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剣より言葉が速い

 星光の月、二十五日目の昼下がり。

 ブラン・ゼグラルは一週間後の昼下がりに、再び王宮の西門に現れた。

 この日彼が着ていたのは、前回の濃緑の革鎧ではなくただの麻の服だった。十年の傭兵生活を象徴する装備を今日、彼は身につけていなかった。それは、ある種の宣言だった。

 稜はブランを王宮の北の小庭に、案内した。

 小庭は王宮の奥まった位置にある石壁に囲まれた静かな場所で千年前初代王アドレアンが、戦いの前に瞑想を行ったと伝えられる庭だった。石畳の上に、古い石のベンチが二つ。中央に、細い泉が一本。泉の水は王宮の地下水脈から湧き出ており、千年の間絶えたことがない。王家の、最も私的な庭。

 通常は王族以外は、ここに入れない。

 しかし今日稜はセレネに頼み、特別にこの庭を使わせてもらっていた。

 ブランが小庭に入った時彼の目が、わずかに広がった。この場所の意味を大陸の傭兵でも、知っていたのだろう。

 彼は稜に深く一礼した。

 「稜殿。このような場所にお招きいただき、ありがとうございます」

 「こちらこそ。一週間お待たせしました」

 二人は中央の泉の脇の、石のベンチに座った。春の日差しが小庭の石壁に反射し、柔らかい光を泉の水面に落としていた。水面はほとんど、動かなかった。泉の水が絶えず湧き出ているにも関わらず、表面は鏡のように静かだった。千年、静かだった泉。王家の千年の歴史の中でこの泉の前に座った者は、決して多くない。初代王アドレアン。第七代王の、狂王と呼ばれたクリス。十一代王、女王シビル。そして百五十年前の独立戦争で敗れ属国条約に調印した時の王、ルドヴィク。いずれも自分の代で、王国の行く末を根底から変えようとした王たちだった。他の穏やかな治世の王たちは、この庭に立ち入らなかった。なぜなら、この泉は──静かすぎるのだった。日々の政務の雑音を全て削ぎ落とし、心の底にあるものだけを浮かび上がらせる。ほとんどの人間は心の底を見ることに、耐えられない。

 この泉には、もう一つの伝承があった。千年前、初代王アドレアンがここで瞑想した時、彼は七日間、水面から目を離さなかったと言う。七日目の夜明け、水面に一つの波紋が立った。風もない、雨もない夜。それでも水面は、動いた。アドレアンは、その瞬間、独立の決意を固めたと言う。「泉の水面が動くのは、自分の心の底が、動いた証だった」。千年前の王の言葉。この言葉は、アウレリア王家の古式伝承として、今も残っている。泉の水面の波紋は、風や雨の外因ではなく、見る者の心の動きによって立つのだという。科学的には説明のつかない話だが、歴代の王たちは、この伝承を信じてきた。彼らが泉の前に座ったのは、自分の心の動きを、水面で確認するためだった。アドレアンの独立宣言、シビルの議会創設、ルドヴィクの属国受諾──いずれの決断の前に、王たちは、この泉の前に、何時間も、一人で座り続けた。そして水面に波紋が立った時、決断が下された。

 今ここに稜と、ブランがいた。十年、剣を振るって生きてきた男と前世で十五年、言葉を武器にしてきた男。二人とも心の底を見ることに、慣れていた。それでも、この泉の前では、二人の心の底そのものが、試される。どちらの男の心の動きが先に、水面に波紋を立てるか。稜はそのことを、意識していた。ブランもまた、意識していた。十年の傭兵生活で、この男は、多くの古い伝承を、大陸各地で耳にしてきたはずだった。アウレリアの月の庭の泉の伝承を、彼が知らないはずはなかった。

