稜、再び帝都へクロヴィスとセレネを伴って
夏萌月、五日目の夕方。
出発の前夜。
セレネは、王宮の東の厩舎で一人立っていた。
厩舎は、王宮の敷地の東の外れにある石造りの建物。──広い、敷地の中にいくつかの馬房が並んでいた。──午後の最後の光が、厩舎の屋根の上から斜めに差し込んでいた。
セレネの目の前で栗毛の若い馬が、静かに立っていた。
リーネ。三歳。──セレネが、十二歳の誕生日に父王ヴィルフレッドから贈られた馬。当時、まだ生まれたばかりの子馬だった。──四年、共に育ってきた。──そして半年前、リーネはようやく乗馬できる年齢になった。
セレネは、リーネの首を優しく撫でた。──リーネは、目を閉じて深く息を吐いた。──馬と、人の間の深い信頼の瞬間。
厩舎の管理人、エミール五十五歳がセレネの後ろに立っていた。──三十年、王宮の厩舎を管理してきた男。
「殿下」
エミールの声は、低かった。
「──明日帝都への長旅、ですか」
セレネは深く目を伏せた。
「エミール。──十日の旅です。──馬車で行くのでリーネは連れて、行けません。──しばらくお預けします」
エミールは無言で頷いた。
「殿下。──リーネは、私が責任を持ってお世話いたします」
セレネは何度か頷いた。──そしてリーネに向かって、静かに告げた。
「リーネ。──十日お別れ、ね。──しかし私帰って、くる」
リーネは、目を開けてセレネを見つめた。──馬の深い、目。──十六歳の王女の長い、別れの瞬間を馬の目が受け止めていた。
─── ─── ───
エミールが、深く息を吐いた。
「殿下。──ふと、お話してよろしいですか」
セレネは頷いた。
「エミール。──何でしょうか」
エミールは長く考えた。
「殿下。──私は三十年王宮の厩舎を管理、して参りました。──二十年前まだ二十代の頃お母様エリナ前王妃様の馬のお世話をいたして、おりました」
セレネの息が、止まった。
エミールは続けた。
「お母様の馬は栗毛の若い雌馬、でした。名前はローザ。──リーネの母馬の母、つまりリーネのお祖母さんです」
セレネの目が、広がった。
「エミール。──リーネは、母さんの馬の孫」
エミールは一度頷いた。
「殿下。──そうです。──ローザはお母様がお亡くなりになる二年前ご逝去、されました。──しかしローザの子ローザ二世が、リーネの母です。──そしてリーネはローザの孫」
セレネは、長くリーネを見つめた。
「エミール。──母さんは、生前ローザとどのように過ごしておられたのですか」
エミールは長く、考えるように沈黙した。──三十年厩舎を見守ってきた男の目に、何か遠いものが宿った。
「殿下。──お母様は長い旅の前夜、必ずローザと二人だけの時間を過ごされました。──厩舎の戸を閉めてご自分一人でローザの世話をなさるのです。──馬丁の私にお茶を淹れさせて、『エミールこれは私一人の時間。あなたは外で待っていて』と」
エミールの声が一瞬詰まった。
「お母様はローザの首に額を寄せておられました。──ローザに政治のお話をされることもありました。──時々ローザに泣き言を仰っていたこともある、と思います。──私には聞こえない声で。──しかしローザはただじっとお母様の声を聞いておりました」
エミールは静かに続けた。
「殿下。──お母様は人前では、決して泣くお方ではありませんでした。──しかしローザの前でだけは、泣いておられたのかもしれません」
セレネの目に、初めて涙が滲んだ。
(──母さん。──私は知らなかった。──母さんが、人前で見せなかった顔をローザは知っていた)
エミールは深く頭を下げた。
「殿下。──不躾なことを申し上げました。──しかし殿下がリーネの前夜にローザと同じことをなさっているお姿を見て、お母様の二十年前のお姿を思い出しました。──血は繋がっております。──馬の血も。──そして人の血も」
