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背神機関――人間兵器の少女と俺の一年間に及ぶ戦いの記録――  作者: 町屋雨琳
第一部 Look@me

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7/10

失意

 眼前に広がる非現実的な絶景。

 妙典は天国と称し、俺は地獄だと言った。

 実際俺も、直接この場に居なければ妙典と同じように天国みたいだと言ったに違いない。

 

 あまやかな桃と蜂蜜の香り。

 心地よい乾いた風。

 何時までもここにいたいと感じてしまう程に、狂おしいほどこの胸に去来する望郷の念。


 けれども、しかし。

 それでもごまかせないほどにこの場所には、むせかえるような死臭と、耳を覆いたくなるほどの亡者の怨嗟の声に満ちていた。


「おそらくここは、ルーパ・マーラの『因果乖離位相境界』の中だ」

『まさか!?』

「真邏、正解」


 存在自体は知っている。けれども、内部の記録自体は存在していない。

 おそらくここまで入ってきたものはいないか、いたとしても生きていないだろう。


「みくには、何で知っている」


 『覚者』だからか?


「夢で見た」

『夢?』

 

 一体いつ? それはみくに自身の能力によるものなのか?

 俺の疑問はあっさりと、他ならないみくにによって氷解する。


「ずっとずっと昔。私がまだあったかい水の中を泳いでいたころ」

「それって」


 その言葉の意味を、ゆっくりと咀嚼する。

 消化するまでには数秒の間が必要だった。

 

 胎内記憶。

 その実例自体は、現在に至るまで複数件報告されている。

 しかし、十四歳になるまでその記憶を保持し続けていたという前例は、データベースをあたっても存在していない。


 みくには一体何者なのだろうか。

 疑問は尽きない。

 けれどもその謎を解き明かしている暇は、今の俺たちには無かった。


「来るよ」

「——っ!?」


 みくにの声。

 数拍の間。

 背後から聞こえた風切り音。

 俺はみくにを抱えてその場から飛び退いた。

 

 刹那、先ほどまで俺たちがいた場所。その周囲数メートルの蓮の花が宙に舞う。

 宙に舞った蓮の花弁は、グリッチを残し、めいめいに、ばらばらに、物理法則を無視して地面へと舞い落ちていく。


 気がくるってしまいそうだった。

 あまりにも視界に映るその光景が、俺の知っている現実と乖離している。


「真邏、あれ」


 俺の腕の中で抱えられているみくにが、指を指す方角。

 俺は、誘われるようにその先へと視線を移す。


 美しい女性がいた。(化け物がいた)

 |咲き誇る蓮の台座の上に立つ、天衣を纏って華美な宝飾品を身に着けている女性。《痘痕の様に無数の男女の顔を全身に貼り付けている、縦に割けた口をもった瞳のない肉塊》

 |アルカイックスマイルを浮かべ、悠然とそこにたたずんでいる。《口からはどろどろとした黄色い粘液を垂らし蠢いている》

 |きっと俺が仏教美術に長じていたら、もっと言葉をつくせただろうにと感じて仕方がない。《吐きそうだ。見たくない。なんだこいつは。こんな化け物、今すぐこの目を抉ってしまいたい》


「きれid@(化け物め)」

『先輩?』


 |俺は思わず手を伸ばす。今すぐにこの目の前の存在に身を委ねてしまいたいと。縋りつきたいと。《こいつは今すぐにこの場で殺さなければいけない。この化け物に縋りつきたいと》


——なんだ? 俺は今何を思った?


 喉奥の喘鳴。それにつられるように、目頭が熱くなる。そっと俺は腕を伸ばそうとして——


——真邏、しっかりして」


 みくにの声が、俺の意識を引き戻す。


「真邏、あれに取り込まれかけてた」


 俺が、あれに?


「あれがあいつの能力。目で見える景色から頭の中を乗っ取っちゃうの」

 

 背筋に怖気が走る。

 そんなもの、勝てるはずがないじゃないか。


『そんなものに、どう対処しろと』

 

 妙典が呻くように言った。

 記録によると、今までのみくにのバディも全部、このルーパ・マーラによって殺されたらしい。


「みくに。あいつの対抗策は?」

「知らない」

——は?


 みくには『天魔』本体への唯一の対抗手段だ。

 だからこそ、その対抗策自体は、あるいはあれを退けるだけのなにがしかの異能は持ち合わせているものだと、そう思っていた。


「しら、ない?」

「知らない。まだ、わからない」


 みくには言う。

 まだ、だと?

 

「まだっていうことは、識こと自体は出来るってことでいいのか?」

「たぶん、そう」


 随分と頼りない返事だ。

 それでも今はこいつに頼るほかないこと自体は確かな話だ。


「頼むぞ、まじで」

「うん」


 本当に大丈夫かよ!?


