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ルクレティウスの手稿

 扉がゆっくりと開いていった。

 黒い樫の扉。金色のトルメアス時代の文字が、扉の表面でわずかに光っていた。「孫の準備が整った時、扉は自ら開く」。クロヴィスが銀の鍵を回した瞬間、扉は確かに開いた。

 しかし扉の中の空気は重かった。

 六十五年、誰も開けていなかった空間の空気。古い紙の匂いが流れ出てきた。インクの微かな香り。蝋の固まった匂い。そして何かもう一つ、説明できない空気。──時間そのものが止まったような空気だった。

 クロヴィスは扉の前で長く立ち止まった。

 稜とマテウスは後ろで静かに待っていた。

 クロヴィスは深く息を吸った。そして両手で、扉をもう少し押し開けた。扉がゆっくりと完全に開いた。中の空間が目の前に広がった。

            ─── ─── ───

 最深部の部屋は、狭かった。

 二メートル四方ほどの小さな、部屋。石造りの四つの壁。天井は低くクロヴィスの頭のすぐ上、だった。床は、平らな石。隅に、蜘蛛の巣がわずかに張っていた。

 部屋の中央に、一つの小さな机。

 机の上に、一つのガラスケースが置かれていた。透明な、ガラスの箱。長方形。古い、しかし丁寧に磨かれていた。ガラスの中に、何かが入っていた。

 クロヴィスは、ゆっくりと部屋に入った。

 マテウス院長が、後ろから灯火を運び込んだ。小さな、銀の燭台。蝋燭の橙色の炎が、最深部の部屋を淡く照らした。古い、空気の中で炎が静かに揺れた。

 クロヴィスは、ガラスケースの前に立った。

 ガラスの中に、一冊の本が入っていた。革の表紙。深い、茶色の革。表紙には、何も書かれていなかった。装飾は、ない。ただの革の本。しかしその本の横にもう一つ別のものが、入っていた。

 一通の古い、書簡。

 黄ばんだ、羊皮紙。封蝋が、剥がれていた。震える、字で書かれた署名。「フェリクス・クルビット」。

 クロヴィスの息が、止まった。

 昨日稜から、クロヴィスは北の砦でのオルヴァン将軍の調査の全貌を聞いていた。クロヴィスの祖父、ルクレティウス・モクが二十年保管していた書簡の原本。霧峰の情報漏洩の罪の自白。──その原本が、今クロヴィスの目の前にあった。

 マテウスが、静かに口を開いた。

 「クロヴィス。──ガラスケースは私が作ったものです。五十五年前、ルクレティウスの五十五歳の年。彼はフェリクスの自殺の後その書簡を見つけました。彼は、書簡を書斎の机の抽斗に置いておくことができなかった。──いつか誰かが見つけてしまう可能性があった。だから、私に相談しました。私は裏の冥書庫の最深部にガラスケースを用意しました。書簡は、そのガラスケースの中に五十年保管されました」

 稜は深く頷いた。

 (──マテウス殿と、ルクレティウス殿は共に五十年この最深部を守ってきた)

 クロヴィスは、ガラスケースの蓋をゆっくりと開けた。古い、蝶番が微かに軋んだ。

 中から、まず書簡を取り出した。指先で、震えるフェリクスの字を撫でた。三十年前、書記官室で祖父と机を並べていた男の最後の罪の告白。

 次に、革の本を取り出した。

 厚い、本だった。革の表紙の感触が、重かった。

 クロヴィスは、本を両手で持ち部屋の隅の小さな椅子に座った。マテウスが、もう一つ椅子を運び込んだ。稜は、立ったまま見守った。

 クロヴィスは、表紙をゆっくりと開いた。

            ─── ─── ───

 最初の頁に、祖父の筆跡があった。

 クロヴィスは、書記官室の台帳で祖父の字を見ていた。同じ、角の少し鋭い字。落ち着いた、字。一文字ずつ、丁寧に書かれていた。しかし台帳の字とは、違っていた。台帳の字は、公的な書記官の字だった。この本の字は、もっと私的な字だった。少しだけ、緩やかで少しだけ感情が滲んでいた。