セレネは深く頷いた。──もう涙を隠さなかった。
「エミール。──ありがとうございます」
エミールは深く一礼した。──そして厩舎の奥に静かに退いた。
セレネは一人、リーネの横に戻った。
深く息を吸った。
(──母さん。──二十年前、ローザと長い旅の前夜を過ごされた母さん。──今私が、リーネと長い旅の前夜を過ごしている。──母さんも、こうして馬の前で一人何かと向き合っておられたのですね)
─── ─── ───
セレネはリーネの首に、額を寄せた。
温かかった。
馬の体温。──母エリナが二十年前、ローザの首に額を寄せた時感じたのと同じ温度。──血は繋がっていた。──馬の血も。──人の血も。
「リーネ」
セレネの声は静かだった。
「──明日、私は帝都に向かう。──ヴィスカルト殿下とお会いする」
リーネは目を閉じた。──まるでセレネの声を、体の奥で受け止めるように。
「リーネ。──三十四歳の皇太子。──私の十八歳年上の男性。──私の母を毒殺した家を利用してこられた男性。──しかし私と同じく、千年の歪みの被害者の可能性もある男性」
セレネの声が震えた。
「──怖いの」
リーネの耳が、わずかに動いた。
「リーネ。──私は怖い。──三十四歳の男性に十六歳の私が会いに行くのが怖い。──母を殺した家を利用してこられた人と、初めて顔を合わせるのが怖い」
セレネは長く沈黙した。──そして低く続けた。
「──しかし怖いからこそ、会いに行きたい。──怖さの奥に、何か新しい物語が生まれる可能性があると感じている」
セレネは目を閉じた。──胸の中で、母エリナの声を呼んだ。
(──母さん。──二十年前、母さんもローザの前でこうして怖さを語られたのでしょうか。──父王と政略結婚で嫁いでこられた、十六歳の母さん。──知らない国の王の妻となる前夜、母さんもローザの首に額を寄せて震えておられたのでしょうか)
セレネは目を開けた。──リーネの大きな黒い目が、セレネを見つめていた。──母の馬の孫の目。──二十年前、母の涙を見た目の血を継いでいる目。
セレネは微笑んだ。
「リーネ。──ありがとう。──お前は私の話を聞いてくれた。──母さんがローザに話を聞いてもらったように」
セレネはリーネの首を、長く撫でた。
「リーネ。──十日お別れね。──十日後、私帰ってくる。──ヴィスカルト殿下との新しい物語を持って帰ってくる。──そしてその時お前にもう一度この厩舎で報告するわ」
リーネは静かに息を吐いた。──三歳の馬の若い息。──しかしその息の奥に、二十年前の母の馬ローザの息も静かに重なっていた。
夕方の最後の光が、厩舎の屋根の上から徐々に消えつつあった。──セレネの白いドレスの裾が、淡く赤く染まっていた。──そして一人と一頭の影が、厩舎の床に長く伸びていた。
セレネは最後にリーネの額を、自分の額に重ねた。
馬と王女の額が触れた一瞬。
セレネは胸の中で誓った。
(──行ってきます。母さん。──ローザの孫と、母さんの娘。──この別れの夜を、私たちは正しく過ごせた)
─── ─── ───
夜、午後九時。
書記官室の奥の小さな、部屋でクロヴィスは一人机の前に座っていた。
机の上に、革の表紙の分厚い本が置かれていた。──祖父、ルクレティウスの手稿。──先日、クロヴィスが裏の冥書庫の最深部で発見した祖父の最後の手稿。
クロヴィスは深く息を、吸った。
明日帝都への第二の旅。──稜と、セレネ殿下と共に。──十日の旅。──そして帝都での滞在。──正確な、滞在の日数はまだ決まっていない。──しかし少なくとも、二週間は滞在するはずだった。