            ─── ─── ───

 「ブラン殿。一週間いかがでしたか」

 ブランは少し笑った。

 前回の粗野な笑みとは、別の笑みだった。

 今日の笑みは一週間、何かを決めた男の笑みだった。

 「稜殿。結論から申し上げます」

 「どうぞ」

 「──お受けいたします」

 俺は頷いた。

 「ありがとうございます」

 「ただし稜殿」

 「はい」

 「一つ条件がございます」

 「伺いましょう」

 ブランは泉の水面を少し見つめた。

 それから顔を上げた。

 「私の母と妹の、生活の保障をお約束ください」

 「金銭の多寡ではございません」

 「私が稜殿の下で仕事をしている間母と妹に何かあれば稜殿の下の誰かが必ず、駆けつけてくださること」

 「そして私に知らせてくださること」

 「それが私の唯一の条件です」

 俺は頷いた。

 「ブラン殿」

 「はい」

 「お約束します」

 「今日直ちに、ロッテ・シエルクという書記官助手を、あなたのお母上にご紹介します」

 「彼女が月に一度お母上を訪問します」

 「緊急の時は王宮の伝令が私の元に一刻以内に到達する体制を、敷きます」

 ブランは長く、俺を見ていた。

 「──その即答の速さ」

 「私の仕事です」

 「稜殿。噂通り、本物でいらっしゃいます」

            ─── ─── ───

 俺はブランにこれから彼に任せる仕事の概略を、説明した。

 ブランの役割は、交渉人。

 王国の、主要な交渉──属国契約の更新商業ギルドとの調整、地方貴族との折衝そして今後訪れる四大国の使者との対話──これらを稜の下で、実務として動かす役割。

 ブランは稜の言葉を一言も漏らさず、聞いていた。

 途中二度、質問を挟んだ。

 一度目は、「属国契約の更新期限はいつか」。

 二度目は、「四大国の使者は誰がどの順で来るか」。

 いずれも本質を突く、短い質問だった。

 俺は二つの質問に答えた。

 説明が終わった時、ブランは深く頷いた。

 「稜殿」

 「はい」

 「一つ試させていただいても、よろしいですか」

 「と仰いますと」

 「稜殿が私の『交渉人としての腕』を信じてくださっているのは、嬉しい」

 「しかし私は稜殿にも、一度私の腕を直接ご覧いただきたいのです」

 俺は興味を持った。

 「どんな試しですか」

 ブランは泉の水面を、指した。

 「──稜殿と私で、言葉の試合をいたしましょう」

            ─── ─── ───

 稜は少し笑った。

 「言葉の試合とは」

 「大陸の傭兵の間で口決闘と呼ばれる、古い遊びがございます」

 「二人が向かい合って座る」

 「片方が、ある『立場』を宣言する」

 「もう片方はそれに対する反対の立場から、議論を仕掛ける」

 「最初に論理の矛盾を指摘された方が、負け」

 「時間制限なし。ただし長引くほど、有利な方がより際立つ」

 「面白い遊びですね」

 「稜殿が受けてくださるか、試させていただきたい」

 俺は頷いた。

 「では私が、先に立場を取りましょう」

 「立場──『王国が独立するために、属国契約を今すぐ破棄するべきだ』」

 ブランの目が、わずかに広がった。

 この男は即座に、稜の意図を読んだ。

 稜自身は、この立場に反対の立場だった。しかしあえて、自分の本来の立場と逆の立場を取った。これはブランの腕前を、本気で試すための仕掛けだった。

 ブランは少し、考えた。

 それから語り始めた。

 「稜殿の立場は理解しました。では私は、逆の立場──属国契約は維持すべきだ、の立場で反論いたします」

 「どうぞ」

 「第一に破棄の結果王国はハーゲン帝国の直接的な軍事介入を、招きます。現在王国軍は、十二年前の独立戦争以来再建途上。帝国の三万の兵に対し王国の動員可能兵力は、二千。戦えば、負けます」

