計算が合いません
「君に、恨みごとを言うために呼んだのではありません」
三度目に会う鷹取源三は、一度目より小さく見えた。
◇
『天啓』の会長室は、十日前と同じ部屋だった。
絨毯の、俺が血を垂らしたあたりが、少しだけ色が違っている。張り替えていないらしい。
壁の写真が、また減っていた。
二十枚あったものが、いまは六枚だ。
外した跡が残っている。日に焼けた壁紙の上に、四角い白が十四個。
跡のほうが、写真より目立っていた。
「座ってください」
鷹取さんが言った。
俺は座った。十日前は、四回体当たりして床に落ちた場所だ。
◇
「あれから、うちのS級とA級が、七人辞めました」
鷹取さんは机の向こうに座っていた。
「申し出があったのが七人で、手続きが終わったのが五人です」
「なぜですか」
「いつ消えるか分からない資産に、保険がかけられません」
同じ言葉を、十日前も聞いた。
「保険が下りない探索者を、うちは現場に出せません。出して事故が起きたら、うちが全部かぶります」
「はい」
「本人たちも、そう考えています。うちにいるより、小さいところで自分の名前で仕事をしたほうが、まだ計算が立つと」
◇
「君のせいではありません」
鷹取さんはそう言った。
「制度のせいです。スキルが減らない前提で、保険も等級も序列も組まれていました。減る前提の制度が、ひとつもありません」
「ランク剥奪の条文は、ありました」
「ええ。あれ一本だけです」
鷹取さんは、机の上で指を組んだ。
「一本だけ用意して、十一年使わなかった。使わなかったので、周りの制度が全部、減らない前提で育ちました」
「俺のせいじゃないと言われても」
言ってから、続きが出てこなかった。
鷹取さんは待った。俺が続けるまで、口を挟まなかった。
「……七人辞めたのは、俺が撃ったからです」
「二人にしか撃っていないでしょう」
「はい」
「残りの五人は、撃たれるかもしれないと思って辞めました。それは君のした事ではありません」
鷹取さんは指を組んだままだった。
「君のした事は二件です。それ以外は、業界が勝手に転んでいるだけです」
慰めているのではなかった。
この人は、責任の範囲を正確に切りたいだけだ。切らないと計算ができない。
◇
内線が鳴った。
鷹取さんが受けて、短く答えた。
「お通ししてください」
扉が開いて、矢代蒼が入ってきた。
俺を見て、驚かなかった。
「お約束が重なりましたか」
「いえ。柏木さんには、同席していただきます」
鷹取さんが言った。
「私が呼びました」
◇
矢代さんが席についた。
三人で座ると、この部屋は広すぎた。
「拠出金の件です」
矢代さんが先に切り出した。
「来年度、協会への拠出金を三割減らすと通知が来ました」
「はい。国からの補助率が変わりましたので」
「理由を伺っても」
「防衛計画の前提が変わりました」
矢代さんは鞄から一枚出した。表ではなく、地図だった。
「S級十七人を前提に組んでいた配置を、十五人前提で組み直しています」
◇
鷹取さんが、その地図を見た。
しばらく見てから、顔を上げた。
「十五人」
「はい」
「まだ二人減る想定ですか」
「減らないという根拠がありません」
鷹取さんは指を組み直した。
「もう一つ伺います」
「はい」
「うちの人間で、まだスキルを持っている者がいます。私も、そうです」
「はい」
「その者たちは、計画に数えていただけますか」
矢代さんは、少し間を置いた。
「都合の悪い数字から申し上げます」
◇
「数えていません」
部屋が静かになった。
「持っているかどうかではなく、いつまで持っているかが分からないので、計画に入れられません」
「消えていない者もですか」
「はい」
「まだ何も起きていない者もですか」
「はい」
矢代さんは、そこで言い直さなかった。言い直せば柔らかくなることを、たぶん知っていて、しなかった。
