アレクの真の遺書
翌朝、午前九時。
稜とクロヴィスは再び、第五層に入っていた。
マテウス院長も共にいた。──昨日四人で予言書を確認した後、稜は決めていた。「明日、クロヴィスと二人でもう一度第五層に入る。──予言書のガラスケースの周りの空間を、より丁寧に調査する」。
第五層の空気は昨日と同じだった。古い紙の匂い。インクの固まった匂い。──しかし扉が一度開いたことで、空気の流れがわずかに変わっていた。新しい若葉月の空気が、第四層から第五層に流れ込んでいた。
クロヴィスは机の横の書架を調査していた。
書架は四方の壁に並んでいた。──しかし書架の書物はほとんどなかった。空の棚が多かった。──予言書のガラスケースだけが、机の上に置かれている状態だった。
クロヴィスは不思議に思った。
(──第五層の空間はこれだけなのか。──予言書、一冊だけなのか)
クロヴィスは書架の最も奥の棚を、指先で調べた。
石壁の表面にわずかな亀裂があった。──しかし亀裂の形が不自然だった。直線的で人工的な形。クロヴィスはその亀裂を長く見つめた。
─── ─── ───
「師匠」
クロヴィスは稜を呼んだ。
稜は書架の奥に近づいた。クロヴィスの指先が示している亀裂を見た。
「クロヴィス。──これは隠し棚の痕跡か」
クロヴィスは深く頷いた。
「師匠。──書記官の訓練で、私は隠し棚の構造を学んでいます。──直線的な亀裂は、人工的な機構の痕跡」
稜はわずかに頷いた。
マテウスが、二人の横に来た。
「マテウス殿。──ここに、隠し棚がある可能性があります」
マテウスは長く亀裂を見つめた。深い青い目に深い感慨が、宿った。
「稜殿クロヴィス。──これは、私の先代の院長から聞いた伝承の中の一つかもしれません。──『第五層の奥の書架に、千年の計画を止めるための秘密の痕跡がある』。──しかし先代院長は、その具体的な場所を知らなかった」
クロヴィスは、書架の棚の奥の亀裂をより詳しく調べた。
「マテウス院長。──棚を押せば開く構造かも、しれません。書記官の訓練で似たような機構を見たことが、あります」
マテウスは頷いた。
クロヴィスは、棚の横の特定の部分をゆっくりと押した。──カチリ、という小さな音。──棚の一部が、わずかに動いた。クロヴィスの目が、広がった。
「師匠!」
稜と、マテウスが近づいた。
クロヴィスは、棚を押し開けた。──棚の奥に小さな、空間が現れた。──そこに、もう一つのガラスケースが置かれていた。
昨日の予言書のガラスケースより、小さい。──そしてより、古い。
ガラスの中に、一通の古い書簡が入っていた。
─── ─── ───
稜は長くその書簡を見つめた。
書簡は、黄ばんでいた。封蝋は、剥がされていた。──しかし封蝋の跡には、王家の紋章——金の鷲と銀の剣——がわずかに残っていた。
稜は、ガラスケースを両手で取り出した。机の上に、静かに置いた。マテウスが、ガラスケースの蓋をゆっくりと開けた。古い、蝶番が軋んだ。
稜は、書簡を両手で取り出した。
書簡の表面に、二百年前の筆跡で宛先が書かれていた。
「──二百年後の未来の異邦人へ」
クロヴィスの息が、止まった。
稜は深く息を、吐いた。
「マテウス殿。──二百年前の誰かが、書いた書簡」
マテウスは長く書簡を見つめた。
「稜殿。──筆跡が、私には見覚えがある。──私の先代の先代の先代の院長の時代のある人物の筆跡。──二百年前」
マテウスの声が、震えた。
「──アレク殿下、です」
クロヴィスの目が、広がった。
「アレク殿下。──二百年前のアウレリア崩壊の時代の王弟。──公式の歴史では反逆者として処刑されたと記録されて、いる」
稜は一度頷いた。
「アレク殿下の書簡。──公式の記録では彼は反逆者として、処刑された。──しかしここに彼の書簡が、ある」
─── ─── ───
稜は、書簡をゆっくりと開いた。
二百年前の紙。インクが、わずかに薄くなっていた。──しかし文字はまだ読める状態、だった。
稜は、ゆっくりと読み始めた。
「──二百年後の未来の異邦人へ。