クロヴィスは、机の横の革の鞄を開けた。──旅の鞄。──衣類、書記官の道具いくつかの書類。──そしてその中に、特別な空間を用意していた。
祖父の手稿のための空間。
クロヴィスは、手稿を両手で持ち上げた。──黒い、革の表紙。所々、色が抜けていた。──しかし丁寧に保管されて、きた本。
クロヴィスは長く手稿を見つめた。
「祖父様」
クロヴィスは低く呟いた。
「──明日僕は帝都に向かいます。──稜殿と、セレネ殿下と共に。──そして神崎閣下と、ヴィスカルト殿下とお会いする可能性があります」
クロヴィスは続けた。
「祖父様の二十年の沈黙。──そして五十五歳から十年心臓を蝕まれた、その十年の重み。──祖父様の選択の上に私は立って、おります」
クロヴィスは深く息を、吐いた。
「祖父様。──僕と、一緒に帝都まで来てください」
クロヴィスは、手稿を革の鞄の特別な空間に慎重に収めた。──手稿の上に、柔らかい布を被せた。──衝撃から、守るため。
革の鞄を閉じた。
胸の中で、祖父の手稿の最後のメッセージが響いた。「沈黙は時に罪を、覆う。しかし沈黙は時に愛を、守る。我が孫よ君はどちらの沈黙を、選ぶのか」。
クロヴィスは頷きを返した。
─── ─── ───
夜、午後十時。
稜は、王宮の書斎で机の前に座っていた。
革の手帳を開いて、いた。最初の頁の裏に、いくつもの紙が挟まっていた。──セレネの覚悟。クロヴィスの判断。フィオナの最期の言葉。──前皇帝の書簡のメモ。──エリカの調査のメモ。──ヴァレンの死のメモ。──写真立ての紋章のメモ。──予言書の断片のメモ。──アレクの遺書のメモ。──エリナの毒殺のメモ。──セレネの手紙のメモ。──女王候補の宣言のメモ。
革の手帳は、千年の計画を止めるための地図に確実になっていた。
扉が、ノックされた。
「師。──セレネです」
稜は、扉を開けた。──セレネが、立っていた。──いつもの紺の服。──首に、母の真珠のネックレス。──しかし今夜のセレネの目には緊張が、あった。
稜は深く一礼した。
「殿下。──お入り、ください」
セレネは、稜の書斎に入った。──稜の机の向かい合いに、座った。
稜は、温かいハーブティーを二杯用意した。──ミントと、ラベンダーの爽やかな茶。──カスパル宰相が、淹れていた伝統の茶。
セレネは、ハーブティーを両手で持って深く息を吸った。
「師。──明日出発、です」
稜は深く頷きを返した。
「殿下。──覚悟は、お変わりにありませんか」
セレネは長く考えた。
そして低く答えた。
「師。──私は、殿下にお会いするのが怖いです」
稜は黙って頷いた。
セレネは続けた。
「師。──三十四歳の皇太子。──私の母を毒殺したトレスト家を利用してこられた、男性。──そして私が十六歳の王女として初めて対面する、ヴィスカルト殿下」
「私は殿下の内面の深さを想像するしか、ない。──十二歳で兄を失い十五年父帝の苦しみを見て育った、男性。──十年神崎閣下の弟子として政治を学んだ、男性。──そして過去五年トレスト家との関係の中で徐々に孤立してこられた、男性」
セレネの声が、震えた。
「私が殿下にお会いする瞬間殿下は私をどうご覧になる、でしょうか。──私の十六歳の若さと未熟さを否定される可能性が、ある。──私の覚悟が空回りする可能性も、ある」
稜は、長くセレネを見つめた。
─── ─── ───
稜は深く息を、吐いた。
「殿下」
稜の声は、静かだった。
「──怖さは、当然の感情です」
セレネは長く稜を見つめた。
稜は続けた。
「殿下。──しかし怖さは弱さではない。──怖さは、強さの源です。──怖さを感じることは対面する相手の内面の深さを感じている、証拠。──殿下がヴィスカルト殿下の内面の深さを感じる力を持っておられる、ことの証」
セレネの目が、稜を深く見つめた。
稜は続けた。