「起きるかどうかが分からない、という状態そのものが、計画上は不在と同じです」
◇
鷹取源三が、初めて損得以外のことを言った。
「損得では、もう計算が合いません」
俺は絨毯の色の違う部分を見ていた。
「減った分が戻るなら、投資は回収できます。十年で回収するつもりのものが、七年で消えても、まだ計算はできます」
「はい」
「戻らないなら、これは投資ではありません」
鷹取さんは、地図を矢代さんのほうへ押し戻した。
「消費です」
◇
矢代さんは地図を鞄に戻した。
「その通りだと思います」
「国は、どう計上しているのですか」
「まだ、していません」
矢代さんは正直に答えた。
「消えたスキルをどの科目で処理するのか、決まっていません。財物ではないので、損失に計上できません。人的資源として計上する枠もありません」
「なくなったのに、なくなったと書けないと」
「はい」
◇
「では、なぜあなたはここに来ているのですか」
鷹取さんが聞いた。
「書けない数字を、私が持っているからです」
矢代さんはそう答えた。
「書式がないので、私の頭の中にしかありません。頭の中にある数字で、来年度の配置を決めています」
「危うい仕事だ」
「はい」
鷹取さんは、そこで初めて、少しだけ口の端を動かした。笑ったのとは違う動きだった。
「私は来月で退きます」
◇
矢代さんは、驚かなかった。知っていたんだと思う。
俺は知らなかった。
「判断としては、それが正しいと思います」
矢代さんが言った。
「ええ。私の判断基準は十二年変わっていません。損か得かです」
鷹取さんは立ち上がった。
「その基準で、私は九条を拾い、九条を切りました。同じ基準で、私は自分を切ります」
「後任は」
矢代さんが聞いた。
「決まっています。四十二の男です。私より数字が読める」
鷹取さんは、壁の白い四角のほうを見なかった。
「一つだけ、引き継がないことにしました」
「なんですか」
「判子です。契約書には自分で署名しろと言ってあります。判子は誰でも押せるので」
◇
俺と矢代さんが立ったとき、鷹取さんが俺のほうを見た。
「柏木さん」
「はい」
鷹取源三は、俺に向かって一度だけ、頭を下げた。
深くはない。取引先を見送るときの角度だった。
謝罪ではなかった。
何に対して下げたのかは、言わなかった。
六月に、この人は俺の病室に来て、あなたを損失として処理します、と言った。
処理は終わったんだと思う。
計上できない損失を、計上できないまま抱えて、この人は自分ごと帳簿から外すことにした。
◇
品川駅までの道を、矢代さんと歩いた。
高架下を通ると、電車の音で会話が切れる。
「鷹取さんは、来月で退かれます」
音が過ぎてから、矢代さんが言った。
「判断としては正しいです」
「あんたが潰したんですか」
俺が聞いた。
「いいえ」
矢代さんは即答した。
「あなたです。私は数字を出しただけです」
◇
俺は黙っていた。
「責めていません」
矢代さんが続けた。
「運用の話をしています」
高架下を、また電車が通った。
音が過ぎてから、矢代さんが立ち止まった。
「柏木さん。九条巽さんが、あなたに会いたいそうです」
俺は足を止めた。
「居場所は分かっています。ご本人から、私に連絡がありました」
矢代さんは鞄からメモを出した。
「行かれますか」
◇
行く理由はなかった。
返すものは、もうない。あの男から取ったものは、あの男に撃った。それで終わっている。
会って話すことも思いつかない。
あの男は、俺に何かをしたいのかもしれない。
したいなら、してもらったほうがいい。手を出されれば、一枚入る。
そこまで考えて、自分に少し寒気がした。
二か月前まで、俺は殴られないように十一年立ち回ってきた男だった。
いまは、会いたいと言われて最初に浮かんだのが、それだ。
それでも俺は、住所を聞いた。
『ブックマーク追加』と、下にある☆☆☆☆☆評価をよろしくお願いします。