 稜は頷きつつ、反論した。

 「戦うのではない。契約の破棄というのは交渉の脅し材料。実際の軍事行動まで、踏み込む必要はない」

            ─── ─── ───

 ブランは即座に、返した。

 「脅し材料としての破棄は帝国側が、稜殿の本気度を読み違える可能性があります」

 「稜殿ご自身の立場からは脅しに過ぎなくとも、帝国側には王国が破棄に踏み切ったと映ります」

 「帝国宰相・神崎玲殿は前世の稜殿の弟弟子であり稜殿の手の内をある程度は、把握しておられる方」

 「神崎殿は稜殿の脅しを、脅しとして正しく読む可能性もある」

 「しかし帝国宰相は神崎殿、一人の決断では動けない」

 「皇帝軍務官、税制官──多くの人間が脅しの読解に、関与する」

 「その中の誰か一人が、本気の破棄と読み違えれば帝国軍は動きます」

 「脅しという細い線の上で王国は綱渡りを、強いられる」

 「一度綱から落ちれば王国は滅びます」

 俺は深く頷いた。

 見事な反論だった。

 稜が前世で十五年培った技と、全く同じ構造の反論。

 「相手の立場を一枚厚く読む」「関係者全員のリスクを並べる」「細い線の上の綱渡りという比喩で、感情的に訴える」──三層の、見事な論理の積み上げ。

 この男の言葉は確かに、剣より速い。

 「ブラン殿」

 「はい」

 「──私の負けです」

 「あなたの反論に私は、即座に有効な再反論を構築できません」

 ブランは驚いた顔をした。

 「稜殿。あまりに早い」

 「負けを認めるのがでございますか」

 「はい」

 「普通人は自分の立場を延々と守ろうとします。稜殿はわずか、数秒で降参された」

 俺は笑った。

 「ブラン殿。口決闘の勝敗は私には、どうでもいい」

 「大事なのはあなたの腕を、知ることでした」

 「今十分に知りました」

 「次の機会に勝敗を争いましょう」

 ブランが声を上げて笑った。

 粗野な、しかし今日は少し、軽やかな笑いだった。

 稜はブランに笑われながら、前世のある光景を思い出していた。三十五歳の時、大手不動産会社の経営会議で、稜は社長の立場に対して、全く逆の提案を行った。社長は最初、激怒した。しかし稜は社長の反論に対して、「ご指摘の通りです。私の案は成立しません」と、即答した。三秒で、負けを認めた。会議室は、凍りついた。社長は、わずかに、戸惑った。戸惑った後で彼は、稜を再び、まっすぐに見た。そしてこう言った。「もう一度、最初から、聞かせてくれ。今度は、君の本当の意見を」。稜は改めて、自分の案を、説明した。二時間後社長は、稜の案を、採用した。負けを即座に認めたことが相手の防衛姿勢を解いたのだった。防衛姿勢が解けた相手は、ようやく耳を開く。交渉の本質は勝つことではなく、相手の耳を開かせることだった。前世の稜はその原則を、十五年かけて、身体化した。今、異世界の小庭で、ブランは同じ原則を、別の文法で、知っていた。戦場で雇い主が激怒した時、即座に「ご指摘の通りです」と答える傭兵は、生き残る。戦場のブランの生存原則とビジネスの稜の交渉原則が、同じ場所に辿り着いていた。それは偶然ではなかった。人間が人間を説得する時の、最も古い原則。千年二千年、変わらない原則。その原則を知る二人の男が今、北の小庭の、千年の泉の前で、向かい合っていた。

 「稜殿」

 「はい」

 「稜殿は負けを道具にする」

 「これまで私が雇われてきた全ての王や貴族は、負けを恥とした」

 「稜殿のような雇い主は初めてでございます」

            ─── ─── ───

 春の風がもう一度、小庭の石壁を越えて、泉の水面を撫でた。水面に、さらに小さな波紋が立った。千年前、初代王アドレアンが独立の決意を固めた夜と、同じ波紋。そして七代王クリス、十一代王シビル、百五十年前のルドヴィクが、それぞれ見た波紋。その歴代の王たちの波紋の系譜の中に今、ブラン・ゼグラルという元傭兵の、忠誠の儀式が加わろうとしていた。王ではない者がこの泉で忠誠を誓うのは、千年で初めての出来事だった。稜はそれを、知っていた。

