王太子アルフォンス
「はぁ、憂鬱だなぁ」
ソシエール王国の王太子であるアルフォンス・フォン・ソシエールは物憂げなため息を吐き出していた。
彼の気鬱の理由はこれから向かう婚約者……セシリア・フォン・アイゼンフィールドにある。
アルフォンスはセシリアのことがあまり得意ではない。
病弱で家の中で塞ぎ込みがちな彼女はとにかく陰気で、一緒にいるとこちらの気分まで暗くなってくる。
独占欲が強いのも困りものだった。
「気は乗らないけど……行こうか」
国のために必要な婚姻だとわかっているので文句をつけることはない。
が、それと好悪とはまた別の問題であった。
アルフォンスが屋敷に向かうと、なんだかいつもと様子が違うことに気付く。
窓が開かれており、庭の芝生も短く刈り揃えられていて、なんだか全体的に雰囲気が明るくなっているのだ。
おまけに彼が案内されたのは部屋の中ではなく、外に用意されていたテーブルと椅子だった。
「お久し振りです、アルフォンス様」
「やあ、久しぶりだね、セシリア」
セシリアの姿は、以前と比べると明らかに元気を取り戻していた。
こけていた頬には少し肉もついてきており、病的なほどに真っ白だった肌には血色が戻ってきている。
「なんだか……前と比べると、見違えるようだよ。婚約者が元気を取り戻してくれたみたいで、僕も嬉しいよ」
「はぁ……ありがとうございます」
以前までのセシリアなら、アルフォンスの言葉に飛ぶように喜んでマシンガントークを始めていたはずだ。
けれど今の彼女はまるでアルフォンスの内心を見透かすかのように気のない返事をするだけ。
テーブルの上には紅茶だけが並んでいる。
少しでも長い時間一緒にいるために大量に並べられている焼き菓子も、今回は一つもなかった。
「お菓子を食べなくても、空腹は大丈夫なのかい??」
「ああ、お菓子はしばらくの間は食べないことにしたのです。気が利かなくてすみません、もし必要ならメイドに取ってこさせますが……」
「いや、大丈夫だよ」
セシリアの変わりように、アルフォンスは戸惑った。
一体何が彼女をここまで変えたというのだろうか。
「すみません、今日はこのあとお散歩をするのでここまででよろしいでしょうか?」
「散歩?」
「はい、運動をしないと身体が衰えてしまいますので……」
よくわからないままに茶会はあっという間に終わった。
そのまま馬車に乗り込み帰ろうとするアルフォンスは、少し興味が湧いて庭へ視線を向ける。
するとそこにはゆっくりと庭の中を歩き始めるセシリアの姿があった。
「セシリア様、こっちです!」
「はあっ、はあっ……」
一歩ずつ、一歩ずつ。
セシリアが顔を歪めながら、ゆっくりと歩くセシリア。
そのペースは遅々としているが、つい先日までベッドの上からほとんど動かなかったとは思えないほどにたしかな足取りだった。
セシリアは歩き続け、そのまま向かい側にあった大きな木の前にタッチしてみせる。
「やりましたね、セシリア様!」
「ええ……確かな満足感があるわ」
そう言って大喜びのメイドに笑いかけるセシリアは、笑っていた。
いつものこちらに媚びるような笑みではない、彼女の心からの笑顔。
以前のような暗い影をなくした彼女の笑みに、アルフォンスは一瞬みとれてしまった。
(また……来ようかな)
今の彼女と話をしても、以前のように憂鬱な気持ちになることはないだろう。
そう確信したアルフォンスは改めて自分の婚約者に興味を持ち、以前よりハイペースでセシリアの下へとやってくるようになるのであった。
セシリアの身体は健やかに成長している。
今となっては庭を一周しても息が切れることはなくなった。
けれど……
(――どうしてこうなったの!?)
