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視察団、到着

 春芽月の月、七日目。朝。

 契約更新日まで、あと七日。

 月の庭から戻った二日後の朝、アウリオン王宮の正門に、最初の使節団が到着した。

 ヴェロニア共和国の使節団。十二頭立ての馬車を連ねた、商業国らしい派手な到着だった。隊列の先頭を商人ギルド長マルクス・ディロンが自ら馬に乗って、率いていた。五十歳薄くなった茶色の髪細い目、痩せた身体。しかし馬上の姿勢には商業国を率いる男の、独特の余裕があった。

 王宮の正門でレオン王カスパル、アルデス公稜、セレネロッテ、クロヴィス、ブランの八人が、使節団を迎えた。

 形式的な挨拶が三十分かけて、行われた。その間マルクスの目は稜を、何度も捉えた。視線が合うたびに、マルクスは微かに笑った。「稜殿ようやく、お会いできましたな」という、無言の笑み。前世の稜がコンサルタントとして多くの商人と向き合ってきた経験がマルクスの目の奥にある三つの計算を、即座に読み取った。第一にヴェロニアが、今回の契約更新日で何を得たいか。第二にハーゲン帝国との関係を、どこまで変えたいか。第三にアウレリアを、どう利用するつもりか。三つの計算を、マルクスは隠さない。ただ稜に対して隠していないことを、隠さない。それが、商人の作法だった。

            ─── ─── ───

 ヴェロニア使節団が、客殿に案内されて、一時間後。

 二番目の使節団が、到着した。

 サルマティア王国の使節団。こちらは、馬車ではなかった。

 三十騎の騎馬と荷馬車が五台。

 隊列の先頭に第二王子ユルゲンが自ら馬を、駆っていた。二十八歳赤茶色の髪、鍛えられた身体。馬上から軽々と王宮の正門に、跳び降りた。その跳び方が剣術よりも、草原の馬術の跳び方だった。

 ユルゲン王子は、レオン王の前で大きく、片膝を突いた。

 「レオン陛下。サルマティアの、ユルゲンで、ございます」

 「我が国の、馬乳酒を二十樽、持参いたしました」

 「契約更新日まで毎晩、王宮の客殿で、飲みましょう」

 レオン王は少し困った顔をした。しかし即座に、表情を整えた。

 「ユルゲン王子。お越しいただき、感謝いたします」

 「馬乳酒は王宮の客殿で、ありがたく、頂戴いたします」

 王子は、立ち上がって周りを、見渡した。

 稜とブランを、見つけた。ブランの左頬の古い傷にユルゲン王子の目が、止まった。

 王子はブランに、近づいた。

 「ブラン殿、でござるか」

 「ユルゲン王子。お目にかかります」

 「稜殿から書簡で、伺っておった」

 「十年前サルマティアの兵と北の大陸で、戦った傭兵、ブラン・ゼグラル殿」

 ブランは深く頭を下げた。

 王子は微かに笑った。

 「契約更新日までの一週間毎晩、貴殿と馬乳酒を、飲みたい」

 「戦場の話を、聞かせてくれぬか」

 ブランは左頬の傷を、指で触った。

 「王子殿下の御命とあらば」

            ─── ─── ───

 サルマティア使節団が、客殿に案内されて、その夜。

 三番目の使節団が、到着した。

 オスタール公国の使節団。

 こちらは、静かだった。馬車は二台のみ。随行者は、十人。

 隊列の中心に一人の老僧が、馬車の窓から、顔を出していた。

 首席僧侶、アルデス・スヴェン。

 七十歳白髪痩せた顔、青い目。

 馬車が正門で止まると老僧は自ら、降りた。

 杖を一本、突きながらゆっくりとレオン王の前に、進んだ。

 老僧は、レオン王の前で深く頭を下げた。

 「陛下。オスタールの、アルデス・スヴェンでございます」

 「スヴェン殿。お疲れでございましょう。どうぞ客殿で、お休みください」

 「ありがとうございます」

 老僧は、頭を下げたまま数秒、沈黙した。

 それからゆっくりと顔を上げた。

 青い目が、レオン王ではなく、王の背後に立つ稜を見た。

 稜と老僧の目が、合った。

 老僧は、稜に微かに頷いた。

 それから再び、レオン王に、向き直った。

 「陛下。私は七十年、オスタールの山の修道院で祈りを、捧げてまいりました」

 「この歳で千年の属国条約の更新の場に、立ち会う栄誉を、いただきましたこと深く感謝いたします」

 レオン王は深く頷いた。

            ─── ─── ───

 オスタール使節団が客殿に入った後稜は一人、王宮の書斎に、戻った。

 三つの使節団が、到着した。

 ヴェロニアサルマティア、オスタール。三つの国の代表がそれぞれの流儀でアウリオンの王宮の、空気の中に入った。

 商業の国武の国、祈りの国。千年の属国条約の、三本の柱だった。

 残る一つの柱は、ハーゲン帝国。

 帝国の使節団は、あと三日後。十日目の朝、到着する予定だった。

 稜は五十頁の草案の最終頁を、見直した。草案の中心には四つの国のそれぞれの流儀をどう新しい条約の中に位置づけるかが、書かれていた。商業の国には、商業圏の再設計を。武の国には、軍事協力の再構築を。祈りの国には、信仰の自由の明文化を。そして帝国には属国から対等な二国間関係への、七段階の移行を。