 最初の一行。

 「アドレアンから、ルドヴィクまで千年の沈黙を私は、受け継いだ」

 クロヴィスは、その一行を長く見つめた。

 千年の沈黙。アウレリア王国の千年の王の系譜。アドレアン王、独立戦争の勝者。ルドヴィク王、百五十年前属国化を受諾した王。その間、十数代の王たちが千年の沈黙を受け継いできた。──そしてルクレティウスは、その沈黙の一部を自分も受け継いだと書いていた。

 クロヴィスは、頁を捲った。

 手稿は、続いていた。最初の数十頁は、王宮書記官としてルクレティウスが若い日に考えていた千年の王国の構造についての考察だった。古い、五家の千年の関係。議会制度の変遷。歴代王の政治の特徴。──ルクレティウスは、書記官の立場でそれらを深く観察していた。

 ルクレティウスは、寡黙な男だったとマテウスは言っていた。しかし内面では、千年の構造を深く考え続けていた。手稿の最初の数十頁が、それを示していた。

 クロヴィスは、五十頁ほど捲り続けた。

 そしてある、頁で手が止まった。

            ─── ─── ───

 頁の上に、日付が書かれていた。

 「──二十一年前、夏」

 その頁から、手稿の内容が変わっていた。それまでの千年の構造の考察、ではなく具体的な出来事の記録に変わっていた。

 ルクレティウスの字は、震えていた。

 「フェリクスが変わった。──書記官室の机で、夜中まで何かを書いている。私が声をかけても答えない。──フェリクスは、何かを隠している」

 数頁、後。

 「──二十一年前秋。フェリクスの息子、カイル十歳。家に遊びに来た時フェリクスが息子を抱きしめる姿を見た。──しかしフェリクスの目は、笑っていなかった。深い深い悲しみがあった。──私は、フェリクスの家に何か起きていることを感じた」

 数頁、後。

 「──二十年前春。霧峰の戦闘が、起きた。五百人以上が死んだ。──戦闘の三日後、フェリクスは書記官室で書類の整理をしながら震えていた。震える手でペンを握ろうとして何度も落とした。──私は、フェリクスに声をかけた。『フェリクス。何があった』。フェリクスは、答えなかった。ただ震えていた」

 クロヴィスは長く頁を見つめた。

 祖父は、当時フェリクスの変化を間近で見ていた。しかしまだ真相は、知らなかった。ただ、何かが起きていることを感じていた。

 クロヴィスは、頁を捲り続けた。

 数頁、後の日付。「二十五年前、夏」。──フェリクスが、自殺した年。

 ルクレティウスの字が、その頁で激しく震えていた。

 「──フェリクスが自殺した。書斎で、自分の首を吊った。執事のエルマーが発見した。エルマーは、私にフェリクスからの書簡があったことを告げた。書簡はエルマーが預かっていると。私は、エルマーに書簡を見せてほしいと頼んだ。エルマーは最初断った。──しかし私が、ルクレティウス・モクとして王宮書記官長として頼んだ時エルマーは書簡の写しを私に渡した」

 次の頁に、書簡の写しが貼られていた。フェリクスの震える、字。霧峰の漏洩の自白。家を、守るためサルマティアと取引した罪。

 ルクレティウスは、その写しを見てその夜書斎で一人長く震えたと書いていた。

 「──私はフェリクスの罪を知った。書簡を、王家に提出すべきか迷った。しかし書簡を提出すればクルビット家は即座に断絶する。当主の罪が、公になれば千年の家は終わる。──そして家には当時十四歳の息子カイルがいた。フェリクスの唯一の息子。家の唯一の後継者」

 「カイルはまだ十四歳。──父の罪を知らずに、家を継ぐ資格があった」

 クロヴィスの目に、涙が滲んだ。

            ─── ─── ───

 クロヴィスは、頁を捲り続けた。

 ルクレティウスの五十五歳の年から、十年。──その十年のルクレティウスの内面の記録、だった。手稿は、徐々に内省的になっていた。

 「──カイルは毎年家に遊びに来た。私の家族は、エルマとその夫アリス(私の息子)。エルマはその時十七歳。アリスは、二十二歳。家にはエルマの幼い時の笑い声がまだ響いていた。──カイルは、十四歳の頃からエルマを姉のように慕っていた。彼は私の家で笑った。──私は、その姿を見ながら毎晩フェリクスの書簡を思い出した」

