以外の何者でもありません。今までも、これからもね」
音自体は同じはずなのに、発声の方法が違うのか、まったく違う人間の声を聞いているような気分だった。
"勇者"のそれとよく似たローブから手を出し、彼は顎に指を当てる。頭痛が強くなっていった。
「……嘘。絶対嘘。どこへやったの」
「王というのは、嘘をつかないんですよ」
話が通じているようで、どこか空振っている。彼——「国王」は一歩、天賦に近づいた。わざとらしく上半身を屈め、天賦の顔を正面から覗き込んだ。
「本来は私に武器を向けたことを罪に問うべきなのですが——私は、問題を起こしたくないんです。なんせ、ここはベスティオローネですからね。平和で、美しい国なのですから」
ナイフの先をつん、と突く。
「ああ、「罪」だなんて恐ろしい言葉を使ってしまいました。これでは民に怖がられてしまいますね」
「……何、なの」
「ですから、言ってるじゃないですか」
その、瞬間。
「え」
天賦は、宙に浮いていた。
「——国王だって」
体が引っ張られる感覚がして、宙吊りになっているようだった。髪が落ちて、視界が悪くなる。
何かに持ち上げられているのかと思ったが、天賦の体を掴んでいるものは何も存在しない。ひとりでに、空に浮いている。
天賦は下を見た。
そこには、指をピンと立てて天賦を見上げている国王がいる。——まさか、と、天賦の中である光景が映し出された。
——ほら、食べる?
そう言って、リンゴを浮かせたチュリマー。
「少し乱暴ですが、どうか許してください。落ち着いたら、また会いましょうね」
「待っ——」
国王は指を横に動かす。それと連動するように、天賦の体も左に引っ張られる。そして——
ぽいっと、天賦の体が投げ捨てられた。
落下する。無数の金の目が広がっていた。
逆さまの国王の姿が髪の隙間から見える。余裕たっぷりの笑みが、不気味で、不自然だ。
そのまま、天賦の体は地面に激突——せず、何かに抱き抱えられた。石畳ではない、柔らかいものがクッションになる。
それは、再生師の体だった。彼女が放り投げられた天賦を捕まえて勢いを殺したのだ。
「天賦、無事か!?」
「そ、それより」
わあっと声が上がる。
起き上がり、国王がいた場所を見る。そこには誰もいなかった。
——その代わり。宙に浮く、白い人影。
国王は、空中を歩いていた。
「みなさん、今日は記念すべき日です。ベスティオローネという楽園が世界に具現した、素晴らしき日」
ふわり、ふわりと頭が跳ねている。普通であれば、人間が空を飛ぶことなんてあり得ない。だが、納得せざるを得なかった。
「誰も泣くことのない、誰も孤独にならない、そんな素晴らしいベスティオローネを、皆で育み、守りましょう」
「——ベスティオローネに、栄光あれ」
——栄光あれ!
金眼の人間たちが、声を揃える。置いていかれたのは天賦たちだけ。そのうち大合唱が始まり、国王を讃え始める。
「ファ……え?」
「い、意味が、わかんないよ」
なぜ、彼は自身が国王であると疑っていないんだ?
そもそも、あれは誰なんだ?
紫色の瞳孔がゆらめく。国王と名乗る彼は幸せそうに頷いていた。
彼の名前を呼ぼうと思っても、できない。彼を連れ戻したいのに、口が動かなかった。
まるで、最初から、そんな人間が存在しなかったかのように。天賦は「不変」を感じた。
ベスティオローネに栄光を。
ベスティオローネに祝福を。
国王の姿が遠くなる。背を向けて、ローブをはためかせて。天賦たちを一瞥することなく、国王は帰ろうとしていた。
「待って!」
とにかく、天賦は声を上げることにした。名前が呼べなくとも、このまま別れるわけにはいかないと、そう思ったから。
国王は横目で天賦を見る。紫の瞳孔で天賦を刺し、それからふっと笑った。
口を少し動かして、背を向ける。国王は誰に引き留められることもせず、城へと戻ってしまった。
「……は」
衝撃で、頭がよく働かない。
——あれが「金眼の王」?
