エリカ・ライヘンバッハの証言
帝都ヴェルデン、四日目の午後。
稜は帝都の元老院議事堂の控え室に座っていた。
元老院議事堂は皇宮の東、徒歩で十分の位置にあった。三階建ての白い石造りの建物。アウレリア王国の議会の建物より明確に大きかった。建国二百年のハーゲン帝国の議会の歴史の重みが、建物の各所に刻まれていた。
控え室は議事堂の二階の奥にあった。広い、しかし落ち着いた部屋。中央に長方形の楢の机。机の周りに四つの椅子。壁には過去の議員たちの肖像画が整列していた。──全員男性だった。一枚を除いて。一枚だけ、若い栗色の髪の女性の肖像画が男性たちの間に混じっていた。
アンナ・ライヘンバッハ。エリカの母。二十年前、毒殺された女性。
稜は長く、その肖像画を見つめた。
肖像画の女性は微笑んでいた。──三十代後半。栗色の髪。緑の優しい目。胸元に、小さな銀のブローチ。──稜は気付いた。エリカが今日、白い礼服に付けてくる予定のブローチとおそらく同じものだ。
(──二十年前、お母様もここに座っていた。──そして毒を盛られて、亡くなった)
稜は肖像画の女性の目を長く見た。──二十年前、彼女が信じていた未来。──娘エリカが議員になり、母の遺志を継ぐ未来を彼女は予感していたのだろうか。
扉がノックされた。
「稜殿。──エリカ・ライヘンバッハ議員、参られました」
稜は立ち上がった。
扉が開いた。エリカが入ってきた。三十八歳。長身。栗色の髪を後ろで束ねていた。緑の鋭い目。元老院議員の白い礼服。──しかし今日のエリカの白い礼服には、いつもの議員の徽章だけではなく、もう一つ小さな銀のブローチが付いていた。母アンナの形見のブローチだった。
肖像画の中の母と、目の前の娘。
栗色の髪。緑の目。そして同じ銀のブローチ。
稜は深く一礼した。
エリカは深く一礼を返した。
「稜殿。──ハーゲン帝国元老院議員エリカ・ライヘンバッハと申します。──昨夜神崎閣下より、稜殿が私の母の毒殺事件と千年の計画の繋がりについて調査を進めておられると伺いました。本日、私の二十年の調査の全貌をお話しに参りました」
稜は深く一礼を返した。
「エリカ議員。──ありがとうございます。──二十年のご調査のお時間を、私に共有いただけること深く感謝いたします」
エリカは控え室に入る前に、母の肖像画の前で立ち止まった。──そして肖像画の母に、わずかに頭を下げた。──二十年、毎日この控え室に入る前に続けてきた所作のようだった。
稜はその姿を、黙って見つめた。
─── ─── ───
二人は、長机の向かい合いに座った。
控え室の係員が、温かい紅茶を二杯運んできた。そして深く一礼して、退いた。控え室の扉が、静かに閉まった。二人だけの空間に、なった。
エリカは深く息を、吸った。そしてゆっくりと語り始めた。
「稜殿。──私の家ライヘンバッハ家はハーゲン帝国の建国時二百年前から続く、古い貴族家です。建国の初代皇帝アレクサンダー・バスタンの最も信頼できる家臣、家の一つでした」
稜は頷いた。
「ライヘンバッハ家の千年の家系図」
「いいえ、稜殿」
エリカは、首を横に振った。
「ハーゲン帝国の建国は二百年前です。それ以前、私の家系は別の王国の傍系の貴族家でした。──しかし千年の計画の構造は、ハーゲン帝国の建国の二百年よりも遥かに古いのです」
エリカは続けた。
「神崎閣下から伺いました。──稜殿は、千年前のトルメアスの三人の弟子の系譜についてご研究されていると。──私の母、アンナ・ライヘンバッハは生前自分の家系の最も古い祖先について深く調べていました」
エリカの緑の目が、稜を見つめた。
「私の家系の最も古い祖先は、千年前のエルフラム・ヴァランディン。──ヴィスカルト皇太子家の母方の最も古い祖先セレウス・ヴァランディンの双子の弟、です」
稜の息が、止まった。
(──エリカの家系も、トルメアスの第二の弟子の系譜の一部か)
─── ─── ───
エリカは続けた。