 数頁、後。

 「──カイル十六歳。家を、立派に継いでいる。書記官室で私はしばしば彼に書類の書き方を指導する。彼は、父の才能を受け継いでいた。書記官の才能。──しかし彼の目にはどこか深い悲しみがあった。彼は、父の自殺を目撃していた。父の書斎で首を吊った姿を執事のエルマーと共に最初に発見したのは彼だった」

 クロヴィスの息が、止まった。

 (──カイル殿は、十四歳で父の自殺の姿を自分の目で見た)

 稜が以前カイルと対話した時、カイルは父の急死の記憶だけを語った。しかし自殺の姿を、自分で発見したことは語らなかった。三十年、彼はその記憶を一人で抱えていた。

 数頁、後。

 「──カイル二十一歳。家の領地の再建を続けている。彼は、父がサルマティアから受け取った資金で家を立て直したことを知らない。彼は父の書記官としての誠実さを信じている。──私は、その信頼を壊す権利を持っていない」

 数頁、後。

 「──カイル二十六歳。結婚した。妻は、慎ましい優しい女性。家に新しい命が生まれる。──私は、その新しい命を見てフェリクスの書簡をもう決して公にしないと心に決めた」

 ルクレティウスの心臓が、徐々に弱っていた頃の字。

 「──私はフェリクスの罪を誰にも告げない。私の沈黙は、フェリクスの罪を覆う沈黙ではない。──カイルと彼の新しい家族を守る沈黙だ。私の孫の世代に、私はこの沈黙の選択を託す」

 数頁、後。

 「──私の心臓は徐々に弱っている。医師は、原因が分からないと言う。しかし私は知っている。──二十年、フェリクスの書簡を抱えてきた。その重みが私の心臓を蝕んでいる」

            ─── ─── ───

 クロヴィスは、最後の数頁を捲った。

 手稿は、徐々に終わりに近づいていた。

 「──私の命は長くないだろう。私の孫クロヴィス。エルマと、アリスの息子。──私は孫をまだ見ていない。エルマは、妊娠している。間もなく生まれる。──しかし私は、おそらく孫の顔を見られないだろう。アリスももう長くない。彼の肺の病は悪化している」

 クロヴィスは、その文を読み長く息を止めた。

 (──祖父様は、僕の誕生を待ちながら亡くなっていくことを自覚していた。──そして父様の死も、近いことも自覚していた)

 数頁、後。

 「──孫はまだ生まれていない。しかし私は孫が生まれた時彼に何を託すかを考え続けている。私の千年の書記官としての知識を、託すべきか。私の二十年の沈黙の重みを託すべきか」

 「答えは出ない。しかし私は、この手稿を書き続ける。──孫がいつかこれを読む日に私の沈黙の選択の全体を知ることができるように」

 最後の頁。

 ルクレティウスの字が、極めて震えていた。最後の力を、振り絞って書いた字だった。

            ─── ─── ───

 クロヴィスは、最後の頁をゆっくりと開いた。

 頁の上の最初の一行。

 「──我が、孫よ」

 クロヴィスの息が、止まった。

 手稿の最後の頁は、孫への直接のメッセージだった。

 クロヴィスは、続きをゆっくりと読んだ。

 「我が孫よ。

 もし、君がこの手稿を読む日が来たなら君は既に沈黙の重みを知る人間に成長しているはずだ。

 君の名前は私は知らない。私は、君の誕生を見ずにこの世を去る。──しかし君は私の孫だ。エルマと、アリスの子。──君の目を私は見たいと願いながらこの手稿を書いている」