私の名はアレク・アウレリア・ヴィレーヌ。アウレリア王国の王弟。──公式の記録では、私は反逆者として処刑されたと伝えられるはずです。──しかしその記録は、私の選択の表面です。
私は私の選択の本当の意味を二百年後の未来の異邦人に伝えるために、この書簡を書きます」
稜は深く息を、吐いた。
クロヴィスと、マテウスは稜の横で長く聞いていた。
稜は続けた。
「──二百年前アウレリア王国は崩壊の瀬戸際に、ありました。──私の兄アルベリク一世、王。私の叔父グラシアス。そして私、アレク。三人の王族が崩壊の構造の中央に、いました」
「公式の記録ではこう、伝えられるはずです。──アルベリクは優柔不断な、王。グラシアスは王権を私物化した、叔父。アレクは家の内部で反逆を起こした、王弟。──三人の不和の結果王国は、崩壊した」
稜は、頁を捲った。
「──しかしこれは表面の物語です。本当の物語は、別にあります」
「三人の私たちはある夜密かに集まりました。──そして私たちは、千年の計画のある断片を知っていました。──六百五十年前のトルメアスの思考の継承者が、書いた予言書の断片のある頁。──そこには、こう書かれていました。『二百年後、アウレリア王国は千年の計画の中央の調整段階を迎える。王国の組み立てを、内部から自己犠牲の形で崩壊させることで千年後の書き直しのための土台が築かれる』」
稜の息が、止まった。
(──アウレリア崩壊が、計画的な自己犠牲だったと)
─── ─── ───
稜は、書簡を長く読み続けた。
「──三人の私たちはその予言書の断片を読み、長く議論しました。──千年の計画の内部の当事者として私たちは自分たちの人生を犠牲にする選択をするしか、ありませんでした」
「アルベリクは優柔不断な王として崩壊の責任を表面的に、引き受ける。──グラシアスは王権を私物化した叔父として、崩壊の内部の枠組みを引き受ける。──そして私アレクは反逆者として処刑される、選択を引き受ける」
「三人とも歴史の中で永遠に悪役または無能として記憶されることを、覚悟しました。──しかしそれでいいと私たちは、決めました。──千年後の書き直しのための土台を私たちが築くことができる、なら」
稜は深く息を、吐いた。
マテウスの目に深い涙が、滲んだ。──しかし流さなかった。深い感慨。──二百年前、彼の先代の先代の先代の院長が知っていた秘密。今稜の横で二百年の沈黙が、解けていた。
稜は続けた。
「──処刑の三日前私は当時の院長デュムランに密かに、会いました。デュムランは千年の計画の構造を深く知っていた、唯一の男。──私は彼に二つのものを、託しました」
「一つはこの書簡。──二百年後の未来の異邦人への私の声。──デュムランに、いつか未来の適切な瞬間にこれを未来の異邦人に渡してほしいと頼みました」
「もう一つは裏の冥書庫の最深部の奥の扉の鍵。──第五層の扉の鍵です。──デュムランに、いつか未来の異邦人が現れた時その鍵を彼らに渡してほしいと頼みました」
稜は長くその頁を見つめた。
(──第五層の扉の鍵は、アレク殿下が二百年前デュムラン院長に託したもの)
マテウスはわずかに頷いた。
「稜殿。──私はその鍵を五十年前私の先代の院長から、受け継ぎました。──院長からこう、伝えられました。『この鍵は二百年前アレク殿下がデュムラン院長に託した、もの。──いつか未来の異邦人が現れた時彼らに渡してほしい』、と」
稜は何度か頷いた。
「マテウス殿。──そして二年半前、私が転生して現れた」
─── ─── ───
稜は、書簡を続けた。
「──デュムラン院長は私の託した二つのものを引き受けて、くれました。──そして彼の孫の孫の孫の孫が今院長を、務めているはずです。──マテウスという、名の男。──彼が適切な瞬間にこの書簡と鍵を未来の異邦人に渡す、はず」
マテウスはわずかに頷いた。涙が、ようやく流れた。
「──二百年前デュムラン院長は、その託しを引き受けた。──彼は自分の子にその託しを、伝えた。──子は孫に孫は、ひ孫に。──五代計画の内部に生きてきた、私の家系」
稜は深く頷いた。
マテウスは続けた。
