115話 ここはすてきなベスティオローネ
——宿を出てすぐ、同じ少女が天賦たちを迎えた。扉の正面に立っていて、大きな目が観察するかのように、じいっと天賦を見つめている。
「……なに?」
「ではみなさん、これから私がベスティオローネを案内しますね!」
そう言って、緑のイヤリングをした少女は笑う。
実際は少女ではなく、マーマレードの父なのだが——本人はそれを覚えていないだろうから。
天賦たちは彼女に返事をしない。金色に輝く瞳が憎らしく見えた。
「まずは、美しい噴水の広場から——」
「城に連れてけ」
カルメが少女の言葉を遮り、広場に向かおうとした彼女を止めようとした。少女はきょとんとした顔をして、それからまた笑顔になる。
「ああ! みなさんもご挨拶がしたいんですね!」
「……ご挨拶、だと?」
「ですが、それまでにはもう少し時間がありますから! それまではベスティオローネを見て回りましょう!」
「もう少し時間がある」。今ではない、ということだろうか。話が通じているのか不安になって、天賦は城の方へと行こうとした。しかし、止められる。
「ああ、ですから! 今お城にいっても何もありませんよ? お昼の鐘が鳴ったら案内しますから!」
「……お昼の鐘?」
鐘が鳴ったら何かが起こる、ということか。しかし、それを聞いても少女は「後でのお楽しみ」としか言わなかった。体が浮かぶような、妙に居心地の悪い感覚が天賦を包む。
天賦たちは少女と距離を置きながら、小走りでぱたぱたと足を動かす彼女の後を追った。
ベスティオローネ、という国を歩いた感想は、はっきり言って第一印象と全く変わらなかった。奇妙で、不気味。
噴水の色は不自然すぎるほどに青く、どれだけ塗料を塗ったんだ、と思うほどに彩度が高いタイルが敷き詰められている。この景色を、再生師は「絵本」のようだと形容していた。
そして、次におかしいと思ったのが太陽。
その明るさや、存在していることを疑問に思っているわけではない。真上を見て、それを直視しても目が全く傷まないのだ。まるで夕暮れの空を見上げた時のような感覚である。
どこかのっぺりとした家々の壁や、濃すぎる空の色も相まって、偽物の模型のような国という印象を受けた。鮮明すぎる夢の中を歩いている、そんな気持ちである。
「こんにちは、旅のお方!」
「今日もいいお天気ですね!」
道を少し歩けば、金眼の住民が天賦たちに声をかけてくる。ここに幸せそうではない人間は1人たりとも存在しなかった。
「……なんで、みんな金の目をしてるの」
「え? だって、それがベスティオローネの当たり前ですから!」
少女はにっこり笑ってそう話す。全員同じ目なんてありえない、と言っても理解できていないようだった。心の底から、金眼が普遍的なものであると思っているらしい。
「皆、自身の目を誇りに思っています! だって、ベスティオローネの国民である証そのものですからね!」
そう言って、少女は胸を張る。
国民たちの振る舞いはチュリマーにも、彼にも似ていない。天賦は、その目に生まれてきた彼らのことを侮辱しているのか、と見当違いの声を上げそうになった。
「そうだ! この先に喫茶店があるんです! そこでゆっくり休憩しましょう!」
「こんなトコの飯なんざ食うわけねェだろ」
「あら、そうですか? ではまた後で!」
呪源の場所から提供された食事を取るなどほぼ自殺行為だ。どんな効果があるか分からない。よっぽど飢えでもしない限り、手をつけることはないだろう。
「それでは大道芸のショーを見に行きますか? あれはとても面白いですよ!」
「それで昼まで時間が潰せるのならな。」
再生師も、誰もそのショーを見に行きたいわけではない。それでも、時間が経つまで天賦たちにできることはなさそうだから着いて行っているだけだ。実際、城は静かである。
天賦は、炎砲が心急いているのを感じていた。最初はベスティオローネがどんな場所なのかを探ろうとしていたが、今では城の方を何度も見て、少女や住民の話もろくに聞いていない。いつもの彼とは様子が明らかに違った。
その理由は聞かなくとも分かる。天賦も彼と同じ気持ちを抱いていたから。
