港湾区に鎖の音がする
月光の月十六日目の夕刻。
月影亭まで、あと二日。街道は松林を抜け、丘陵地に入っていた。
宿の取れる村が少なく、俺は中規模の村「白橋」に泊まった。白い石造りの橋が中心にある、職人の多い村。
宿の二階の部屋。窓から、夕焼けの空が見えた。
机に手帳を広げた。この三日で得た情報を、整理する。
一、徴用された男たちは、鍛冶屋と石工が多い(左肩の高さの不均衡で判明)
二、一部は街道脇で死ぬ(口封じの可能性)
三、小指に錨の隠し印を持つ者が、港湾区と関わっている
四、ハーゲン帝国は、女も連れて行こうとしている
五、神崎の陣営は、徴用の用途について皇帝にしか知らない黒い印を持つ
情報の空白は、まだ大きかった。しかし、輪郭は見えていた。
帝国は、徴用した職人を、アウリオン港湾区で──何かの秘密の作業に使っている。
港湾区の沖合、あるいは海上のどこかに、秘密の施設がある可能性が高い。
その施設の性質は、おそらく、通常の戦争では使わない何か。
俺は手帳を閉じた。これ以上は物証がなければ、推測の空転になる。
─── ─── ───
その夜、宿の下の食堂で、遅い夕食を食べていた時だった。
宿の女将が、一通の封書を、俺に届けに来た。
「旦那。王都からの早馬です」
「アウリオン王宮の、書記官室印でございます」
俺は受け取った。封を開けた。
差出人は、ロッテ。稜の助手、書記官助手。
────
「師匠。
ご出発から、ちょうど一週間です。
王宮の方は、カスパル様が大変お元気でいらっしゃいます。
「医者を呼ぶほどの頭の血上がりは、起きておりません」とのことです。
セレネ様は、毎朝、第一の間にお一人で座っておられます。
師匠がお戻りになるまで、あの部屋を、「閉めない」と仰っております。
ミラちゃんも毎朝、王宮の門に来て「おにいちゃんのパン」を親父さんから受け取っていっております。
ご依頼の件、お知らせいたします。
アウリオン港湾区の、鎖の音の件。
私は自分の足で、昨夜、港湾区の夜を歩いてまいりました。
一人で行くのは危ないとカスパル様から叱られましたが、どうしても師匠に生の情報をお届けしたかったのです。
港湾区の、第三埠頭。そこに、封印された倉庫が三棟ございます。
日中は誰も立ち入れません。番人が常時四人、配置されております。
しかし夜、十時頃、封印が、解かれます。
内部から、鎖に繋がれた人影が、十人ほど、出てまいります。
そして沖合いから戻ってくる、小さな帆船に、乗せられます。
帆船は、夜の沖へ、消えていきます。
朝、帆船は、戻ってきます。しかし人影は、戻ってきません。
──つまり、人だけが、沖の何処かに、運ばれているのでございます。
師匠、お気をつけて。
月影亭で、お待ちしております。
ロッテ」
────
俺は手紙を二度読んだ。
ロッテが単独で、港湾区の夜を歩いた。
若い女一人、深夜の港湾区。もし見咎められれば、命が危なかった。
しかし彼女は、俺のために、歩いてきた。
胸の奥が、温かくなった。
書類を三回落とす彼女が、最も危険な仕事を、自ら引き受けた。
扉にぶつかる娘が、帝国の闇に、踏み込んだ。
俺はロッテの手紙を手帳に挟んだ。
─── ─── ───
情報が、線で結ばれた。
港湾区の第三埠頭、三棟の封印倉庫。
夜十時の封印解除。十人の鎖の男。沖合の小さな帆船。
朝、帆船は戻る。人は戻らない。
沖の何処に、人は運ばれるのか。
地図を頭の中に広げた。アウリオンの港湾区から、沖へ。
アウレリアの領海を出れば、そこは公海。帝国の監視も、属国の監視も、及ばない。
そしてアウリオンの沖には、無人の岩礁が三つある。地図でも航路でも無視される場所。
そのうちの一つが、深い入り江を持っていると俺は冥書庫の古い地図で見ていた。