「殿下。──怖さの奥にもう一つの感情があるはずです。──ヴィスカルト殿下とお会いする、ことへの深い希望。──同じ喪失を抱える者として出会う瞬間への深い、期待」
セレネはわずかに頷いた。
「師。──そうです。──怖さの奥に希望があります。──ヴィスカルト殿下と、お会いすることで私の十六年の人生に初めて別の光が差し込む可能性がある」
稜は静かに頷いた。
「殿下。──その希望を信じてお会い、ください。──怖さは希望の影。──両方を抱えて、進むことが十六歳の王女の覚悟です」
セレネの目に、涙が滲んだ。──しかし流さなかった。深い安らぎ。
「師。──ありがとう、ございます」
稜は深く頷いた。
稜は続けた。
「殿下。──そしてもう一つ。──私は参謀として殿下の対面の瞬間傍に立つことが、できる」
セレネは視線を返した。
「師。──傍にいて、いただけることが私の最大の安心」
稜は無言で頷いた。
─── ─── ───
二人は、しばらくハーブティーを飲んだ。
書斎の空気が、二人の間で静かに流れていた。──窓の外で、夏萌月五日目の夜空。──月は、徐々に欠けていた。──若葉月、半ばの満月から約二十日。──新月に、近づきつつあった。
セレネは長く稜を見つめた。
「師。──最後に、一つ伺ってもよろしいでしょうか」
稜は頷いた。
「殿下。──何でしょうか」
セレネは長く考えた。
「師。──稜殿、ご自身は神崎閣下と二年半ぶりに再会された契約更新日の夜怖くありませんでしたか」
稜の目が、わずかに止まった。
長く考えた。
「殿下。──正直に、申し上げます。──怖かった、です」
セレネは感謝を込めて頷いた。
稜は続けた。
「殿下。──玲は二年前私を嵌めた、男です。──私は二年彼を許すことも忘れることも、できなかった。──そして二年半ぶりに月の庭で再会する瞬間私は自分が何を感じるのか、分からなかった。──怒り悲しみ孤独許し、愛情。──全ての感情が混ざり合って、いた」
「しかし月の庭の夜玲を目の前で見た瞬間全ての感情の奥に一つだけはっきりとした感情が、あった。──二人の参謀が再会する、瞬間の深い温かさ。──怖さはその温かさへの防衛、だった」
セレネはゆっくりと頷いた。
「師。──そうですね。──怖さは、防衛。──しかし防衛の奥に本当の感情がある」
稜は頷きを返した。
「殿下。──ヴィスカルト殿下とお会いする瞬間殿下の怖さの奥に何があるかまだ分からない、はずです。──しかし対面のひとときその何かが姿を、現す」
セレネは静かに頷いた。
「師。──ありがとう、ございます。──私の怖さの奥にあるものを私は明日から対面に向かう旅で見つけて、いきます」
─── ─── ───
夜、午後十一時。
セレネは、稜の書斎を出た。──自分の私室に戻った。
稜は、書斎で一人革の手帳を閉じた。──そして机の上に、神崎の最新の密書をもう一度広げた。
「ヴィスカルトは私にこう、告げた。『神崎。──セレネ殿下と直接対面、したい。──彼女の手紙を読んで私の心の中の何かが、深く揺れた。──彼女とお会いすることで私の人生の長い孤独に初めて別の光が差し込む可能性が、ある』」
稜は長くその文を見つめた。
(──ヴィスカルト殿下、三十四歳。──十二歳から、十九年抱えてきた孤独に初めて別の光が差し込む瞬間が近づいている。──そしてその光の源は、十六歳の王女セレネ殿下の手紙)
稜は深く息を、吐いた。
窓の外で、夏萌月五日目の夜空。──星が、無数に輝いていた。月は、徐々に欠けていたがまだ半月近くの明るさを保っていた。月光が、王宮の塔のシルエットを淡く照らしていた。
稜はわずかに頷いた。
明日出発。──十日の旅。──そして帝都での対面。──夏萌月半ば、または後半。──セレネとヴィスカルトの最初の出会いの瞬間が、もうすぐ来る。