「千年前トルメアスの三人の弟子のうち第二の弟子セレウス・ヴァランディンには双子の弟エルフラム・ヴァランディンが、いました。双子はトルメアスの計画について深く議論、しました。──しかし二人の見解は徐々に分かれて、いきました」
「セレウスは千年の計画の継承を、選びました。アウレリア王国の千年の属国化を構造的に進める役割を自分の血の子孫に、託しました。──エルフラムはその計画に、反対しました。彼は千年の計画の構造的な歪みを見抜きいずれ計画を止めるためのもう一つの血を自分の子孫に託す選択を、しました」
稜は、長くエリカを見つめた。
「エリカ議員。──あなたの家系は、千年前から計画を止める側に立っていると」
エリカは小さく頷いた。
「はい稜殿。──しかし千年の間、エルフラムの子孫は徐々に忘れられていきました。家の口伝、としていくつかの知識が残っていましたが組織的に計画を止める活動は行われなくなりました。──私の母、アンナはライヘンバッハ家の千年の口伝を深く調べた最初の人物でした」
「母は二十年前四十二歳でアンナ皇宮晩餐会の後、急死しました。公式には心臓発作。──しかし母は、晩餐会の前まで健康でした」
エリカの声が、少し震えた。しかしすぐに戻った。
「私が十八歳の夜、でした。母の死の日。──私は母の死を心臓発作として受け入れることが、できませんでした。母はその晩餐会である女性と長く対話していたと、後で知りました。──その女性はトレスト家の当時の当主の妻、でした」
─── ─── ───
稜は、長くエリカを見つめた。
「エリカ議員。──二十年、お一人で調査を続けてこられたと」
エリカは一度頷いた。
「はい稜殿。──二十年。私は、十八歳から三十八歳まで母の死の真相を追い続けました。──最初の十年は、表面的な調査しかできませんでした。元老院議員になる前。──私は、ライヘンバッハ家の若い女として王宮の政治の内部に入ることができませんでした」
「十年前二十八歳の時。──私は、元老院議員に立候補し当選しました。帝国唯一の女性議員、として。──それ以来十年私は議員の立場でトレスト家の過去五十年の活動を調査、してきました」
稜はわずかに頷いた。
「エリカ議員。──二十年の孤独な、戦いですね」
エリカは長く稜を見つめた。
「稜殿。──孤独でした。──夫は、十二年前別の原因で亡くなりました。娘、アリアは当時まだゼロ歳。──私は、娘を女手一つで育てながら二十年の調査を続けてきました」
稜は深く息を、吐いた。
(──エリカ議員も、二十年一人で戦ってこられた)
エリカは、紅茶を一口飲んだ。そして続けた。
「十年前議員になって、すぐ。──私は神崎閣下と、出会いました。神崎閣下は当時宰相に就任、五年目。──閣下は私の母の毒殺事件の調査について密かに協力を申し出て、くださいました」
「閣下は私にこう、おっしゃいました。『エリカ議員。──私は宰相としてトレスト家の千年の調整の骨格を止めることを目指して、おります。あなたの母君の事件はその構造の最も、最近の現れの一つです。──二人で共に戦いましょう』」
稜はゆっくりと頷いた。
「エリカ議員。──玲は、十年前からあなたの同志なのですね」
エリカは黙って頷いた。
「はい稜殿。──神崎閣下は、私の二十年の戦いの最後の十年の最大の支えでした。私の孤独の唯一の伴走者、でした。──そして稜殿。あなたが神崎閣下の二十年前の同志であったと、伺いました」
─── ─── ───
稜は一瞬の沈黙の後、頷いた。
「エリカ議員。──私は二十年前から玲の前世の相棒、でした。十五年共に戦った。──しかし二年前、玲は私を嵌めた。私は、会社を追われた。──そして異世界に転生し二年半前からアウレリア王国の参謀として生きて、います」
エリカは長く稜を見つめた。
「稜殿。──神崎閣下からお話、伺いました。──あなたと神崎閣下の二十年の関係。前世の嵌めの構造。そして契約更新日での和解」
エリカは続けた。
「──稜殿。神崎閣下は私にこう、おっしゃいました。『エリカ議員。──私は二年前稜を、嵌めた。私の参謀の孤独はその罪から、始まった。──しかし稜と再会して私の孤独はようやく解けつつ、ある。あなたが二十年抱えてきた孤独もいつか解ける日が来ると私は、信じる』」