「稜殿。──私の先代の院長から私が受け継いだ時先代はこう、言いました。『マテウス。──お前の人生でもし転生者が現れたらその人物が二百年前のアレク殿下が待っていた未来の異邦人かも、しれない。──お前はその瞬間まで、待ち続けろ』。──私は五十年待って、きました。そして二年半前稜殿が、現れた」
稜は、長くマテウスを見つめた。
「マテウス殿。──あなたが、私を最初から深く見守ってこられたその根源はこれだったのですね」
マテウスは頷いた。
「稜殿。──私は最初の出会いの瞬間からあなたが二百年待たれた未来の異邦人であると感じて、いました。──しかし確証はありませんでした。──今日ようやく書簡を、共に開くことができて私は五代五十年の責務を完了しました」
稜は一度頷いた。
─── ─── ───
クロヴィスは、書簡の続きを稜に頼んだ。
稜は、書簡の続きを読んだ。
「──私の家族への最後の言葉。
私の妻エマ。私の息子、十二歳のロランド。十歳の娘エルマ。
私を、忘れろ」
稜の息が、止まった。
「──二百年後未来の異邦人が千年の計画を書き直す時君たちの子孫の誰かがその場面に立ち会う、だろう。──それが私の唯一の遺産だ。
君たちが、私を覚えている必要はない。──私を反逆者として忘れて生きてほしい。──未来の子孫が、私の決断の本当の意味を知る瞬間に私の魂はようやく安らぎを得る」
稜は長くその文を見つめた。
マテウスは、深い青い目で黙って頷いた。
「稜殿。──アレク殿下の二百年の沈黙の根源、です」
稜は一瞬の沈黙の後、頷いた。
書簡の最後の頁。
「──二百年後の異邦人へ。
君がこの書簡を読む瞬間私の二百年の沈黙は、解ける。──しかし私の選択はまだ報われない。──私の選択が報われるのは君が千年の計画の書き直しを完成させる、瞬間。──私の子孫の誰かがその場面に立ち会う、瞬間」
「──だから君が千年の計画を書き直すために戦う瞬間に私の子孫を捜して、ほしい。──彼らは私の選択の本当の意味を知ることなく二百年生きて、きたはずです。──彼らに私の選択の意味を伝えて、ほしい」
「──私の息子ロランドの子孫の家系。──彼らが、王宮の近くにいる可能性がある。──二百年で、家系の姓は変わっているはずです。──しかし私の家系の紋章——三日月と、剣の組み合わせ——が何らかの形で家系の印として残っているはず」
稜は長くその頁を見つめた。
クロヴィスが、稜の横で深く息を吐いた。
「師匠。──アレク王弟の子孫は、今どこにいるのでしょうか」
稜は長く考えた。
「クロヴィス。──分からない。──しかしどこかでこの物語に関わっている、はずだ。──二百年待ち続けたアレク殿下の選択がようやく報われる、ために」
─── ─── ───
クロヴィスは、書簡を長く見つめていた。
ふと、クロヴィスの目が書簡の最後の頁のある文字に止まった。
「アレク殿下の息子、ロランド」
クロヴィスの心臓が、一度強く打った。
ロランド。──祖父、ルクレティウスの家系の代々の男系の名前の一つだった。──祖父の父、ロランド・モク。──ロランドは、クロヴィスが知っていた家系の名前の一部だった。
しかしクロヴィスは、その繋がりを口に出さなかった。──まだ確証が、なかった。──二百年で、家系の姓は変わっているはずと書簡は書いている。──モク家の千年の家系図を、調べる必要があった。
クロヴィスは深く息を、吐いた。
「師匠。──私は書記官として王宮の家系図の記録を、調査します。──アレク殿下の息子ロランドの子孫の家系を追跡します」
稜は小さく頷いた。
「クロヴィス。──頼む」
マテウスは、深い青い目でクロヴィスを長く見つめた。──マテウスは、何かを感じていた。しかし口に出さなかった。──クロヴィスの自発的な、調査を見守ると決めたようだった。
─── ─── ───
稜は、書簡を丁寧に閉じた。
ガラスケースの中に戻した。マテウスが、蓋を閉めた。──クロヴィスは、隠し棚の機構を再び押した。──棚が、ゆっくりと閉まった。亀裂は、再び目立たなくなった。
稜と、クロヴィスとマテウスは第五層を出た。
第四層、第三層第二層第一層を抜けた。表の書架の広間に戻った時、稜は深く息を吐いた。
マテウスが、稜を見つめた。