異様なまでに色とりどりの世界を見る。まるで天賦たちの方が燻んでいるようだった。
最初、初めて目を覚ました時に天賦はこの国を「栄えている」と思ったが、今では違う。栄えていることを義務付けられているような感覚があった。
ベスティオローネに栄光を。
ベスティオローネに祝福を。
天賦がくたびれるほど、世界は明るかった。
「……なあ。」
「なんですか?」
「その……黒髪で、金の目を持つ男を知っているか? 料理人だ。」
再生師は彼の居場所を探るために、望み薄ではあったが、少女にそう聞いた。しかし、やはり、と言うべきか、少女は首を傾げている。
「分かりません! そんな料理人の人は知らないですね」
「そうか……。」
「無茶だろ。ドコもかしこも金眼だ」
彼の外見の特徴といえば——不服ではあるが——それだ。この国では、目の色で個人を判別することは不可能である。そもそも「個人」というものが明確にあるのかさえ不明だ。
「それにしても、気味悪ィ国だな。……いや、国っつーのも違うな。文化ってモンが全く見えねェ」
「文化、な」
カルメが話す意味を天賦は少し考える。例えば、王都ヘイリンの家々にオレンジの屋根が多いのはソエルソスの土地で取れる粘土がそういう色だから、という話をウィルヒムたちから聞いたことがある。
しかし、ここではそのような、土地ならではの傾向、というものが見えなかった。世界中から物を集めて、それらを全てくっつけた、みたいな——統一感があるのに、どこかチグハグ。
よく考えれば、ここは呪源の空間なのだから、国ができるまでの過程など存在しなくて当たり前だ。歴史がある方がおかしいのである。
甘い匂いに少しの吐き気がする。天賦は"相棒"のグリップを握りしめた。
天賦たちは大道芸の会場へと連れて行かれる。そこにはきっちりと整えられたスーツを着た男がいた。やはり、他の人間と同じように金眼を持っている。
仰々しくオープニングトークをして、拍手を浴びる。それから芸を始めるが、天賦たちはそんなものに関心を抱いていなかった。
「なァ、嬢ちゃん」
「なに」
「魔術師チュリマーはこういうの好きそうだったか?」
天賦は彼女の声を思い出す。
誰も泣かないような世の中になってほしい。チュリマーはワイバーンを撫でながらそう言っていた。
誰も泣いていない、というのは真実だ。しかし、これが理想か、と言われたら違う気がする。チュリマーはもっと、穏やかな時間を求めていたのではないだろうか。
「わかんない……けど、多分違う」
「じゃあ良かったわ。お花畑の異常者じゃなくて」
カルメは英雄のことになると、相変わらず言葉が強くなる。天賦は特に動揺することなくカルメの話を聞いていた。
「今ントコ、この呪源が何したら死ぬのかは分かんねェな。民を皆殺しにするとか、建物ブッ壊しまくるとかで「ラクエン」とやらを滅茶滅茶にしてやれば嫌がるだろうけどよ」
「でも、普通に斃せると、思えない」
「やっぱ、本体探さねェと話進まなそうだなァ」
この国とやらを支配するナニカ。それさえ見つかれば、何かしらの突破口がひらめくかもしれない。彼を探すことと同時並行で進めなければ、と天賦は"相棒"の鞘をなぞる。
俯いた炎砲が、何かを言葉にしそうになってすぐ口を手で塞いだ。彼の顔は暗くなるばかりである。
「炎砲、大丈夫か? もう一度休んでも……。」
「……いや。俺は、平気」
いつもは快活な再生師の口数も少ない。大人しく、尻尾を畳んで腕を軽く組んでいた。拍手の音がやけに遠くで聞こえる。
「あら、みなさん大道芸はお好きでない?」
「……そういうことじゃない」
「真面目に会話しようとすんなよ」
少女は「珍しい人もいるんですね」と言って、再び大道芸を見る。なにやら大技を決めたらしいが、天賦たちには関係のないことだ。
芸が終わって、パフォーマーがお辞儀をする。そして、ちょうどその時。
——ポーン。ポーン。
どこからか、軽い音が何度か響く。
「あ?」
「なにこれ」
それが鳴り出した瞬間、市民たちは空を見て、皆動きを止めた。まるで、何かに導かれているようで。
一拍遅れて、世界が動き出す。
「あっ!」