 四つの国がそれぞれ自国にとって意味のある形で、新しい条約を受け入れる設計だった。稜は半年前に月の庭から戻った夜この設計の全体像を頭の中で、組み立て始めた。その夜から毎晩書斎で一つの章を、書いていた。半年で、五十頁。一頁を書くのに、平均三夜。時には一つの段落を一夜かけて、書き直したこともあった。

 前世のコンサルタントとして、大企業の再建計画を何度も書いてきた。しかし千年の条約を書き換える草案は再建計画とは、質が違った。再建計画は数年の結果を、目標として定める。千年の条約の書き換えは百年の未来を予測せずに、設計する必要があった。百年後のアウレリアは今日の誰にも、予測できない。それでも百年後を生きる誰かが今日の設計を批判しないような骨組みを今夜、作っておく必要があった。

 その緊張の中で、稜は半年間ペンを、動かしていた。

            ─── ─── ───

 その夜、稜は書斎で、一人静かに飲んだ。

 アルコールではなかった。茶だった。

 前世の稜は重要な案件の前夜必ず茶を、淹れていた。湯を沸かし茶葉を選び、急須に注ぐ。この三十分の儀式が頭の中の余分な情報を、整理する時間だった。異世界でも同じ習慣を、続けていた。

 窓の外の月は春芽月の、七日目。半月の、明るい月だった。

 契約更新日の満月まで、あと七日。

 稜は茶を、啜った。

 稜は書斎で一人、三つの使節団の到着を頭の中で整理していた。半年の準備が今日の午後の六時間で、三国の代表を迎える段階まで到達していた。前世のコンサルタント時代稜は大企業の合併や再建の案件で、複数のステークホルダーを同時に動かす交渉を何度も経験していた。その経験の中で最も難しかったのは利害の対立する三者以上を同時に、同じ方向に向かせることだった。通常、二者間の交渉は利害の調整ができれば合意に達する。しかし三者以上になると一人の利害を調整すると別の誰かの利害が崩れる、という連鎖が起き始める。この連鎖を最初から設計の段階で織り込む必要があった。稜が半年前に草案を書き始めた時、最初の二週間は三者以上の連鎖の全体の見取り図を作ることだけに費やしていた。見取り図の中で四国の代表とハーゲン帝国の宰相がそれぞれどの瞬間にどの順番で何を発言すれば、連鎖が同じ方向に進むのかを設計した。今日ヴェロニアの派手な馬車十二台とサルマティアの三十騎と馬乳酒、オスタールの静かな二台の馬車が順番通りに正門をくぐった。見取り図通りの最初の六時間が、静かに進んでいた。しかし見取り図通りに進んでいることは、稜にとって完全な安心材料ではなかった。見取り図は半年前の設計。今日から見取り図の範囲の外側で、予測できない出来事が起き始める可能性があった。その一つがマルクス・ディロンの深夜の訪問だった。マルクスが事前の約束なしに深夜、稜の書斎を訪ねる。この行為そのものは稜の見取り図に入っていなかった。しかしマルクスがなぜ深夜に訪ねてきたのかという動機は稜の見取り図の中心に、最初から組み込まれていた。ヴェロニアを帝国側ではなく四国連合の側に引き寄せる設計。マルクスの深夜の訪問は、その設計の最も重要な最初の確認の手続きだった。

