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品質監理官はそれでも検査したい  作者: こうた


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3/10

第3話 台風が来る



午後三時。


現場事務所の窓を叩く雨が、少しずつ強くなっていた。


佐伯はパソコンの画面を見つめながら、天気予報を何度も確認していた。


「……ほんまに来るんか」


画面には、大阪へ向かって進んでくる大型台風の予報。


しかも、進路はかなり悪い。


佐伯の隣で山下美咲が資料を整理している。


「予報では、明日の朝が一番ひどいみたいですね」


「明日の朝……」


佐伯の手が止まった。


「竣工検査、何時からやったっけ?」


「午前十時です」


「……」


「佐伯さん?」


「いや……」


佐伯は窓の外を見る。


雨はさらに強くなっていた。


「嫌な予感しかしない」


そこへ現場代理人の西村が入ってきた。


「お疲れさん。台風、思ったよりデカいらしいで」


「西村さん、明日の検査……」


「知っとる」


西村は苦笑した。


「黒田さん、予定変更する気ないらしいな」


「そうなんですよ……」


山下が小さくため息をつく。


「今日の時点で、もう現場を見るのは厳しいんじゃないですか?」


「せやな」


西村は腕を組んだ。


「まあ、道路そのものは完成しとる。書類も写真も問題ない。普通やったら何も心配することないんやけどな」


「普通やったら……」


佐伯がその言葉を繰り返した。


西村が佐伯を見る。


「問題は、今回の検査官が普通ちゃうことや」


「……ですよね」


その瞬間だった。


――プルルルル。


佐伯の携帯電話が鳴った。


画面を見る。


「黒田さんや」


現場事務所の空気が一瞬で変わった。


「出てください」


山下が言う。


「なんでそんな緊張するねん」


西村が笑う。


「いや、だって……」


佐伯は電話に出た。


「はい、佐伯です」


『黒田です。明日の竣工検査についてですが』


「はい」


『予定どおり、午前十時から実施します』


「……はい」


『書類検査の後、現場を確認しますので、現場まで案内をお願いします』


佐伯は窓の外を見た。


雨。


強風。


そして、台風。


「……現場、ですか?」


『はい』


「明日の天候なんですが……」


『承知しています』


「かなり荒れる予報になってますけど」


『承知しています』


「場合によっては、現場に近づけない可能性も……」


少し間があった。


そして黒田は、いつもの落ち着いた声で答えた。


『その場合は、行けるところまで行きましょう』


「……」


佐伯は言葉を失った。


電話の向こうから、さらに続く。


『現場を確認することが重要ですから』


「……はい」


電話が切れた。


事務所が静まり返る。


西村が聞いた。


「なんて?」


佐伯はゆっくり携帯電話を机に置いた。


「予定どおりやって」


「そらそうやろな」


「現場にも行くって」


「この雨で?」


「はい」


西村は窓の外を見た。


「……明日の朝、もっとひどなるで」


山下も不安そうに窓を見た。


「道路、大丈夫ですかね?」


「まあ、舗装自体は大丈夫やろ」


西村が答える。


「問題はそこへ行けるかどうかや」


その日の夕方。


雨はさらに激しくなった。


現場周辺では側溝から水があふれ始め、低い場所には水たまりができていた。


大野勝が重機を確認しながら空を見上げる。


「こりゃ、あかんな」


「大野さん、そんなにヤバいですか?」


佐伯が聞く。


大野は短く答えた。


「川、見てきた」


「どうでした?」


「増水しとる」


「……」


「このまま降ったら、明日の朝には道路まで来るかもしれん」


佐伯の顔が引きつった。


「道路まで?」


「可能性はある」


大野はそう言って、現場事務所へ戻っていった。


その夜。


佐伯は自宅に帰ってからも、なかなか眠れなかった。


ベッドの横に置いたスマートフォン。


天気予報。


河川水位。


防災情報。


何度見ても状況は悪くなる一方だった。


午前零時。


雨音が、家の中まで響いている。


「……頼むから、明日だけは普通にしてくれ」


誰に言うでもなく、佐伯は呟いた。


しかし。


自然は、そんな願いを聞いてくれるほど甘くなかった。


午前二時。


河川の水位が警戒ラインを超えた。


午前三時。


避難情報が発令された。


そして――


午前四時。


現場近くの河川が、堤防ぎりぎりまで増水した。


さらに一時間後。


水は、ゆっくりと道路へ向かって流れ始めていた。


竣工検査まで、あと五時間。


そしてその道路は。


少しずつ、濁った水の中へ沈み始めていた。

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