 ブランはベンチから、立ち上がった。

 そして稜の前で深く跪いた。

 大陸の傭兵が雇い主に対して行う、最初の忠誠の儀式。

 左手を地面に、右手を胸に置いた。

 頭を深く下げた。

 「稜殿」

 「はい」

 「ブラン・ゼグラル本日より、稜殿の下で交渉人としてお仕えいたします」

 「剣は振るいません」

 「弓は引きません」

 「ただ言葉のみで、稜殿と王国に奉仕いたします」

 俺は立ち上がりブランの肩に、そっと手を置いた。

 「ブラン殿」

 「はい」

 「顔を上げてください」

 ブランは顔を上げた。

 稜は彼の目を、見ていた。

 「あなたの言葉が、剣より速いことを信じます」

 「これからは王国の、言葉となっていただきたい」

 ブランの左頬の古傷が微かに震えた。

 それは笑みの動きではなかった。

 感情の動きだった。

 「──謹んでお受けいたします」

            ─── ─── ───

 小庭の泉の水面にようやく、わずかな波紋が立った。

 春の風が小庭の石壁を越えて、水面を撫でたのだった。

 その時、小庭の入口の古い木の扉が、音もなく開いた。

 セレネが立っていた。

 青いドレス金の髪、三つ編み。しかしいつもと違い彼女は石のベンチの端に、すでに座っていた者のように自然にそこに、いた。マテウス院長からこの小庭の鍵を借りて、稜が忠誠の儀式を行っている間、ずっと見守っていたのだった。

 ブランがセレネに気づき、驚いた顔をした。

 セレネは立ち上がり稜とブランに向かって、王族の会釈を、行った。頬が、朝焼けの色に、染まっていた。細い指がドレスの裾を軽く、つまんでいた。会釈のために上体を傾けた時金の髪が、左の肩からふわりと、流れ落ちた。

 ブランは慌てて跪きの姿勢に、戻ろうとした。セレネはそれを片手で、止めた。

 「ブラン・ゼグラル殿」

 「──王女殿下、でいらっしゃいますか」

 「はい。セレネ・アウレリア・アルヴェリアと申します」

 「──師の弟子でございます」

 ブランの目が、広がった。

 王女が、自分を「師の弟子」と、名乗った。同じ師の下の、同輩として。この一言でセレネはブランに、身分を超えた同志の位置を、示した。稜はセレネの判断の鮮やかさに、少しだけ驚いた。十六歳の少女の政治的感覚が、昼間の王族教育では学べない種類のものに、なってきていた。

 セレネは稜の隣に、来た。

 そしてブランに小さな布包みを、差し出した。

 「これは、王家の古式に則った、新参の弟子への祝いでございます」

 布包みを開くと古代アウレリア語で書かれた、一冊の書が、入っていた。『大陸傭兵団の掟』。セレネが昨夜稜に見せた本の、写し。彼女が今朝王宮の書記官室で、夜明け前から、ペンで一文字ずつ写したものだった。

 稜は胸の奥が、熱くなった。

 セレネは昨夜「私も学んでおきたい」と言った。それは、単なる学習ではなかった。新しい仲間のために自分の手で、贈り物を作ろうとしていたのだった。

 ブランは受け取る手が、震えていた。

 十年、大陸を渡り歩いた元傭兵が十六歳の王女の、手作りの贈り物の前で、震えていた。

 「──王女殿下。この重さは私の命より、重うございます」

 セレネは微かに、笑った。

 「ブラン殿。師を共にする者は、兄弟姉妹でございます」

 「兄弟姉妹の間に命の軽重は、ございません」

 稜はセレネを見た。

 この一言は千年のアウレリア王家の古式から、引いたものだった。セレネは昨夜から今朝までの間に古書を読み、この言葉を探し出してきた。彼女の、十六歳の手の中で千年の王家の言葉が、新しい意味を持って、生き直していた。