            ─── ─── ───

 扉が軽く、叩かれた。

 「入ってください」

 扉が開いて、マルクス・ディロンが一人で、立っていた。

 「稜殿。夜分、失礼いたします」

 「マルクス殿。……どうぞ、お入りください」

 商業国のギルド長が深夜、稜の書斎を一人で、訪れた。

 事前の約束は、なかった。

 稜はこの訪問の意図を瞬時に、読んだ。

 明日正式な個別会談が、予定されていた。その会談の前にマルクスは稜の個人的な空気を直接見たい、と思った。商人の、最初の一手だった。

            ─── ─── ───

 マルクスは稜の向かいの椅子に座った。

 稜は茶をもう一杯、淹れた。

 二人はしばらく何も話さなかった。

 マルクスが先に、口を開いた。

 「稜殿。──明日の、会談の前に一つだけ、お伺いしたい」

 「はい」

 「神崎玲殿の、アウリオン来訪の理由をどこまで、把握しておられますか」

 稜はマルクスを見た。

 マルクスの目は、笑っていなかった。商人の笑みを一切消した、真剣な目。

 稜は静かに答えた。

 「マルクス殿。私は、玲の来訪の理由を、把握しております」

 「──どこまで、でございますか」

 「全て、でございます」

 マルクスは長く稜を、見ていた。

 それから微かに息を、吐いた。

 「稜殿。──そうでございますか」

 「はい」

 「ならば私は明日の会談で申し上げたいことを、変える必要が、ございます」

 稜は頷いた。

 マルクスは立ち上がった。

 扉の前で、振り返ってもう一度、稜を見た。

 「稜殿。──一つだけ、申し上げておきたい」

 「ヴェロニアは、あなたの側に、立ちます」

 稜は驚かなかった。

 マルクスの目の奥の三つの計算のうち、第三の計算──「アウレリアを、どう利用するつもりか」──がこの瞬間、「アウレリアとどう組むか」に、変わった。ヴェロニアの商業国としての、最も合理的な選択だった。

 「マルクス殿。感謝いたします」

 マルクスは頷いて書斎を、出た。

            ─── ─── ───

 扉が閉まった後、稜は茶をもう一口、飲んだ。

 三つの使節団のうち、一つが既にこちら側に、立った。

 サルマティアの武の国は、ユルゲン王子の、ブランへの関心から既に柔らかくなっていた。

 オスタールの祈りの国は、到着直後の視線の中で既に稜と無言の合意を、交わしていた。

 残る一つは、ハーゲン帝国。

 十日目の朝神崎玲が、アウリオンの正門を、くぐる。

 その瞬間がこの半年の準備の、本当の試練の、始まりだった。

 稜は茶碗を置いた。

 窓の外の半月を、見上げた。

 月の光が、王宮の書斎の机の上に淡く、落ちていた。

 机の上には、五十頁の草案が、積まれていた。

 半年の、準備の塊。

 稜は草案の表紙を一度、撫でた。

 そして灯りを、消した。

            ─── ─── ───

 同じ夜、ロッテは自分の部屋で手紙を、書いていた。

 宛先は、父バルト。

 書記官寮の自室から父の家までは、歩いて二十分。明日の朝自分の手で届けるつもりの、手紙だった。

 手紙の内容は、一つだった。

 「父上。母上が三日後アウリオンに、戻ってまいります。帝国の神崎宰相の使節団の、同行者として」。

 ロッテはこの一行を書くのに一時間、かかった。

 三年前母が徴用された夜から父はほとんど母の話を、しなくなった。書記官として淡々と毎日の仕事を、続けていた。四人の子供のうち末の二人トビとミカは当時まだ、十二歳と九歳。母の顔をほとんど、覚えていない。十五歳になったトビは今剣術の道を、歩み始めていた。十二歳になったミカは絵を、得意としていた。二人にとって、「母」は父とロッテが時々語る遠い、柔らかい記憶だった。

 ロッテは手紙を、書き終えた。封筒に、入れた。

 明朝、父の家の扉を、叩く。

 そして父にこの手紙を、手渡す。父の顔がどう変わるかはロッテには、予測できなかった。三年の沈黙の中で父の中に何が、積み重なっているか。それをロッテは正確には、知らなかった。

 ロッテは手紙の上に、手を置いた。

 蝋燭の炎が静かに揺れていた。

 母の帰還まで、あと三日。

第七章の、四話目です。

三つの使節団が、順番に到着しました。

ヴェロニアの派手な馬車十二台。

サルマティアの三十騎の騎馬と、馬乳酒二十樽。

オスタールの、静かな二台の馬車。

三国三様の、入り方でした。

書きながら、それぞれの国の空気を、想像していました。

商業国らしい、武の国らしい、祈りの国らしい。

同じ日の王宮の正門が時間ごとに、違う色に、染まる感じ。

深夜、マルクスが一人で稜の書斎を訪ねてくる場面。

事前の打ち合わせなしの、商人の最初の一手。

この場面を書いていて前世の稜にも、似た訪問を何度か受けた経験があるんだろうな、と思いました。

商人の目の奥の三つの計算。

稜が、それを瞬時に読む。

前世のコンサルタントの、十五年の経験が、異世界でもちゃんと生きている。

書いていて、嬉しくなりました。

そしてロッテの手紙。

父バルトへの、母の帰還を告げる手紙。

三年の沈黙の中に、何が積み重なっているか。

次話、父の家の扉を、ロッテが叩きます。

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