「……同じ顔なだけの、何かではないのか?」
「ソッチの方がありえねェだろ」
炎砲が髪をかき上げる。
「呪われた」と分かった時から覚悟はしていたが、まさかこんな形でその異常性が明らかになるなんて。
国民たちが解散していく。天賦たちの前に足を止める人間は誰もいない。天賦は、まるで魔牛の群れの中に身を投じたような気分になった。
「あ、あんなの、どうすれば……」
「クソ、ンだよアレ」
彼は国王などではない。ただの料理人で、天賦たちの仲間だ。あんな衣装が似合うはずがないのに。
天賦はナイフを見る。間違いなく、自分の意思でそれを彼に向けた。——彼に似た、何かに向けて。
「カルメ」
はっとして、天賦はカルメを見る。ショックで動けなくなっている場合ではない。
「呪い、何だった」
「あ?」
「えっと……あの人の呪い!」
天賦は国王が去った窓を指差す。カルメは顎の部分を抑え、ため息をついた。
「ほぼ、嬢ちゃんが気づいた通りだと思うね。アイツの中に、何かが植え付けられてる」
「何か、って」
「それまでは分かんねェよ。でも、確かなのはアイツの体に誰かが入り込んでるってコトだな」
誰か。天賦はその正体を考える。
ここが——恐らく——チュリマーの呪源の中である以上、順当に考えればその正体はチュリマーだ。しかし、どう見ても国王は彼女ではない。
「それに、先ほど天賦を浮かせた魔法……。」
「あんな魔法知らないぞ。そもそもあいつは魔法なんて使えないって……」
天賦は「浮いた」というよりも、巨大な何かにつまみ上げられたような感覚を味わった。腕が落ちそうになって、自由が効かなくなるような感じ。
「……一つだけ、心当たりがあるんだ。」
「再生師、知ってるの?」
再生師は頷く。きらりと彼女のイヤリングが揺れた。
「恐らく、チュリマーが使ったという魔法——【支配】だと思われる。」
「【支配】……」
金眼は魔力回路が特殊、という話は聞いた。初めて耳にする魔法に、天賦は手を握る。
「私も詳しくないのだが、物を持ち上げたり、飛ばしたりすることができる魔法らしい。あの天賦のようにな。」
天賦は触れられてもいないのに、宙に投げ捨てられた。まさに【支配】そのものである。そんな魔法アリなのか、という思いと、ならばやはり国王はチュリマーなのか、と疑念が浮かんできた。
「じゃあ、あれはやっぱりチュリマーなんじゃ」
「でも、チュリマーは……」
「納得できねェ感じ?」
優しくて、子供っぽいチュリマーの姿と、貼り付けたような笑顔の国王は重ならなかった。
「……違う感じ、がする」
彼に入り込んだ人間の正体はわからない。天賦は王の名前に詳しくないのだ。
「なあ、カルメ。あいつは……無事なんだよな?」
炎砲の問いに、カルメは頭を掻いてから答える。
「……見ただろ。動いて、話してたんだぞ。まだ生きてるに決まってンだろ」
カルメは炎砲の赤髪をくしゃくしゃにした。天賦も彼がまだ存在していることを信じたい。いや、信じなくては。この場所で、彼の存在を知っているのは天賦たちだけなのだから。
「——あっ! 旅のお方!」
そんな、快活な声がかかる。
天賦は顔を上げた。予想通り、緑のイヤリングの少女である。
「どうでした? 私たちの王は! 素敵なお方でしょう?」
「どっか行け。今はお前と話してる場合じゃねェんだよ」
カルメはくいと首を横に向ける。ここから去れ、というジェスチャーである。しかし、少女は笑顔を崩さなかった。
「また明日になったら王に会えますよ!」
「……は? 明日?」
はい、と少女は頷く。
「素晴らしいでしょう? 私たちの王は慈悲深いことに、毎日ご挨拶をしてくださるんです!」