 「我が孫よ。

 沈黙は、時に罪を覆う。──しかし沈黙は時に愛を守る。

 君は、どちらの沈黙を選ぶのか」

 クロヴィスの目から、涙が流れた。

 手稿は、続いていた。

 「──私の二十年の沈黙は二つ目の沈黙だった。フェリクスの罪は、許されるものではない。しかしフェリクスの息子カイルとその家族の人生を守る沈黙は私の選択だった。

 しかし我が、孫よ。──私の選択が正しかったかどうかは私には分からない。沈黙は、永遠の解決ではない。いつか君の世代で別の判断が必要になるかもしれない。

 その時、君は自分の判断で選びなさい。私の沈黙の重さを引き継いで君の世代の決めをしなさい。──私は、君の選択を信じる」

 「我が孫よ。

 私は、君を見ずにこの世を去る。

 しかし君がいつかこの手稿を読む日に私は君と出会う。

 その瞬間に、私は君の祖父となる。

 ルクレティウス・モク」

 最後の署名の横に日付が、書かれていた。

 「──孫の誕生の十日前」

            ─── ─── ───

 クロヴィスは、手稿を両手で抱きしめた。

 涙が、止まらなくなった。

 最深部の部屋の蝋燭の橙色の炎が、静かに揺れた。

 マテウスは、クロヴィスの横で深い青い目でクロヴィスを見ていた。マテウスの目にも、涙が流れていた。五十年、一人で抱えてきた秘密が若い孫に受け継がれた瞬間だった。

 稜は、扉の近くで静かに立っていた。涙は、流さなかった。しかし深く息を、吸い深く吐いた。

 クロヴィスは長く手稿を、抱きしめた。

 そして低く呟いた。

 「祖父様」

 声は、震えていた。

 「──僕は、あなたの孫です」

 長い、沈黙が流れた。

 クロヴィスの頭の中で、祖父の最後のメッセージが繰り返し響いていた。「沈黙は時に罪を覆う。しかし沈黙は、時に愛を守る。君はどちらの沈黙を選ぶのか」。

 クロヴィスは深く息を、吸った。

 そして続けた。

 「──祖父様。沈黙の決断の意味を、今理解しました」

 マテウスが、深く頷きを返した。

 「クロヴィス。──ルクレティウスは君の誕生を楽しみにしながら亡くなりました。彼の最後の夜、私は彼の寝台の横にいました。彼は私にこう言いました。『──マテウス。私の孫が、もうすぐ生まれる。私は見られない。しかし私は、信じる。私の孫がいつか私の手稿を読み私の沈黙の選択を理解する人間に成長することを』」

 「『──私は、孫の目を見たかった。しかし私は、孫の未来を信じる』」

 マテウスの目から、涙が流れた。

 クロヴィスは深く頷いた。

 「マテウス院長。──ありがとうございます」

 稜は長く二人を見守った。そして静かに口を開いた。

 「クロヴィス」

 稜の声は、低かった。

 「──祖父殿の選択を、君が引き継ぐ。──今君が、決断する時だ」

            ─── ─── ───

 クロヴィスは、稜を見た。

 稜の目が、深かった。

 「師匠。──カイル殿に、父の罪を告げるか否か。──祖父様は、僕にその選びを託しました」

 稜は黙って頷いた。

 「クロヴィス。──私は、君の判断を尊重する。しかし君が、判断するために必要な情報をお前に伝える必要がある」

 稜は続けた。

 「──三日前フィオナ殿が霧峰の古戦場で最後の巡礼を終えた。フィオナ殿は、三年前から漏洩の真相を知っていた。そして彼女は自分の父の死の真相を誰にも告げず自分の心の中で受容した。──昨日フィオナ殿は、亡くなった」

 クロヴィスの息が、止まった。

 (──フィオナ殿が、亡くなった)

