表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/13

鎖の音は、街道で聞こえた

 月光の月十四日目の朝。

 リリアが南へ去った翌日、俺は一人、青の街道を進んでいた。

 街道は徐々に細くなり、両側の葡萄畑は姿を消し、代わりに松の林が増えていった。月影亭まで、あと四日の距離。

 馬車の御者は無口なままだった。俺は馬車の後部で、手帳を開いていた。

 昨日書いた一行の下に、もう一行。

   月光の月十四日目。リリア南下。単独行。

 ペンを置いた。

 前世の俺なら、こういう旅の空白時間を「非効率」と嫌った。今、俺はその空白を、悪くないと思い始めている。

            ─── ─── ───

 正午過ぎ、街道が大きく西に曲がる手前で、馬車が止まった。

 御者が振り返った。

 「旦那。前に、護送隊が、通ってます」

 俺は馬車を降りた。

 街道の先、二百歩ほど。一列の隊列が南へ歩いていた。

 先頭に、二人の馬上の兵士。深紅のマント。ハーゲン帝国の紋章。

 その後ろに、十五人ほどの男たち。鎖で繋がれていた。

 隊列の最後尾に、もう二人の兵士。

 徴用された男たちの護送。

 広場で王が署名したあの徴用令の、その後の姿。鉱山への道。

 俺は街道の脇の、松の幹の陰に、身を寄せた。

 御者に目で合図した。御者は頷き、馬車の速度を落とした。

 護送隊との距離、二百歩を保ったまま、俺たちは進んだ。

 鎖の音が、風に乗って、途切れ途切れに聞こえた。

            ─── ─── ───

 隊列の中の男たちを、俺は観察した。

 全員、二十代から四十代の男。肩の骨の浮き方、腕の太さ。

 農夫の肩ではなかった。職人の肩でもなかった。

 もう一段、特殊な肩だった。

 俺は目を細めた。

 一人、二人、三人──全員、左の肩のほうが右より高い。

 右利きの職人が、繰り返し同じ動作をして左肩が持ち上がった結果の、不均衡。

 左肩を持ち上げる動作とは、何か。重い物を、右手で持って左で支える動作。

 鍛冶屋の肩。あるいは石工の肩。

 つまり、徴用された男たちは、単なる農民ではない。

 鍛冶屋と石工ばかりが、選ばれて、送られている。

 俺の背筋に、冷たいものが走った。

(──ハーゲンは、金属加工と石材加工の、専門職人を、選別している)

(──兵として使うなら、体力だけあればいい。職人を選ぶ必要はない)

(──専門職人を送る先は、鉱山ではない)

 考えが、一歩進んだ。

 鉱山は鍛冶屋や石工の技能を必要としない。鉱山に必要なのは単純労働力。しかし帝国が選別して送っているのは、技能職だ。

 ならば、送り先は、別のところだ。

 兵器工廠。

 帝国の、新しい武器を、作る場所。

 それならば説明がつく。帝国が属国から、なぜ「女」まで連れて行こうとするか。女の手が必要な、繊細な組み立て作業が、あるから。

 俺は松の幹に背をつけ、息を整えた。

 仮説、高確度。しかし確証は、まだ、ない。

            ─── ─── ───

 その時、護送隊の中で、何かが、起きた。

 列の後ろから、一人の男が倒れた。

 鎖が連鎖的に揺れた。前の男たちが、引きずられた。

 隊列が止まった。

 兵士が馬から下りて倒れた男を蹴った。男は動かなかった。

 兵士がもう一度、強く蹴った。男の首が、不自然な角度に曲がっていた。

 ……死んでいる。

 兵士は舌打ちし、鎖の鍵を開けた。倒れた男を、街道脇の茂みに、蹴り飛ばした。

 それから鎖の両端を、繋ぎ直した。

 隊列がまた、動き始めた。鎖の音が、鳴った。

 街道脇に、男の死体が、残された。

 誰も、埋葬しなかった。

            ─── ─── ───

 護送隊が視界から消えてから、俺は馬車を降り、街道脇の茂みに歩いた。

 御者が驚いた声を出した。

 「旦那、やめときなよ」

 「関わったら、帝国に目を付けられる」

 「分かってる」

 「ただ、顔だけ、見る」

 俺は茂みを分けて死体に近づいた。

 男は五十代。痩せていた。左肩が、右より、明らかに、高かった。

 顔は、土埃で、灰色に染まっていた。しかし目の皺の深さが、笑い皺だった。

 笑う人生を、送ってきた男。

 それが、街道脇の茂みで、一人、死んでいた。

 俺は男の上着の胸ポケットを、確かめた。

 小さな、木の欠片。彫刻刀で、削られた、人の形。

 妻か、娘か、孫か──誰かの木彫り。

 男は鎖に繋がれながら、誰かの木彫りを、握っていた。

 俺は木彫りを、男の手の中に戻した。

 しかし戻しながら気づいた。

 男の左の小指の付け根に、古い入れ墨があった。

 小さな、錨の形。

 港の船員の入れ墨ではない。

 船員が刻むのは、もっと大きな、派手な錨。

 これは、小さく、目立たないように刻まれた錨。

 俺の記憶が動いた。

 アウリオンの港湾区。昨夜、宿で老人が、ぽつりと言った一言。

 「港湾区には、鎖の音が、時々、する」

 俺はその時、聞き流した。しかし今、思い出した。

 港湾区は、徴用された者たちの、積み出し港になっているはずだ。

 しかし老人は「鎖の音が、時々する」と言った。

 つまり、徴用の日ではない日にも、鎖の音がする。

 それは積み出し以外の目的で、鎖の男たちが港湾区に出入りしているということ。

 そして今、街道で死んだこの男の小指に、港湾区の隠し印。

 線が、繋がった。

(──徴用された者の一部は、鉱山にも兵器工廠にも行っていない)