入り江──隠れるのに、最適。
深い入り江には、秘密の造船所や秘密の鉱山を作ることができる。
俺の仮説が、また一歩、進んだ。
帝国は、アウリオン沖の無人岩礁の入り江に、秘密施設を持っている。
そこに、職人の男女を、運び込んでいる。
そこで何を、作っているのか──まだ、分からない。
しかし、兵器工廠であることは、ほぼ、確定した。
通常の兵器工廠なら帝国本土で作ればいい。わざわざ属国の沖の無人島で作るのは、帝国議会や、他の属国にも、隠したい種類の兵器。
通常の戦争の、ルールを、破る兵器。
─── ─── ───
俺は窓の外を見た。夕焼けが、もう、暗くなっていた。
夜空に、月が昇り始めていた。十二日月。明日は、満月の前日。
神崎との会見は、月影亭で、三日後。
一月前、書状が届いた時、俺はあいつと旧知の人間として再会するのだと思っていた。
今、分かった。
俺はあいつと、帝国の秘密事業の問題を、抱えた状態で、会う。
状況は、俺の想定より、重い。
しかし、俺の方が、手札は、多くなった。
ロッテが俺に手札を、届けてくれた。
リリアが契約書で、俺と、繋がった。
街道で死んだ男の、小指の錨が、港湾区と、繋がった。
全員が、俺の手札になっている。
俺は一人ではない。
─── ─── ───
手帳を閉じようとした時、俺はもう一度、手帳を開いた。
最後のページに、一行を書いた。
月光の月十六日目。
ロッテの手紙、港湾区の夜の封印解除、沖の岩礁の可能性。
仲間が、一人、また一人、増えている。
俺は一人では、ないらしい。
ペンを置いた。
手帳の革が、温かかった。
今夜は、冷たくはなかった。
─── ─── ───
【同刻、アウリオン王宮、書記官室】
ロッテは蝋燭の灯りの下で、泣きながら、次の書類を、書いていた。
師匠に送った手紙は、発送済み。
しかし、師匠に書けなかった、もう一つの情報があった。
昨夜、港湾区を歩いている時、ロッテは一人の男に、尾行された。
ハーゲンの密偵と、思われる。
ロッテは路地を三つ抜けて、ようやく撒いた。
命を、賭けた夜だった。
しかし、彼女はそれを師匠に書かなかった。
書けば師匠が、心配する。心配すれば、月影亭での判断が、鈍る。
ロッテは手紙に、自分の恐怖を、書かない、と決めていた。
それが、彼女の初めての、大人の判断だった。
二十歳の書記官助手は、この夜、一段、背が伸びた。
─── ─── ───
【同刻、帝都ヴェルデン、皇宮】
神崎の執務室。
副官が蒼い顔で、入ってきた。
「閣下」
「アウリオンの、書記官助手が、港湾区を歩いた模様でございます」
「密偵の尾行は、撒かれました」
神崎は少しの間、沈黙した。
それから笑った。
「……稜、お前の周りは、面白い人間ばかり、集まるな」
副官が首を傾げた。
「書記官助手、でございますよ」
「その書記官助手が、深夜の港湾区を、一人で歩いた」
「命を、賭けた」
「──稜のために命を賭ける人間が、既に二人」
「商人ギルド長のリリアと、書記官助手のロッテ」
「一月で、二人」
「帝国宰相の俺には、今、命を賭ける部下が、何人いるだろうか」
副官が息を、呑んだ。
神崎は目薬の瓶を、転がした。
差さなかった。
「──副官」
「はい」
「書記官助手のロッテには、手を出すな」
「港湾区の封印解除は、来月まで、一時停止」
「──稜が月影亭に来るまで、港湾区は、静かにしておけ」
副官が頷いた。
神崎は窓の外を見た。月が昇っていた。
十二日月。月影亭の会見まで、あと三日。
ロッテが命を賭けた夜の話。
書類を三回落とす彼女が、深夜の港湾区を、一人で歩きました。
手紙の最後に、自分の恐怖を書かなかった彼女の判断。
二十歳の書記官助手が、一段、大人になった夜でした。
次話、稜が月影亭に向かいます。