稜は長く夜空を見つめて、いた。
─── ─── ───
翌朝、夏萌月六日目午前八時。
王宮の西門の前。
馬車が、二台待っていた。──最初の馬車は稜とクロヴィスとセレネの三人の乗る、馬車。──第二の馬車は護衛と、荷物。
ロッテが、見送りに来ていた。──書記官の黒い服。──耳の上に、羽ペン。──しかし今朝のロッテの目には深い寂しさと深い信頼が、宿っていた。
セレネは、ロッテに近づいた。
「ロッテ」
セレネの声は、静かだった。
ロッテは無言で頷いた。
「殿下」
セレネは、ロッテの手を両手で握った。
「ロッテ。──私帰って、くる。──ヴィスカルト殿下との新しい物語を持って帰って、くる」
ロッテの目に、涙が滲んだ。──しかし流さなかった。
「殿下。──お待ち、しております」
ロッテは続けた。
「殿下。──私は王宮で、書記官の仕事を続けます。──そして殿下のお留守の間母君の書斎の書簡の整理を、進めます。──二十年の文通の内容を私がまず整理して、おきます」
セレネは静かに頷いた。
「ロッテ。──ありがとう」
ロッテは、稜を見た。
「師匠。──殿下とクロヴィスをお守り、ください。──そして無事にお戻り、ください」
稜は深く頷いた。
「ロッテ。──お前のお留守、頼んだ」
ロッテは、最後にクロヴィスを見た。
「クロヴィス。──祖父様の手稿、大切に」
クロヴィスはゆっくりと頷いた。
「ロッテ。──ありがとう」
─── ─── ───
稜、クロヴィスセレネの三人が馬車に乗り込んだ。──護衛の騎士、ジャスパーが馬で馬車の横を進む準備をしていた。
馬車が、ゆっくりと動き始めた。
ロッテが、馬車の後ろを見送った。──馬車は、王宮の西門を抜けて街道に出た。──街道の両脇に、夏の初めの若葉が揺れていた。──空は、淡い青。
セレネは、馬車の窓から振り返った。
ロッテの姿が、徐々に小さくなっていった。──そして王宮の白い、塔のシルエットも徐々に後ろに遠ざかった。
セレネは深く息を、吐いた。
「師クロヴィス。──私たち、出発しました」
稜はわずかに頷いた。
クロヴィスは、革の鞄を両手で持っていた。──祖父の手稿の入った、鞄。
「殿下。──十日の旅、です」
稜は続けた。
「殿下クロヴィス。──十日の旅の間、私たちは対面の準備を深めます。──ヴィスカルト殿下、エリカ議員ハーゲン帝国の政治の構造神崎との再会の計画。──全てを、馬車の中で整理いたします」
セレネは深く頷きを返した。
「師。──十日の馬車の旅で、私の覚悟をより深めます」
馬車は、徐々に街道を進んだ。──若葉月、半ばの稜の最初の帝都の旅と同じ街道。──しかし今度は、二人の十六歳の若者を伴っていた。
夏萌月、初めの午前の光が街道の両脇の若葉を強く照らしていた。──新緑の若葉が、夏の温かい風に揺れていた。
稜は深く息を、吐いた。
胸の中で、新しい段階への橋渡しの刹那が、徐々に立ち上がっていた。
千年の予言書を巡る調査の前半が、夏萌月六日目の朝に静かに終わっていた。
セレネとヴィスカルトの対面が、夏萌月半ばまたは後半に皇宮の奥で本格的に始まるはずだった。
馬車は、ゆっくりと街道を進んだ。──三人の乗る、馬車が第二の帝都への旅の最初の一歩を踏み出していた。
夏の若葉月の風が、街道に優しく吹いていた。
セレネは、馬車の窓から長く流れる若葉の風景を見つめていた。
ヴィスカルト殿下との最初の出会いのときが、徐々に近づいていた。
息抜きの旅立ち回。
セレネと若い馬リーネとの厩舎の場面。
母エリナとリーネの祖母ローザの繋がり——三世代の母と娘の繋がりを、馬を介して描きたかった場面です。
「怖さは強さの源、希望の影」——稜のセリフ、自分への言い聞かせでもあります。




