地獄廻り――ルーパ・マーラ――
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「真邏、大丈夫だった?」
「軽い打ち身と擦り傷だとさ。骨はいってないらしい」
医務課から戻ってきた俺に、みくにが声をかけてくる。
しきりに、べたべたと俺の身体を触って傷の様子を確かめてくるあたり、無表情でも結構心配してくれているらしい。
「ほら、みくにちゃん。それ以上触ると先輩の傷に響くから」
「むう」
妙典がやんわりと俺からみくにを引きはがすと、不満そうにしつつも大人しく離れてくれた。
正直痛くて仕方がなかったのでありがたい。
『背神機関』のオフィス内。
その空気は重苦しく、息がつまりそうなほどだった。
普段は明るい妙典も、今ばかりは表情が暗い。
「失敗、してしまいましたね」
「……ああ」
「役に、立てなかったです」
「……仕方ないさ」
実際問題、初めてのことだらけだった初陣。
それで百パーセントの成果を出せるほどには、現実も敵も甘くはなかったということだ。
「全員無事で帰ってこれた。今回はそれで良しとしようじゃないか」
務めて明るく、空気を変えるように俺は言う。
けれどもその言葉の響きは、どこかむなしくオフィス内に沈殿していった。
「ルーパ・マーラも行方知れず。振り出しですね」
俺たちが帰還した直後、ルーパ・マーラ反応は完全に消失した。
『因果乖離位相境界』を閉じたのか。はたまた電子の海へと身を沈めたか。
とかく、今俺たちができることは少ない。
「だが、まあ。情報は得られた」
収穫がなかったわけではない。
これまで何一つとして情報のなかった『因果乖離位相境界』の内部を知れたということは大きい。
それに、ルーパ・マーラがどのように攻撃してくるのか。そのデータがとれただけでも前進したと言えなくはない。
攻略の糸口自体は、何一つとして掴めないままなのだけれども。
気がかりと言えば、みくにのことも気になる。
戻ってきて以降。みくにはと言えば俺の様子を気にかけたこと以外は上の空だ。
「みくに、どうした? どこか怪我でもしたか?」
俺はみくにへと声をかける。
けれども返事は帰ってこない。
宙を見つめて、ひたすらになにかを考えている風である。
その視線の先に何があるのか。
どこか遠くを見つめる彼女に、俺はため息を吐いた。
「とりあえず、局長に報告してこなきゃ、な」
「直接行くんですか?」
「呼び出されているんだ」
珍しいことでもあるものだと言いたげな妙典に、俺は「自分からいくわけないだろ」という意味を込めて返す。
「みくにのこと、よろしく頼む」
「承知です」
席を立って、オフィスの外を出る。
自動扉の閉まる軽快な音とは正反対に、俺の足取りは重々しかった。
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局長室の前に立つ。
ノックをしようとして、少しためらう。
俺はなんと報告すればよいのだろうか。
生きて帰っただけでも儲けものとは言ったが、実際のところ期待された役割は何一つとして果たせていない。
こうしている間にも、ルーパ・マーラは虎視眈々と、国民に剥くべき牙を研いでいるのだ。あまり、悠長なことは言っていられる状況ではなかった。
息を整えて、ノックをしようとしたその時だった。
「何をもたもたしている。早く入りなさい」
中から、局長の声が聞こえた。
俺は観念して、「久瀬、入ります」と言う。
自動ドアが開いた。
「座りなさい」
局長室の片隅につくられた応接スペースへと案内される。
俺がそこに座ると、二人分の湯呑をもった局長は対面に座った。
「まあ、飲みなさい」
「ありがとうございます」
すすめられるままに口をつける。
鼻腔を、ほうじ茶の甘く香ばしい香りが満ちて、少し心が落ち着いた。
「神楽坂にある老舗の茶葉だ。旨いだろう」
「ええ」
俺がもう一度お茶をすすると、局長は目を細めた。
「今回の件。我々を含めた上層部は失敗だとは思っていない」
「と、言うと」
意外な言葉だった。てっきり、叱責をされるものだと考えていた。
局長自身は問題ないとしても、さらにその上の連中。政治家どもはうるさく騒ぐ者だと予想をしていた。
「過去五回。その全てが失敗に終わっている。担当監査官の死という最悪の結果でね」
生きて情報を持ち帰ってきた。
その一点において大きな進歩だと、局長はそう言った。
「それで、だ。どうだったね? 『天魔』と相対してみて」
じっと。局長は俺の心を覗き込むように見つめてくる。
その深く、深海のような瞳孔から俺は目を放すことができなかった。
「正直に言いますと……怖かったです」
「だろうな」
俺の言葉に、それが自然の摂理だとでもいうように局長は受け入れる。
「奴らは、人の悪意から生まれた。だからこそ人の弱さを良く知っている。唯人であれば、発狂していてもおかしくはなかった」
思い出すのは、『因果乖離位相境界』に入る前に見たあの時の光景。
永劫とも思えるような長い苦痛の時間だ。
「それを一度乗り越えた君は、賞賛に値する」
乗り越えられたのだろうか。
