第四章 現場の声
四月になった。
桜が散る頃、山下の元に一本の電話が来た。
「山下さんですか。私、福井の現場で働いている田所といいます」
聞いたことのない名前だった。
「どちらで」
「白浜崎の発電所です。山下さんが設計に関わった三号機の現場で働いています」
山下は背筋が伸びた。
「何かありましたか」
「いえ、問題があるわけじゃないんです」田所の声は、少し躊躇するような間があった。「ただ、聞いたんです。米国規格に合わせて設計を変える、という話を」
「どこで聞きましたか」
「現場では、そういう話が流れてくるんです。正式な発表じゃないけど。それで——本当なんですか」
山下は少し考えた。
「検討中です」
「検討中」田所は繰り返した。「山下さん、正直に教えてください。設計が変わったら、安全性はどうなりますか」
電話口の向こうで、風の音がした。屋外から電話しているのだろうか。
山下は答えを選んだ。
「懸念があります」
「やっぱり」
「ただ、最終的にどうなるかは、まだ決まっていません」
「山下さん」田所の声が、低くなった。「私たちは毎日あの炉の横で働いています。設計した人間が懸念を持っているなら、知りたい。それだけです」
山下は受話器を握った。
「田所さん、あなたの連絡先を教えてもらえますか」
「なぜですか」
「話し合いたいことがある。電話ではなく、直接会って」
しばらく沈黙があった。
「分かりました」
*
五月の連休が明けて、山下は福井に向かった。
川島部長には、現場確認のための出張、と報告した。嘘ではない。
白浜崎の発電所の近くの喫茶店で、田所と会った。
四十代、日焼けした顔、手が大きい。作業服の跡が、スーツの上からでも分かる。現場の人間の体をしていた。
「わざわざすみません」田所は言った。
「いえ」山下は言った。「私が会いたかった」
コーヒーが来た。二人で向かい合った。
「田所さんは、現場で何年になりますか」
「十八年です。ここの発電所一筋で」
「十八年」
「山下さんの設計した機器も、何度も触ってきました。よく出来てると思います」田所は言った。「だから心配なんです」
山下は頷いた。
「正直に話します」山下は言った。「会社が海外事業部の方針に応じる方向で動いています。設計は変わります。その過程で、安全確認が十分にできない可能性がある」
田所は黙って聞いていた。
「それを会社に言いました。役員にも言いました。霞が関にも言いました。記録には残してもらいました。でも流れは変わっていない」
「止められないんですか」
「私一人では」山下は言った。「止められない」
田所はコーヒーカップを両手で包んだ。
「じゃあ、私たちはどうすればいい」
山下は田所を見た。
現場で十八年働いてきた男が、設計した側の人間に聞いている。どうすればいい、と。
「田所さん」山下は言った。「現場で気になることがあったら、全部記録してください。どんな小さなことでも。そしてその記録を、正式なルートで報告し続けてください」
「それで変わりますか」
「変わらないかもしれない。でも記録は残ります」
田所は山下を見た。
「山下さんも、同じことをしているんですね」
「そうです」
田所は少し笑った。苦い笑いだった。
「設計した人間と、現場の人間が、同じことをしている」
「変な話ですが」
「変じゃないです」田所は言った。「それが普通だと思います。本当は」
喫茶店の窓から、海が見えた。若狭湾の青い水面が、春の光を受けて光っている。
あの海の向こうに、原発がある。
山下はその景色を、しばらく見ていた。
完