稜は深く頷きを返した。
「玲が、そうおっしゃった、と」
「はい稜殿。──昨夜閣下は、私に長くお話くださいました。三十五年前の前皇帝の書簡のことも。──私は、母の毒殺事件と三十五年前のアウレリア前王アドラム殺の共通の構造をようやく確認できました。──二十年の調査の最後のピースが、昨夜揃いました」
エリカの目に深い涙が、滲んだ。しかし流さなかった。沈黙を武器として使う、女性。──その沈黙の奥に二十年の深い痛みが、あった。
─── ─── ───
稜は、エリカを長く見つめた。
そして静かに口を開いた。
「エリカ議員。──二十年のご調査の結論を、伺ってもよろしいですか」
エリカはわずかに頷いた。
エリカは、机の横の革の鞄から一冊のノートを取り出した。長年、使い込まれたノート。表紙の革が、所々擦り切れていた。
「稜殿。──これが、私の二十年の調査の全貌です」
エリカは、ノートを開いた。
「トレスト家の過去五十年の毒殺事件、リスト。──確認できたもの九件。疑わしいもの十二件。合計、二十一件です」
稜の息が、止まった。
二十一件。
「五十年で、二十一件の毒殺、またはその可能性」
エリカは一度頷いた。
「最も古い確認事件は、五十年前。アウレリア王国のある貴族家の当主。──彼は、当時アウレリアの独立志向のリーダーの一人でした。彼の急死は心臓発作とされました。しかしトレスト家の当時の毒物の技術が、関わっていた可能性が極めて高いです」
「次が三十五年前。アウレリア王国の前王、アドラム王。──昨夜神崎閣下から伺いました。前皇帝、フリードリヒ二世が依頼。トレスト家のハインツ・トレストが、毒を調合。──私のリストに、追加できる九つ目の確認事件です」
「次が、二十五年前。サルマティアのある、貴族家の当主」
「次が、二十年前、私の母」
エリカは、母のことを淡々と述べた。しかし声は、わずかに震えていた。
──エリカの右手の指が、ノートの上で一瞬止まった。──二十年、毎日のように開いてきたノート。──しかし「私の母」と自分の声で言葉にする刹那、二十年抱え続けてきた重みが指先に滲み出た。
控え室の窓の外で、夕陽が皇宮の白い壁を金色に染め始めていた。──二十年前、母アンナが最後に見た夕陽も、おそらく同じ角度で皇宮を照らしていた。──エリカは、夕陽の方角を一瞬だけ目で追った。──そして再びノートに視線を戻した。
「次が十五年前ヴェロニアのある、商人。──トレスト家の商売敵」
「次が、十年前ハーゲン帝国のある、改革派の貴族」
「次が、五年前、神崎閣下の政治顧問の一人」
「次が、三年前エリカ自身を狙った、未遂事件」
稜の目が、エリカを見つめた。
「エリカ議員。──三年前、ご自身も狙われたと」
エリカは頷きを返した。
「はい稜殿。──私の紅茶に、毒が入っていました。──しかし私の娘、アリアの子犬がその紅茶を誤って舐めてしまいました。──子犬は、即座に死亡しました」
稜は長く息を、吐いた。
(──エリカ議員の命が、子犬の死で救われた)
─── ─── ───
エリカは、ノートを閉じた。
「稜殿。──二十一件の事件を、貫く共通の組み立てを申し上げます」
稜は小さく頷いた。
「全ての標的が千年の計画に対する抵抗の可能性を持つ、人物です。アウレリアの独立志向の貴族。改革派の貴族。商売敵。私の母のように、千年の口伝を調べる女性。──全て、第二の弟子の系譜の千年の計画の進行に邪魔な存在でした」
「トレスト家は千年の計画の技術的な、執行者です。第二の弟子セレウスの血を継ぐヴィスカルト皇太子家と技術を提供する、トレスト家。──二つの家が絡み合って千年計画を進めて、きました」
稜は何度か頷いた。
「エリカ議員。──そしてあなたの家、ライヘンバッハ家はエルフラムの血を継ぐ計画を止める側」
「はい稜殿。──しかし千年の間に、エルフラムの血の活動は組織的ではなくなっていきました。私の母、アンナが千年の口伝を調べ組織的な活動を再開しようとしました。──そして母は、殺されました」