             ─── ─── ───

 稜はブランに最後の一言を、告げた。

 「ブラン殿」

 「はい」

 「明日王宮の書記官室で、ロッテ・シエルクと、クロヴィス・モクに、あなたを紹介します」

 「二人とも、私の弟子です。あなたの同僚となる」

 「そして速記という新しい技術を、あなたにも覚えていただきます」

 「速記とは」

 「交渉の現場で相手の言葉を、瞬時に記号で書き留める技術です」

 「あなたの腕であれば一月で、習得できるでしょう」

 「交渉人にとって記録は、剣と同じくらい大切な武器です」

 ブランは少し、考えた。

 それからにやりと笑った。

 「稜殿」

 「はい」

 「私は剣を置きに来ました」

 「しかし稜殿は新しい武器を、私に渡される」

 「これはお受けいたします」

 俺も笑った。

 「剣は置いても、武器を持たずに生きるということではないのです」

 「あなたの本当の武器は言葉です」

 「その武器を磨く訓練を、これから一緒にしていきましょう」

 ブランは深く頷いた。

            ─── ─── ───

 その夜、俺は第一の間で、手帳を開いた。

 卓の上に、蝋燭が一本。窓の外春の雨はようやく止み満月が王宮の東の空に、昇っていた。

 星光の月満月の日が、近づいていた。

 俺はペンを握り、一行書いた。

 「星光の月二十五日。ブラン・ゼグラル正式に、弟子となる」

 それから少し考え、もう一行書いた。

 「これで四人の弟子が揃った」

 「ロッテクロヴィスセレネブラン」

 「それぞれ異なる技を持つ」

 「一人で全てはできない」

 「四人で補い合う」

 ペンを置いた。

 窓の外の満月を、見ていた。

 四人の弟子という言葉が、俺自身の胸の中でゆっくりと重みを持ち始めていた。

 前世俺は弟子を、一人しか持たなかった。その一人が、俺を嵌めた。思い出すのは、前世の三十九歳の春。事務所の新人研修で、神崎玲が初めて俺の部屋に挨拶に来た日。二十四歳細身眼鏡、控えめな声。俺が「よろしく」と言うと、彼は「よろしくお願いします」と三回頭を下げた。三回。普通は一回、丁寧でも二回。三回目で、俺は少し笑った。後から知るのだが彼は地方から出てきたばかりで、都会の作法に自信がなかった。過剰に丁寧になることで、礼を失することを避けようとしていた。不器用な男だった。その不器用さが、俺には好ましかった。俺は彼を弟子にすることを、即決した。一人の弟子。それで十分だと、思っていた。十五年後その不器用な男が、俺を嵌めた。嵌めるために彼は十五年かけて、都会の作法を完璧に習得していた。最初の三回の頭下げは、演技ではなかった。しかし十五年の間に彼は演技と本心の境界を、自分自身でも見失うほどに、巧みになっていた。今、俺は異世界で四人の弟子を、持っている。四人は、俺を嵌めるだろうか。──いや。四人のうち誰か一人が将来俺を裏切ったとしても、残りの三人が俺の側に残る。複数の弟子を持つということは、裏切りに備える保険ではない。裏切りを恐れずに育てる勇気のことだった。前世の俺は神崎一人だけを弟子にしたことを、心のどこかで誇っていた。「俺には一人で十分だ」という、師としての傲慢。高樹さんが「四人五人持て」と仰ったのは、その傲慢への戒めだった。十五年かけて俺はようやく、戒めの意味を、身体で理解した。師の言葉は、十五年の歳月を経て、弟子の身体に、戻ってくる。高樹さん自身も、自分の師から、若い頃に同じ言葉を聞いたのかもしれなかった。そして、同じように、十五年後に、その意味を知ったのかもしれなかった。師弟の連鎖は常に十五年、二十年の時間差を伴う。それは、肉体を持つ人間の、知の継承の、最も古い姿だった。今夜、稜はその連鎖の一環に、自分を位置づけた。二十五年前の高樹さんの言葉を、二十五年後の自分が、異世界で、実行している。そしてこの稜の実行を、さらに二十五年後、今夜の四人の弟子の誰かが、また別の場所で、実行するかもしれない。千年、二千年の、師弟の時間軸の中に、今夜の稜は一つの小さな点として、加わった。

 手帳を閉じた。

 今夜は、静かな夜だった。

口決闘、という遊び。

書いていて楽しかったです。

稜が、あっさり「負けました」と認める場面、書きたかった。

ブランという男、十年の傭兵生活の中で、「剣を振るうと、誰かが死ぬ」と気づいた。

そして、言葉だけで戦う道を、選んだ。

この選択の重さを、少しでも伝えられていたら、嬉しいです。

次話、四人の弟子が、初めて揃います。

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