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撃てば、お前からも消える 〜才能がないと切られた39歳、S級の切り札を一度だけ奪って人類最強を空席にする〜  作者: ヲワ・おわり


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邪魔な場所


 台車を、通路の真ん中に置いた。


 『天啓』本部の地下二階、搬入口。天井が低くて、排気の音が絶えず鳴っている。コンクリートの床に、油と消毒液の匂いが染みついていた。


 朝、通用口で名簿を見せたとき、警備員は俺の名前を三度確認した。


「柏木さん。……あれ、御社との契約、先週で」

「引き継ぎです。今日までになってます」

「ああ、はい。そうなってますね」


 書類には嘘がない。契約は今日で切れる。だから今日は入れる。


 俺はしゃがんで、荷札を直しはじめた。もう直っている荷札だ。


 右手が使えないので、左手だけで札の角を折る。時間はいくらでもかけられる。


 三分ほどで、後ろから台車の音が近づいてきた。


「おい」


 振り返らない。


「そこ、どけ」


 顔だけ上げた。作業着ではない。防具のインナー姿の男が、こちらを見下ろしている。腕にB級の腕章。


「すみません、すぐどけます」


 言って、動かなかった。


 男が舌打ちして、自分の台車を回した。通路の幅は二メートル半ある。回せば通れる。


 通れてしまうと困る。


 俺は札を持ったまま、半歩だけ横にずれた。男の進路の側へ。


「……なあ」


 男が止まった。


「あんた、わざとやってる?」

「いえ」

「いま、こっちに寄っただろ」

「札を、明るいほうで見たくて」


 嘘ではない。天井の照明はこちら側にしかない。


 男の靴の先が、床を二回鳴らした。


 こういうとき、十一年ぶんの経験が邪魔をする。


 身体が勝手に引こうとする。通路の端に寄って、荷車を先に通して、目を合わせずに、謝る必要のないところで謝る。それで十一年やってきた。


 左足の踵に力を入れて、身体を止めた。


   ◇


 三度目で、蹴られた。


 男は助走もつけなかった。腰の高さで軽く振っただけだ。本人にとっては、荷物をどける動作と同じだったんだろう。


 脇腹に来た。靴が当たったというより、鉄骨が当たった感触だった。皮膚の下で、何かが軋んで、それから折れる音がした。


 身体が浮いて、壁のパイプに背中から当たった。


 息が入ってこない。


 男は蹴った脚をそのまま下ろして、台車を押していった。


「危ねえだろ、こんなとこにいたら」


 振り返りもしなかった。心配してくれたつもりらしい。


 俺は壁にもたれたまま、しばらく動けなかった。


 息が戻ってきたのは、たぶん一分後だ。吸うたびに、左の肋のあたりが刺さる。


 左手で床を探して、落ちた荷札を拾い集めた。


 それから、掌を開いた。


「鑑定」


   名前:柏木湊

   スキル:

   ・間合い喰い

   ・硬化


 二行になっている。


 硬化。あの男の脚が鉄骨に感じられた理由だ。


 増えた。


 肋が一本折れて、一行増えた。


 割に合っているのかどうか、判断がつかない。鋼板を凹ませて指を三本折ったときは、割に合わないと思った。今度は自分から取りに行った。同じ怪我でも、意味が違う気がする。