「稜殿。──アレク殿下の二百年の沈黙が、今日ようやく解かれました」
稜はゆっくりと頷いた。
「マテウス殿。──二百年、デュムラン院長から五代の院長まで計画の内部に生きてきたご家系の責務本当にありがとう、ございました」
マテウスは深く一礼した。
「稜殿。──ようやく私の五代の家系の責務が、完了しました。──しかし稜殿。──次の調査の軸は」
稜は無言で頷いた。
「マテウス殿。──次は、前王妃の死の真相です」
稜の声は、静かだった。
「──予言書の付録の頁の中に第二の弟子の系譜による数々の『調整』の記録が、ある。──その中に五年前の前王妃の死の記録が含まれている可能性が、ある。──セレネ殿下の母君の死の真相」
マテウスは何度か頷いた。
稜は続けた。
「明日もう一度第五層に入る。──予言書の付録の頁を丁寧に読む。──セレネ殿下の覚悟を、確認した上で必要なら彼女にその記録をお見せする」
マテウスは無言で頷いた。
─── ─── ───
午後、稜は王宮の書斎に戻っていた。
革の手帳を開いた。最初の頁の裏に、新しい紙を添えた。
書いた、一行。
「──アレク王弟二百年前の真の遺書、発見。アウレリア崩壊が計画的な自己犠牲だった事実、確認。──アレク殿下の子孫を捜す調査、開始。──次の軸:前王妃の死の正体」
稜は、紙を革の手帳に挟んだ。
窓辺に、立った。
若葉月、半ばの午後の光が王宮の白い壁を強く照らしていた。──稜の胸の中で、二百年前のアレク殿下の選択の深さが響いていた。
(──アルベリク、グラシアスアレク。──三人の王族が、二百年前千年の計画のために自分たちの人生を犠牲にした。──そして二百年、歴史の中で悪役または無能として記憶されてきた)
稜は深く息を、吐いた。
扉が、ノックされた。
「稜殿。──ロッテです」
稜は、扉を開けた。ロッテが、立っていた。
「師匠。──マテウス院長から、伺いました。──アレク王弟の真の遺書の発見」
ロッテの目に深い感慨が、宿っていた。
「師匠。──二百年前のアレク殿下の決めの重みを、私は想像するしかないです」
稜は無言で頷いた。
「ロッテ。──そうだ。──二百年歴史の中で悪役として記憶されてきた、男の本当の判断。──私たちは彼の選びの上に立って、いる」
ロッテは長く稜を見つめた。
「師匠。──次の調査の軸は、何でしょうか」
稜は深く息を、吐いた。
「ロッテ。──セレネ殿下にお話しなければならないことが、ある。──しかしその前にお前に相談したい」
ロッテはわずかに頷いた。
─── ─── ───
稜は、ロッテに長く説明した。──予言書の付録の頁の中に、五年前の前王妃の死の記録が含まれている可能性。──セレネ殿下の母君の毒殺の真実。
ロッテは長く聞いて、いた。──そして頷きを返した。
「師匠。──セレネ殿下にその記録をお見せする必要が、あります。──しかしお見せする瞬間殿下は深く傷つかれます。──覚悟を、お持ちでいらっしゃるとしても十六歳の王女が母の毒殺の真相を知る瞬間は深い痛み」
稜は深く頷いた。
「ロッテ。──私たちは、その瞬間殿下の傍にいる」
ロッテは頷いた。
「師匠。──私は殿下の傍で彼女の痛みの半分を、共有します。──書記官としてではなく、同世代の女性として」
稜は、長くロッテを見つめた。
「ロッテ。──ありがとう」
ロッテはゆっくりと頷いた。
稜は続けた。
「ロッテ。──明日もう一度第五層に入る。──そして付録の頁を確認する。──確認の後、セレネ殿下に私とお前で話をする」
ロッテは深く頷きを返した。
夕陽が、徐々に傾きつつあった。
稜は深く息を、吐いた。
胸の中で、明日の予言書の付録の調査の重みが響いていた。──そしてその後のセレネ殿下との対話の覚悟も。
窓の外で、若葉月半ばの午後の光が徐々に夕方の金色に変わりつつあった。
稜は長くその光を見つめて、いた。
二百年前の三人の真実。
アルベリク・グラシアス・アレクの三者の計画的自己犠牲。
歴史で「優柔不断な王」「私物化した叔父」「反逆者」として記憶される覚悟を、三人で背負った。
クロヴィスがアレクの子孫だった事実は、自分でも書きながら手応えがありました。