エリカは深く息を、吐いた。
「稜殿。──私は母の遺志を継ぐために二十年戦って、きました。──そして今神崎閣下と稜殿と共に戦う瞬間を、迎えました」
稜は一度頷いた。
─── ─── ───
稜は、しばらく沈黙した。
エリカの二十年の孤独な、戦いの深さを心の中で受け止めていた。
そして稜は静かに口を開いた。
「エリカ議員。──あなたの戦いはアウレリア王国のセレネ王女殿下の戦いと深く響き合って、います。──セレネ殿下は十六歳で王女として母を五年前に毒殺された可能性を最近感じ始めて、おられます。──そして母の遺志を継ぐ覚悟を持って、いる」
エリカの目が、稜を見つめた。
「稜殿。──セレネ王女殿下の母君も、トレスト家の毒で亡くなられたと」
「証拠はまだ揃っていません。しかし構造的に、極めて可能性が高いです。エリカ議員、あなたの母君と五年の年代差。同じ、トレスト家の毒の技術が関わっていた可能性」
エリカは長く稜を見つめた。
そして深く頷きを返した。
「稜殿。──セレネ王女殿下と、私は同じ痛みを抱えている女性です」
エリカの目に、新しい光が宿った。
「稜殿。──私の仕事はセレネ王女殿下の鏡のような、仕事です。私は帝国であなたがアウレリア王国でされてきた仕事を別の形でして、きました。──いつかセレネ王女殿下にお会いして二十年の私の調査を、共有したい。そして二人で母の遺志を千年の計画を止める形で、実現したい」
稜は頷いた。
「エリカ議員。──いつか、必ずお二人をお会わせいたします」
─── ─── ───
しばらく、二人は沈黙した。
控え室の壁の母の肖像画が、二人を静かに見守っていた。
稜は、肖像画を見つめた。
「エリカ議員。──お母様の肖像画はいつもここに、あるのですか」
エリカは頷いた。
「私が議員になった時母の肖像画を議事堂の控え室に置く許可を議会から、得ました。──母も生前議員になることを目指して、いました。彼女の夢は女性議員の第一号、でした。私がその夢を、継いだ。──だから控え室に母の肖像画を置いて、います。母も議員の一人、として」
稜は黙って頷いた。
「エリカ議員。──素晴らしい、ご決断です」
エリカは、微かに笑った。十八歳から、三十八歳まで戦い続けた女性の深い温かさがその笑みに宿っていた。
稜は続けた。
「エリカ議員。──娘さんは、いまおいくつですか」
「アリアは、十二歳、です」
エリカの声が、初めて温かくなった。
「賢い子です。──最近、母の議員の仕事に興味を持っていると。──しかし私は、アリアを政治には巻き込みたくない。アリアはまだ子どもです。十年、二十年私が戦い千年の体系をある程度変えてからアリアの世代は別の戦いをするはずです」
稜は頷きを返した。
「エリカ議員。──娘さんを、守りながら戦ってこられたご決意深いです」
─── ─── ───
夕刻が、近づいていた。
控え室の窓の外で、夕陽が傾きつつあった。エリカは深く息を吸った。
「稜殿。──そろそろ私は議会の夕方の業務に戻らなければなりません。──今日、稜殿に私の二十年の調査を共有できて、本当にありがたいです」
エリカは立ち上がった。──しかし扉に向かわなかった。長く稜を見つめた。
そして低く呟いた。
「稜殿。──二十年。──私は二十年、誰にも泣くことができませんでした」
稜は黙ってエリカの目を見た。
「夫が亡くなった夜も、私は泣きませんでした。──娘が母の肖像画の前で『お祖母様はどんな方?』と聞いた夜も、私は泣きませんでした。──三年前、子犬が私の代わりに死んだ夜も、私は泣きませんでした」
エリカの目に、初めて涙が滲んだ。
「もし私が一度でも泣いたら、私の戦いは止まる気がした。──二十年の調査の重みを抱えるためには、泣いてはいけない気がした」
エリカの頬を、一筋の涙が伝った。
「しかし今夜──稜殿の前で、私は初めて泣きそうです」
稜は静かに口を開いた。
「エリカ議員。──ここで泣いて、よろしい」
稜の声は深かった。