素直にその言葉を受け取れない。
「べた褒めじゃないですか」
「頑張った部下にはねぎらいを。上司としては当然のことだね」
ごまかすように茶化したつもりだった。
それを真正面から投げ返されて、俺は返答に迷う。
「君を選んだのは正解だった」
局長は続ける。
俺はそんな局長の顔を直視できずに、うつむいた。
「顔を上げ給えよ。久瀬真邏」
はっと。その声に弾かれるように俺は顔を上げる。
局長の鋭い眼と、自然と俺の眼は合わさった。
「いいかね。目の前にあることだけが全てではない」
まるで坊さんの説教の様に、穏やかで重い局長の声。
不思議と俺の胃のあたりへと沈み込んでいく。
「見えるがゆえに、盲いてしまうことは往々にしてある」
——我々は皆、眩い光の中を行く、盲人なのだということを、努々忘れぬように努めなさい。
局長はそれだけ言うと、自分の湯呑に残ったほうじ茶を飲み干してから俺に、
「戻っていいぞ」
そういった。
俺が席を立って、扉の前まで向かった時。
「久瀬」
局長が呼び止める。
振り返った俺に局長は、座ったままの姿勢で、
「いいね。道に迷ったときは、杖を頼るんだ」
とだけ告げたのだった。
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「真邏、お帰り」
俺がオフィスに戻ると、みくにが俺を出迎えた。
さっきまでの様子とは変わって、いつも通りのみくにに戻っていた。
「考え事は終わったのか?」
「うん」
「そうか」
自席に戻って椅子に腰をかける。
すると、待ちかねたかのように妙典が俺に声をかけてきた。
「どうでした? 局長は。怒られましたか?」
「怒られては、ないな。説教は受けたが」
「説教??」
何が違うのだと首を傾げる妙典をよそに、俺は今回の戦闘のログを開く。
今は少しでも情報が欲しかった。
「ねえ、真邏」
「後ででいいか?」
「今がいい」
せかすようにみくには言う。
今はあまりかまっている時間はないのだが。
「ねえ、真邏」
なおもみくには、俺に話しかけてくる。
思わずため息をついて、みくにへと向き直った。
「手短に頼むな」
みくにはこくりと頷くと、言葉を紡いだ。
「真邏は倒す方法を探しているんだよね?」
「ああ」
「それで今、さっきの戦いのデータを見返そうとしている」
「その通りだ」
言い方が回りくどい。
一体俺に何を伝えたいんだ?
「もう一回、あそこに入ったほうがいいんじゃ無い?」
……は?
「どういう、意味だ?」
「解析が終わったの」
話の筋が見えない。
一体みくには何を言っているんだ?
「みくにちゃん。あそこって、もしかして『因果乖離位相境界』のことを言っているの?」
妙典の言葉に、みくにはこくんと頷く。
俺はその言葉の意味を呑み込めないでいる。
「入れる、のか?」
「うん。……うーん。正確にはちょっと違うんだけれど」
一体、この子は何を言っているのだ。
「あそこに限りなく近い場所を、私は造れるの」
——今、出来るようになった。
「な、にを」
そんなことができる『覚者』がいるなんて、聞いたことがない。これもみくにの特別性故なのか。
「どうする? 真邏」
追いつけない俺をよそに、みくには選択を強いてくる。
無言で差し出された手。
俺は少しその手を見つめて、
「行こう」
その手をとる。
正直まだ何一つ呑み込めていない。
頭の中は疑問で一杯で、それ以外考える余地なんてなかった。
だから、これは反射みたいなものだった。
「真邏なら、そういうと思ってた」
握り返してくるその手。
俺の網膜ディスプレイにポップアップが表示される。
因果乖離位相境界〈再現演習〉
覚者「阿世知みくに」が境界再構築を要求しています。
発信元:AZECHI_MIKUNI
権限:ROOT AUTHORITY
対象:RŪPA-MĀRA PATTERN
安全層:ACTIVE
ATTENTION!!
認知汚染の危険があります。
視覚・嗅覚・重力感覚が一時的に置換される可能性があります。
緊急離脱コマンド:$EXIT
>Cancel
ENTER BOUNDARY
俺は迷わず、【ENTER BOUNDARY】を選択する。
「|観自在《BOUNDARY BREACH DETECTED》——
みくにが詠う。
直後、俺の視界は極彩色の光の束に包まれた。
——さあ、地獄廻りと行こうじゃないか。
—。
——。
———。
—————。
———————————。
> CONNECT ALAYA://SIM/RUPA-MARA
BOUNDARY BREACH DETECTED
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ROOT AUTHORITY : AZECHI_MIKUNI
Verifying Reality...
████████████████████████ 100%
SESSION TRANSFER
RŪPA-MĀRA
↓
ALAYA
Reality Anchor : RESTORED
Entering Boundary...
>$ENTER