 昨日稜が、北の砦から戻ってきた夜稜の顔に深い悲しみの影があった。クロヴィスは、その理由を知らなかった。今知った。

 稜は続けた。

 「フィオナ殿の選択は二つ目の沈黙だった。彼女は、漏洩の真相を知りしかし誰にも告げず千年の歪みを受容した。──祖父殿の二十年の沈黙と同じ選択だった」

 「クロヴィス。──しかし君の判断は君の判断だ。フィオナ殿の選択でも、祖父殿の判断でもない。君が自分の判断で選ぶ」

 クロヴィスは長く稜を見つめた。

 そして深く息を、吸った。

 「師匠。──少し、時間をください。一人で、考えたい」

 稜は頷きを返した。

 「──ゆっくり、考えなさい。明日君の判断を聞こう」

            ─── ─── ───

 稜と、マテウスは最深部の部屋を出た。

 クロヴィスは、一人最深部の部屋に残った。手稿を、両手で抱えていた。フェリクスの書簡も、机の上に置いていた。

 蝋燭の橙色の炎が、静かに揺れていた。

 クロヴィスは、再び椅子に座った。手稿を、机の上に置いた。

 そして最後の頁を、もう一度開いた。

 祖父の最後のメッセージ。「我が孫よ。──私は、君を見ずにこの世を去る。しかし君がいつかこの手稿を読む日に私は君と出会う。その瞬間に、私は君の祖父となる」。

 クロヴィスは長くその文を見つめた。

 胸の中で、祖父の声が響いた。

 会ったことのない、祖父の声。しかし不思議と、馴染みのある声。手稿を通じて、祖父は孫に語りかけていた。十六年の距離を越えて。十年の死後の時間を越えて。

 クロヴィスは深く息を、吸った。

 そして低く呟いた。

 「──祖父様。僕は、あなたと今出会いました」

 声は、最深部の部屋の石壁に静かに反響した。

 蝋燭の炎が、わずかに揺れた。

 古い、空気の中で孫と祖父の最初の対話が十年の時を越えて静かに始まっていた。

            ─── ─── ───

 夜。

 クロヴィスは、一人自分の寮の部屋で机の前に座っていた。

 机の上に、祖父の手稿があった。フェリクスの書簡も。クロヴィスは、最深部の部屋から二つを運んできた。マテウスが、許可を出した。「今夜君の判断を考える、ために手稿は君の手元に、置いておきなさい」。

 窓の外で、夜が深まっていた。三十日月の月が、出ていた。新月から、二週間。徐々に満ちつつある、月。

 クロヴィスは、手稿を再び開いた。

 祖父の最後のメッセージを、もう一度読んだ。

 「沈黙は時に罪を覆う。しかし沈黙は、時に愛を守る。君はどちらの沈黙を選ぶのか」

 クロヴィスは長く考えた。

 祖父の二十年の沈黙。フィオナの三年の沈黙。──二つの沈黙は、共に二つ目の沈黙だった。罪を、覆う沈黙ではなく愛を守る沈黙。

 しかしクロヴィスは、感じていた。

 (──カイル殿は、二十九歳。新しい議会の議員となった。新しい、時代を生きる若き当主。──カイル殿はもう子供ではない。父の罪を知る、力を持っている)

 クロヴィスは、新しい白い羊皮紙を机の上に置いた。羽ペンを、取った。インクに、浸した。

 そして明日稜に提出する、自分の判断の草案を書き始めた。

 最初の一行。

 「カイル殿に、父の罪を告げることを提案いたします。──ただし、罪を告げる目的は罪の追及ではなくカイル殿が自分の家の千年の歴史と向き合い新しい千年を設計するための情報の提供として」

 クロヴィスは、書きながら胸の中で祖父に呟いた。

 (──祖父様。僕は、あなたの二つ目の沈黙を引き継ぎません。しかしそれは、あなたを否定することではありません。──あなたの二十年の沈黙が、あったからカイル殿は二十九歳まで家を立派に保ち新しい議会の議員となる人間に成長できた。──あなたの沈黙は、カイル殿の人生の土台を作った)

 クロヴィスは、続けて書いた。

 「祖父様の二十年の沈黙はカイル殿の土台を作りました。──今その土台の上に、立ったカイル殿は父の罪を知り自分の千年を引き受ける力を持っています。──僕は祖父様の沈黙の上に新しい開示を選びます」

 クロヴィスは、ペンを置いた。

 窓の外の月を見た。

 (──祖父様。これが、僕の決めです)

 月が、静かに寮の庭の石畳を白く照らしていた。

 春の夜の風が、穏やかだった。

祖父ルクレティウスの手稿、ようやく書けました。

「沈黙は時に罪を覆う、しかし時に愛を守る」——この一行を書くために、ここまで来た気がします。

祖父が孫の誕生を待ちながら逝去する場面、書きながら涙が止まりませんでした。

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