彼女の目の前には、楽しそうに笑うアルフォンスの姿がある。
彼は最初に会って以降、なぜかこうして定期的にセシリアのところに顔を見せるようになっていたのだ。
「ん、どうかしたかい?」
「いえ、なんでもありません……」
セシリアは前世でも貴公子然としたアルフォンスのことは好きだった。
推しと会えているのはシンプルに嬉しいのだが、自分は一家もろとも彼に断罪されて没落してしまう運命にある。
いっそのこと何かが起こる前からノータッチでいれば自然と婚約解消とかできるのでは……という淡い期待は潰えてしまった。
(ひょっとしてもう断罪フラグが立ち始めているのでは……)
と思うとちょっと怖かったが、さすがに来てくれるアルフォンスを無下にするわけにもいかない。
現在はひとまず仲良くなっておき、いざ主人公のサーシャと結ばれる時に穏便に婚約破棄をしてもらう方向に舵を切っている。
「ふわぁ……眠いな」
「珍しいですね、アルフォンス様があくびだなんて」
「普段は我慢してるからね。それだけ素が出てきたってことなのかなぁ」
「……ひょっとして、いつも眠いのですか?」
「そうだね、学院の勉強と公務の手伝いもいるからさ」
そう口にするアルフォンスのお腹が、くぅと小さく鳴る。
彼は少し恥ずかしそうにしながら、ごめんねといって机の上に置いてある焼き菓子を食べた。
「お昼ご飯、食べられてなくってさ」
「お昼ご飯を……食べていない?」
「家庭教師の勉強がぶっ続けであって食べる時間がなくて……」
プチンと、セシリアの中にある何かが弾けた。
アルフォンスの生活は……あまりにも、乱れすぎている。
健康オタクの血が騒ぎ、放ってはおけなかった。
「アルフォンス様、まず睡眠はきっちりと取らなければダメじゃないですか! 一日何時間寝ていらっしゃるんですか?」
「え、えっと……三時間くらいかな」
「全然足りておりません! 私達はまだ子供なのですから、最低でも七時間は寝なくては!」
それに食事もですと口にすると、その剣幕に押されてかアルフォンスがびくっと肩を揺らした。
「ひょっとしてアルフォンス様、食事も適当に抜かれたりしているのではないですか?」
「そうだね、食べられる時に食べている感じだけど……」
「それも絶対にダメです。一日三食、これをマストにして下さい。しかもよりにもよってお菓子をご飯代わりにするなんて……そんなことをしたら、早死にしてしまいますよ」
「……」
アルフォンスはセシリアの言葉を、ジッと黙って聞いていた。
食事だけではなく長時間の座り仕事による慢性的な運動不足解決のためにお散歩や自重トレーニングを……と一通りの説明を終えたところで、セシリアはふと我に返り、顔を青ざめさせる。
(な、なんてことを……断罪フラグを自分から立てにいってしまったわ!)
アルフォンスは王太子だ。
次期国王と目されている彼は、いつだって周囲の期待に応える必要がある。
だから睡眠時間を削って勉強をし、公務に関してもできる範囲で範囲で手伝いを始める。
それは彼にとって当たり前のことだった。
周囲の人間は頑張っている彼をほめてくれた。
さすが王太子アルフォンス様、陛下の息子だと。
「僕は……王太子だから」
「アルフォンス様は王太子である前に、一人の人間ですわ」
「そっか……セシリアは僕のことを、アルフォンスとして見てくれるんだね……」
アルフォンスに厳しい言葉を吐く人は誰もいなかった……目の前にいる、たった一人の少女を除いて。
言っていることは半分も理解できなかったが、彼女が自分のためを思って諫言を吐いてくれていることはわかった。
周りからは、常に王太子として見られてきた。
けれど彼女は、彼女だけは……自分のことを、ただのアルフォンスとして見てくれる。
アルフォンスは、自分の肩に乗っていた重荷が軽くなった気がした。
自分のことを心配してくれているセシリアの期待に応えたい。
そんな気持ちが芽生え始めていた。
「そうしたら、私は散歩をするのでこれで……」
「待って!」
言い過ぎたと思ったのか、すぐにこの場を去ろうとするセシリアを呼び止める。
アルフォンスは立ち上がると、グッと背筋を伸ばしながら手を差し出した。
「もしよければ一緒に散歩でもしないかい? 僕は運動不足なんだろう?」
「……はい、それではご一緒しましょうか」
そしてアルフォンスはセシリアのペースに合わせて、ゆっくりと庭をくるくると回ることにした。
彼女の歩幅に合わせて話をしながら歩くのは、なかなかどうして悪いものではなかった――。