イヤリングの少女が目を輝かせた。
「お昼ですよ! 時間になりました! 早くお城に行きましょう!」
時間。城での「ご挨拶」が始まるということか。
少女は天賦たちのことなど気にせず、一目散に城へと駆けていく。そして、それは他の住民たちも同じだった。
そこら中から人間が出てきて、金色の目をぴかぴかに光らせて城に走る。皆揃って腕を振って、老人だって子供と変わらない様子で足を動かしていた。一人一人の意思が感じ取れなくて、天賦は思わず身震いする。
「オイ、オレたちも急ぐぞ」
「あ、ああ!」
きっと、城に彼の手がかりがあるはず。国民たちがこんなに嬉しそうに城を目指す理由が、きっとそれだ。
天賦は頷き、真っ直ぐ城へと走り始めた。
城下は凄まじい有様だった。
どこもかしこも人が押し寄せ、足の踏み場がない。前に行こうと思ったが、出遅れた天賦たちが割り込む隙間はなかった。彼らは足を踏まれているのに、または髪を引っ張られているのに、それを気にする様子はない。
ただ、城の大きな窓を見て。
「なんか、変……」
「気色悪ィなァ。オエ」
カルメは首を振り、頭を手で扇ぐ。天賦はインナーを握り、服と体の間に隙間を作った。
一体、これから何が始まるというんだ。天賦は民衆たちが見ている方向と同じ方を見る。あそこから、何かが来るのだろう。天賦は不安からカルメたちの顔を見た。
「警戒しとけ。バケモンでも出てくるかもしんねェぞ」
「分かってる」
天賦は拡張袋に手を伸ばす。あの窓からドラゴンやワイバーンが出てくる可能性だってあるのだから。
やがて、バラバラだった市民たちの声が、だんだんと一つに集まっていく。それは、まるで1人の人間が発しているのかと思うくらいにまとまったコールになった。
「国王!」
「国王!」
「国王!」
手拍子も追加される。熱がこもって、天賦は口を大きく開いて息を吐いた。国民の顔は揃って上気している。
炎砲は耳を塞ぎそうになっていた。再生師は指をピクリと震わせている。天賦も同じようにしそうになった。
何がそこまで、彼らを興奮させるのか。理解不能な行動に、許容できない空気。気を抜くと飲まれてしまいそうで、天賦は喉を鳴らす。
「落ち着け」
「分かってる」
空気は暖かいのに、足元だけが冷える。頭をゆっくり締め付けるような頭痛がした。
——そして、その時がやってきた。
歓声が上がる。それは、皆が注目していた窓が開いたからだ。そこから、一つの人影が現れる。
人混みの中、天賦の目にその姿だけが鮮明に映った。
——真っ白な、ローブである。
「え」
天賦は、その形に見覚えがある。
呪解者が所持していた絵画に描かれていた人間。カローラ・フェンが結婚式のために用意していた純白のそれ。
——まさか、"勇者"?
「国王!」
「国王!」
「国王!」
天賦の思考を遮るように、国民たちが声を揃えて「国王」を熱狂的に呼んだ。
その人物は民衆へ、ゆったりと手を振る。それだけでさらに歓声が大きくなった。フードの下は暗く、よく顔が見えない。
そして、「国王」がこちらの方を向いて——天賦は、目を見開いた。
……違う。"勇者"じゃない。英雄でもない。
だって、あれは——
「オイ!」
「天賦!?」
天賦は無意識のままモーニングスターを取り出し、その鎖をバルコニーの柱へと伸ばした。国民たちはそれを気にする様子もなく跳ねている。
鎖が巻きつき、天賦はそれを手繰り寄せて足を離した。人だかりの頭上を飛び、カーブを描いて天賦の体が回る。
そして、天賦はバルコニーの柵に足をかけた。身を屈め、無言でその人物を凝視する。
「国王」と呼ばれる白いフードは、ゆっくり、ゆっくり、天賦の方へと頭の向きを変える。それが完全に横を向いて、手を下げた。
——その人物は、フードに手をかける。その手つきが、天賦にはいやに遅く見えた。
黒い髪が、フードの中から飛び出す。毛先が少し跳ねた髪が、さらりと肩に落ちた。
そして、目が合う。
「——どうかなさいましたか、旅のお方」
国王——いや、彼は、金の目に天賦を映す。
「私の国に、ようこそいらっしゃいましたね」
紫色の瞳孔を開き、全く知らない笑顔をつくった。