(──港湾区で、何か別のことに、使われている)

(──そして使われた後、街道で、消されている)

 俺は立ち上がった。

 御者が不安そうな顔をしていた。

 「旦那。もう、戻りましょう」

 「ああ」

 俺は死体に背を向けた。

 木彫りを握った手を、一度だけ見た。

 茂みに戻る前、俺は自分の上着のポケットから、銀貨を一枚、取り出した。

 男の手に、そっと、握らせた。

 冥府への、渡し賃。

 前世の日本の風習だった。異世界にも、似た風習があるかは知らない。

 しかし銀貨一枚くらいなら、男の次の旅路に、重すぎることはない。

            ─── ─── ───

 馬車に戻った。

 御者は何も訊かなかった。

 ただ少し震える手で、手綱を握った。

 「旦那」

 「ん」

 「……旦那はあの死体を見に行った、初めての客です」

 「十年この街道を走って、何度も街道脇の死体を見てきました」

 「誰も、降りなかった」

 俺は答えなかった。

 御者はそれ以上、訊かなかった。

 馬車は、松の林を、南へ進んだ。

 鎖の音は、もう、聞こえなかった。

            ─── ─── ───

 その夜、俺は街道沿いの宿で、手帳を開いた。

 今日の一行を書いた。

   月光の月十四日目。

   街道脇に、死体一つ。左小指、錨の隠し印。港湾区との関連、高確度。

   徴用の一部は、別目的で、消耗されている。

 ペンを置いた。

 手帳の革が、今日は、いつもより、冷たかった。

 温かくなる日もあれば、冷たくなる日もあると俺は気づき始めていた。

 人を救った日は、温かい。

 人の死を、見送った日は、冷たい。

 高樹さんの一行が蘇った。

    「稜、お前は悲しむ力を、まだ、使っていない」

    「戦略は、喜ぶ時ではなく、悲しむ時に、使うものだ」

 二十年前、師が、飲みながら言った一行。

 意味が、今夜少し分かった気がした。

 悲しむ力とは、死んだ者の情報を、生きている者のために、使う力のこと。

 街道脇の男の小指の錨。

 男は死んだ。しかし錨は、俺の手帳に、残った。

 俺はその錨を、アウリオンの港湾区で、誰かの命を救うために、使う。

 それが今夜、俺が悲しむ力の使い方を覚えた瞬間だった。

            ─── ─── ───

    【同刻、帝都ヴェルデン、皇宮】

 神崎は執務室の壁の前に、立っていた。

 壁には、大陸全土の、大きな地図が、貼ってあった。

 色の違う印が、何箇所にも打たれていた。

 赤い印、鉱山。

 青い印、兵器工廠。

 黒い印──アウリオンの、港湾区にのみ打たれていた。

 副官が神崎の横に立った。

 「閣下。アウリオン街道の一件伝令が届きました」

 「顧問稜は、護送隊の死体に近づきました」

 「小指の錨を、確認した可能性、高し」

 神崎は地図から、目を離さなかった。

 「……あいつ、早いな」

 副官が息を呑んだ。

 「閣下、黒い印の件は、皇帝陛下にしか、ご存知ないはずでは」

 「稜は気づいた」

 「物証は、ない。しかし、線を、繋いだ」

 神崎はアウリオンの黒い印を、指で撫でた。

 「──副官」

 「はい」

 「黒い印の業務を、今月、一時、停止せよ」

 「稜が月影亭に着く頃までに、港湾区を、綺麗にしておけ」

 副官の顔色が、変わった。

 「閣下、それは、皇帝陛下の、御業務で……」

 「俺が責任を、取る」

 「皇帝陛下には、稜の動きを、察知したとご報告申し上げる」

 「陛下は、事業の一時停止を、選ばれるはずだ」

 神崎は地図の前を、離れた。

 「副官」

 「はい」

 「稜の動きに、俺は振り回されている、と思うか」

 副官は沈黙した。

 神崎は笑った。

 「振り回されている、ではない」

 「あいつの動きに、俺が呼応している」

 「それは、昔から、そうだった」

 「──俺たちは、お互いに、振り付け合っている」

 神崎は窓の外を見た。帝都に、月が昇っていた。

 十日月。

 「一月後まで、あと、十六日、か」

街道脇の死体。

「御者が十年見てきて、誰も降りなかった」

──この一行を書くのが、一番つらかったです。

稜が銀貨を一枚、死体の手に握らせる場面。

冥府への渡し賃。

顔も知らない男の、最後の旅路に、何かを添えたかった。

次話、ロッテが動きます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