「あなたの二十年の戦いは、誰にも知られない孤独な戦いでした。──しかし今夜、私と神崎が、その戦いの全貌を聞きました。──二十年の重みは、今夜、ようやく分かち合える形になりました」
エリカの涙が、止まらなくなった。
しかしそれは、悲しみの涙ではなかった。──二十年抱えてきた重みが、初めて他者に届いた解放の涙だった。
「稜殿……」
エリカの声は震えていた。
「──ありがとう、ございます」
エリカは、母の肖像画を一度振り返った。
「母さん。──今日、私は初めて泣けました。──二十年ぶりに」
肖像画の中の母は、変わらず微笑んでいた。──しかし夕陽の金色の光の中で、その微笑みが、わずかに別のものに見えた。──娘の二十年の戦いを見守ってきた母が、ようやく娘の涙を許した瞬間の微笑み。
エリカは涙を拭った。──そして稜の目を見た。
「稜殿。──セレネ王女殿下にお伝えください。帝都に殿下の同志が一人おります、と」
稜は深く頷いた。
「──必ず伝えます」
エリカは続けた。
「稜殿。──二十年、私は母の肖像画に毎日報告してきました。『母さん。今日も戦いました』、と。──今日、私は母にこう報告します。『母さん。──ようやく共に戦う同志が増えました。──稜殿と神崎閣下と、いつかお会いするセレネ王女殿下と。──母さんの遺志はもう、私一人のものではありません』」
稜の目にも、涙が滲んだ。
稜は深く腰を折った。
「エリカ議員。──ありがとうございます」
エリカは控え室を出ていった。──最後に扉の前で、もう一度母の肖像画に深く頭を下げた。──二十年続けてきた所作。──しかし今夜の所作は、いつもと違っていた。──二十年で初めて、母に対して「泣けた」報告を持っての一礼だった。
扉が静かに閉じた。
稜はしばらく控え室に一人残った。母の肖像画を、長く見つめた。アンナ・ライヘンバッハ。四十二歳で毒殺された女性。──しかし彼女の娘は、二十年、母の夢を継いで戦い続けた。──そして今夜、その娘がようやく泣けた。
稜は深く息を吐いた。
窓の外で、夕陽が皇宮の白い壁を金色に染めつつあった。
─── ─── ───
夜、稜は神崎の公邸に戻った。
神崎は、書斎で待っていた。
稜は、神崎の向かい側の椅子に座った。
「玲」
稜は静かに告げた。
「──エリカ議員と、お会いした。彼女の二十年の調査の全貌を、伺った」
神崎は深く頷いた。
「稜。──エリカは、強い女性だ」
「はい。──二十年、一人で母の遺志を継いで戦ってこられた」
稜は続けた。
「玲。──エリカ議員からセレネ殿下への伝言を、預かった。『帝都に殿下の同志が一人、おります』」
神崎は、微かに笑った。
「稜。──二人の女性がいつか出会う瞬間を私は楽しみに、している。同じ痛みを抱える、二人の女性。──二人が出会えば千年の計画は女性たちの連帯でもう一つの形で止められる可能性が、ある」
稜は深く頷いた。
稜は、革の手帳を開いた。最初の頁の裏に、セレネとクロヴィスの覚悟とフィオナの最期の言葉と前皇帝の書簡のメモが挟まれていた。
稜は、その隣に新しい紙を添えた。
「──エリカ・ライヘンバッハ三十八歳。二十年、母の遺志を継いで戦う女性。セレネ殿下の鏡のような、同志。いつか二人を、会わせる」
稜は、紙を革の手帳に挟んだ。
神崎は、稜の手帳の一連の紙を見つめた。
「稜。──お前の革の手帳は、千年の計画を止めるための地図になっているな」
稜はゆっくりと頷いた。
「玲。──地図は徐々に完成しつつ、ある。──残るはヴィスカルト殿下の内面の地図、だ」
神崎は長く稜を見つめた。そして頷いた。
「稜。──明日私は、お前にヴィスカルトの少年時代の記録を見せる。──彼の内面の地図の最初の一部を、共に辿ろう」
稜は頷いた。
書斎の蝋燭が、静かに揺れていた。
帝都ヴェルデンの四日目の夜が、深まっていた。
エリカ・ライヘンバッハの二十年。
ライヘンバッハ家が、千年前の第二の弟子セレウスの双子の弟エルフラムの系譜——千年の計画を止める側の血。
この設定、第二部を構想した最初から温めていました。
エリカとセレネが、後で出会う伏線も、ここで配置しています。