『十時の方角、来ます!』


 妙典の声。

 鋭い風切り音が走る。

 その攻撃はさっき見た。

 俺はみくにを抱えたまま横へと飛ぶ。

 避けられた。


——そう、思った時だった。


「なっ!?」

『先輩!?』

「真邏!」


 妙典とみくにの叫び声。

 みくに、お前そんな声も出せたんだな。

 状況は不明。

 咄嗟にみくにを放り出す。

 着地まで数秒。

 接地したら再度回避行動を。

 俺がそう思った時、俺の身体は空中で停止した。

 そのまま、右足首を起点にしてなにかに引っ張られるように俺の身体は強烈な重力にさらされる。

 気づいた時、俺はひっくり返った世界にいた。


「な、にが」


 眼下には、みくにとルーパ・マーラの姿。

 ようやく状況を理解する。

 俺は、その場から逃れようと身をよじるが、俺の脚を捕えているなにかが、その力をより強めて逃がそうとしない。


「みくに! 無事か!?」

「けがは、ない」


 ひとまず良かった。

 いや、良くはない。

 だいぶまずい。けれども、みくにの安全が第一だ。


「みくに。俺のことはいい」

『先輩!?』


 妙典の非難は、今は無視する。

 あとでいくらでも怒られてやる。


「今は何とかする手段だけ探してくれ」


 今頼りになるのは、情けないことだがみくにだけだ。

 

「逃げるだけなら、出来る」

「本当か?」

「ちょっと時間がかかるから、真邏はそれまで生きて」

 

 とんでもない命令(オーダー)だ。

 身動き自体とれない状態でどうすればいい。

 『電脳種子』を最大稼働する。


 殴る。|効かないだろ《SIMULATION FAILED》。

 暴れる。|もうやった《SIMULATION FAILED》。

 武器を使う。|そんなものない《SIMULATION FAILED》。


《SIMULATION FAILED》《SIMULATION FAILED》《SIMULATION FAILED》《SIMULATION FAILED》《SIMULATION FAILED》《SIMULATION FAILED》《SIMULATION FAILED》《SIMULATION FAILED》《SIMULATION FAILED》《SIMULATION FAILED》《SIMULATION FAILED》《SIMULATION FAILED》《SIMULATION FAILED》《SIMULATION FAILED》《SIMULATION FAILED》《SIMULATION FAILED》《SIMULATION FAILED》《SIMULATION FAILED》《SIMULATION FAILED》《SIMULATION FAILED》《SIMULATION FAILED》

《SIMULATION FAILED》《SIMULATION FAILED》《SIMULATION FAILED》《SIMULATION FAILED》《SIMULATION FAILED》《SIMULATION FAILED》《SIMULATION FAILED》——


——|手詰まりだ《CRITICAL ERROR DETECTED》。


「明日、三人で」

 ここに来る前の、妙典の言葉が脳裏を過る。

 約束、守れねえかもしれないな。

 百二十通りの演算の隙間に入り込むその思考。

 その時俺は、ルーパ・マーラの無いはずの目を、見てしまった。


 視界が無彩色に満たされる。

 ここに来る前に見た、あの時の光景。


 やめろ。やめてくれ。


 |もう忘れさせてくれ《もう苦しい想いはたくさんだ》。


 その時だった。


「真邏」


 みくにの声。俺の意識は現実へと引き戻される。


「逃げるよ」


 逃げる? 一体どこへ?


 みくにが詠う。


「|観自在《BOUNDARY BREACH DETECTED》——

>

>

>BOUNDARY BREACH DETECTED

>

>ROOT AUTHORITY : AZECHI MIKUNI

>

>RŪPA-MĀRA

> ↓

>ALAYA

>

>SESSION TRANSFER...

>

>REALITY VERIFIED

>

>

>$EXIT」


 瞬間、視界が反転する。

 俺の身体は重力のくびきから解き放たれ、視界が無為に回転する。

 

「ぐっ」


 投げ出された俺の身体は、アスファルトに叩きつけられた。

 肺腑から空気が全て押し出される。

 心臓が一瞬動きを止める。

 衝撃に、視界で火花が散った。


「いってぇ」


 やがて、情けないとともに俺は身体を起こした。

 辺りを見渡す。

 そこは、歌舞伎町の俺たちが消失(ロスト)する前にいた地点だった。


『先輩! 無事ですか!?』


 妙典の声が聞こえる。

 少しほっとした。


「ああ。無事だ」


 俺は無事だ。

 みくには?


「真邏」


 みくにの声。姿を探す。


——居た。俺のすぐそばに居た。


「無事、か?」

「うん。大丈夫」

『先輩もみくにちゃんも、バイタルサイン異常なしです』


 妙典の声に、ようやく現実感が湧いてくる。

 戻ってこれた。

 それでも、しかしだ。


「妙典、現界反応は?」

『……ルーパ・マーラ、現界反応、消失(ロスト)。完全に見失いました』

「そう、か」


 俺はこぶしを握りこむ。

 初めての任務は、苦い敗北の味だった(鉄臭い、血の味がした)。


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