 気がするだけで、痛みは同じだった。


 俺は札を綴りに戻して、台車を起こした。肋が痛むので、押すというより体重を預ける形になった。


   ◇


 午前十一時。搬入口の外の喫煙所で、他社の業者と一緒に休憩を取った。


 六十くらいの男が、缶コーヒーを二本持ってきて、一本を俺の前に置いた。


「さっきの、見えたよ」

「すみません」

「なんで避けなかった」

「札が、濡れると読めなくなるので」


 男は缶を開けて、少し笑った。


「あんた、若いのに絡まれたことないだろ」

「あります」

「そうか。……まあ、ああいうのはな」


 男は湾岸を見ていた。防潮堤の向こうで、第一ダンジョンの警戒灯が回っている。


「覚えてもくれねえよ。蹴ったことも」


 缶コーヒーは甘すぎた。十一年、この味で午前中を折り返してきた。


「俺は八年ここに入ってるけどな」


 男が続けた。


「探索者に名前で呼ばれたのは、二回だ。二回とも、荷を落として怒鳴られたときだよ」


 笑いながら言ったので、俺も少し笑った。笑うと肋に響いた。


 喫煙所のテレビに、ダンジョン攻略の中継が流れていた。音は消してある。


 画面の右下に、参加クランの名前が並んでいた。『天啓』。その下に、隊の指揮を執る探索者の名前が出ている。


 九条巽。


 中継は今日の午前中のものだった。場所は湾岸第一。ここから歩いて十五分。


「今日、上がってくんのか」


 俺が聞くと、六十の男は画面をちらりと見た。


「午後には戻るだろ。荷が下りてくるからな」


   ◇


 午後三時。搬入用エレベーターの前で、空の台車を押して待った。


 業者用の待機線は、床に黄色いテープで引かれている。十一年、俺はこの線の内側から出たことがない。


 扉が開いた。


 降りてきたのは五人。装備を担いだ探索者たちの真ん中に、九条がいた。


 付き人が二人ついている。その外側に、記者らしい男が一人。


 俺は台車を押して、線を越えた。


 九条の進路の、真正面に。


 三メートル。二メートル。


 九条は俺を見ていた。見ていて、視線が通り過ぎた。


 人を見る目ではなかった。柱を見るのと同じ動き方をしていた。柱の位置を把握して、避ける経路を計算して、それで終わる。


 一メートル。


 俺は止まらなかった。


 九条も止まらなかった。


 結果として、台車の角が九条の腰に当たり、台車のほうが弾かれた。前輪が浮いて、横倒しになる。


 俺は台車と一緒に床に転がった。


 九条は歩みを緩めなかった。付き人の一人が「おい」と言ったが、九条が手を上げて制した。


「いい。急いでる」


 五人の足音が、遠ざかっていった。


 誰も俺に触っていない。


 台車が当たったのは、俺の側からだ。


   ◇


 倒れた台車を起こすのに、五分かかった。


 右手が使えない。左の肋が折れている。片手で持ち上げるたびに、脇の下で骨が鳴った。


 起こし終えてから、掌を開いた。


「鑑定」


   ・間合い喰い

   ・硬化


 二行のまま。


 当然だ。あの男は、俺を蹴らなかった。押しもしなかった。避けもしなかった。


 こちらから当たっていったのに、増えなかった。


 こっちが触っても駄目らしい。向こうが、俺に何かをしないと入らない。


 俺は台車の取っ手に額をつけた。金属が汗で滑った。


 条件が一つ減った。


 こちらから仕掛けても意味がない。待つしかない。向こうの気分次第で、向こうが手を出すのを。


 殴られるのを待つ側というのは、要するに、これまでの十一年と同じだ。


 違うのは、待っている理由だけだった。


 喫煙所の男の言葉が、頭の裏に残っている。


 覚えてもくれねえよ。


 五日前、あの男は俺の胸倉を掴んだ。掴んで、悪い、と言った。


 その相手が今日、目の前で倒れて、視線ひとつ寄越されなかった。


 嫌われてすらいない。


 俺は台車を押して、搬入口に戻った。


 契約の最終日だった。作業着を返して、ロッカーの鍵を返して、それで終わりだ。


 更衣室のロッカーは、上から三段目の右端だった。十一年、同じ場所を使っていた。扉の内側に、荷札の色分けのメモを貼ってある。第一が青、第二が黄、第四が緑。


 剥がそうとして、やめた。次に使う人間の役に立つかもしれない。


 鍵を管理室に返すと、係の人が受け取り簿にチェックを入れた。名前は聞かれなかった。番号で管理されている。


 明日から、この建物には入れない。


 最後の荷を降ろしながら、俺は頭の中で数え直していた。


 二枚。


 五日で二枚。


 どちらも、S級のものではない。


 箱を積み終えて、荷受けの判を押してもらった。判子が紙に落ちる音で、十一年が終わった。


 帰り際、地下二階の通路をもう一度歩いた。台車を置いた場所には、床に擦った跡が残っている。明日には誰かが拭くだろう。


 外へ出ると、まだ空が明るかった。六月の日は長い。


 あの男が明日どこにいるかは、たぶん調べられる。取材の予定は公開されている。


 入れなくなるのは、この建物だけだ。



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