「そうではなくて、今日はもう会うことができないのか!?」
「はい、お忙しいですからね!」
では、彼に会うためにはここで一晩過ごせ、ということだろうか。呪源のそばで、あんな得体の知れない場所で。天賦は街を改めて見回した。
「オイ、こんなヤツの言うコト聞いてる場合じゃねェだろ。とっとと乗り込むぞ」
「乗り込むって、城に?」
城の周りを巡回する兵士は不自然なほどいない。天賦はまだ、この国で武器や防具を身につけている人間を見たことがなかった。
簡単に入り込めそうだ、と思ったが、少女は首を振った。
「いけません、お城は王以外が入ってはいけないんです」
「なんだよ、そのルール」
「お城は王の家ですからね! 当たり前です!」
そういうものなのか、と天賦は思ったが、カルメたちは怪訝そうな顔をしていた。どうやら、彼らが知る城のルールとベスティオローネの常識は少々違うようだ。
「……聞かずに入ったらどうなるよ」
カルメは、なぜか少女を挑発するような口調で聞いた。かなり鬱憤が溜まっているから、かもしれない。
——その時、一瞬だけ、世界が暗くなった気がした。
国民たちを除き、天賦たちは空を見上げた。変わらず、昼の明るい空が広がっている。間違いなく光が消えたと思ったのに。
「それは本当にいけません! 王に怒られてしまいますよ!」
少女は頬を膨らませて、可愛らしく腕を組む。今の違和感は何だったんだ、と天賦は自身の一つに括った髪を撫でた。
薄寒い空気が天賦の背中を伝い、そのうち再生師と目を合わせた。一体これからどうすればいいのか、皆の意見を聞きたいと思ったから。
「……ここに長期間留まるのは避けたい。だが、今日は無理だと言われてしまうと……。」
「やっぱ侵入するしかねェだろ」
「でも、なんか……」
さっきの妙な空気は何だったのか。兵隊さえ存在しないこの国で問題を起こすとどうなるのか。気がかりなことが多く、簡単に強行突破して良いものなのか疑問に思った。
——私は国王であり、それ以外の何者でもありません。今までも、これからもね。
天賦の肩が震える。
「……一回、ちゃんとこの国を見て回らないか? あいつのことは今すぐ助けに行きたいけど……まだ、この呪源をどうしたらいいか全く分かってないし」
この国のどこかに呪源を斃すヒントがあるかもしれない、と炎砲は言う。天賦は彼の言葉に同意した。彼の体の中に違う人間が住み着いているとしても、それを引っ張り出す方法は不明だ。彼を攻撃するわけにもいかず、城に行った後何をすればいいのか分からない。
「それがいいかもしれんな。」
「明日まで待つっつーのは反対だけどな」
ここにいたら頭痛はいつまで経っても治らないだろう。天賦は甘い匂いを誤魔化すために自身の袖を口元に当てた。服にまで香りが染みつかないことを祈る。
カルメは城の方を見て、マスクのクチバシの下部分を指でなぞった。城は閉ざされていて、ただ静かにそびえている。既に国民たちは城下から離れ、生活に戻っていた。
「国がどこまで続いているのかも気になる。そもそも出口があるのかどうかも。」
「ああクソ、ただのバカ強ェ怪物とかだったらよかったのによォ」
それなら——呪源相手にしろ——戦うだけでよかった。ここまで頭を悩ませないといけないなんて、まるっきり天賦の苦手分野である。しかし、思考を放棄することはしない。今回は天賦たちと"相棒"の未来だけではなく、彼の命もかかっているのだから。
「ご観光ですか? なら私がまた案内しますね!」
ぱたぱたとついてくる少女を無視して、天賦たちは再びビビットな色の石畳の上を歩き始めた。




