十九人が十七人
「S級は十九人でした。今は十七人です」
名刺を出すより先に、その人はそう言った。
◇
内閣府ダンジョン対策室は、霞ケ関の合同庁舎の四階にあった。
通されたのは小会議室で、長机と椅子が六つ。壁に地図が貼ってある。日本列島に六十四個の点が打たれていて、そのうちいくつかが赤い。
冷房が効きすぎていた。三十四度の外から入ると、汗が冷えて背中が寒くなる。
矢代蒼と名乗った男は、三十代半ばに見えた。スーツの生地が薄い。夏用の、量販店で買えるやつだ。
俺の右腕は、まだ包帯を巻いている。ギプスは自分で割った。骨は繋がりかけている。
「先に申し上げます」
矢代さんが座った。
「私も、該当なしです。鑑定は十一回受けました」
◇
俺は何も言わなかった。
「二〇二六年から昨年まで、毎年です。今年も六月に受けました。十二回目です」
同じ回数だった。
「柏木さんと同じ年に、同じ制度で、同じ判定を受けています。それだけは先に申し上げておいたほうが、話が早いと思いまして」
「はい」
「私はあなたを、同類だとは申しません」
矢代さんはファイルを開いた。
「同じ紙を十二枚持っている、というだけの話です」
◇
「都合の悪い数字から出します。そのほうが早く終わるので」
最初の一枚を、机に滑らせてきた。
表になっていた。年ごとに二つの数字が並んでいる。
「左が、その年に死亡した覚醒者の数。右が、その年に新しく覚醒した人の数です」
二〇二六年、四十一と三十九。
二〇二七年、百八十七と百九十。
二〇二八年、二百二十四と二百二十一。
以下、十一行。
「誤差が三件以内で一致しています。十一年、ずっとです」
俺は表を見ていた。
数字は読める。左と右が近い、ということも分かる。
それが何を意味するのかは、分からなかった。
「増えていない、ということですか」
俺が聞くと、矢代さんは首を振った。
「増えても、減ってもいません」
「はい」
「毎年、四十人死んで四十人覚醒し、二百人死んで二百人覚醒しています。総数が動いていません」
「たまたま、ということは」
「十一年連続では、たまたまと呼びません」
「偶然の確率を計算しました。出しますか」
「……いえ」
「そうですか」
矢代さんは表を裏返した。
俺はその裏返された紙を見ていた。
数字の話が終わったのに、部屋の空気が戻らなかった。
◇
「もう一枚あります」
二枚目は、S級の一覧だった。名前は伏せてある。認定年と、現在の状況だけ。
「十九人でした。今年の七月に、一人が別件で亡くなりました。もう一人が、ランク認定を取り消されました」
「はい」
「十七人です」
矢代さんは、そこで一度、水を飲んだ。
「ここからが本題です」
◇
「S級が減ったとき、この十一年、必ず一年以内に同格の覚醒者が出ていました」
俺は顔を上げた。
「十一年で、S級の死亡は六件です。六件とも、半年から十一か月のあいだに、新しいS級が出ています」
「今回は」
「一か月経ちました。出ていません」
冷房の音がしていた。
「一か月では何も言えません。過去の最短が半年ですので、統計的には、まだ何も起きていないのと同じです」
矢代さんはファイルを閉じた。
「ただ、私は待つのが仕事ではありません。配置計画を作るのが仕事です」
◇
「防衛計画は、S級の人数を前提に組みます」
壁の地図を、矢代さんが指した。
「六十四のダンジョンを、S級十九人で回していました。西日本に四人、首都圏に七人。残りが遊軍です」
赤い点が、東北と九州に多い。
「いま十七人です。遊軍が二人減りました。減った二人ぶんを、どこから引くかを決めるのが、今月の私の仕事でした」
「はい」
「引けませんでした」
矢代さんは俺を見た。
責める目ではなかった。
「引けないので、来年度の計画を十五人前提で組み直しています」
「どこを、薄くするんですか」
聞いてから、聞くべきではなかったと思った。
矢代さんは、地図の赤い点を順に指した。
「東北の三箇所。北陸の一箇所。四国の一箇所です」
「そこは」
「もともと薄いところです。薄いところから薄くします。それが一番、全体の損失が小さいので」
言い方に、迷いがなかった。
迷いがないことが、いちばん応えた。
「十五人」
「はい」
「まだ二人減る想定ですか」
「減らないという根拠がありません」
◇
俺は水のコップを持った。持って、飲まなかった。
「戸嶋主任の記録を読みました」
矢代さんが言った。
「協会から提供を受けました。私に開示する権限があります」
「……」
「非常に良い記録でした。告発が一つも書かれていません。事実だけです。誰が、いつ、どこにいて、何が確認されたか」
矢代さんは指を組んだ。
「読めば、誰でも同じ推測に至ります。ただ、記録自体は何も主張していません」
「あの人は、そういう人です」
「はい。そう思いました」
◇
「柏木さん。あなたを逮捕する法律はありません」
冷房の風が、首筋に当たっていた。
「スキルを消すことを禁じた条文が存在しないからです。傷害でもありません。誰も怪我をしていません」
「はい」
「窃盗でもありません。財物ではありませんので」
「はい」
「ですので、私はお願いをしに来ました」
「脅しじゃないんですか」
「違います」
矢代さんは即答した。
「脅すには、私があなたから取り上げられるものが要ります。ありません」
俺は自分の身なりを見た。洗いすぎて色の落ちたシャツと、包帯の腕。
通帳の残高は二十四万円で、仕事はなく、行く場所もない。
「そのとおりです」
俺が言うと、矢代さんは表情を変えなかった。
「そういう意味で申し上げたのではありません」
「わかってます」
「いえ、わかっていただかなくて結構です。私の言い方が悪いので」
◇
「運用のご相談です」
俺は水を置いた。
「運用」
「はい」
「何の」
矢代さんは、そこで初めて、少しだけ言葉を選んだように見えた。
「国内に、消えたほうがいい力が、いくつかあります」
◇
それ以上は聞かなかった。
俺が返事をしなかったので、矢代さんも続けなかった。
「今日は、数字だけお持ち帰りください」
そう言って、一枚目の表のコピーを渡された。
「次にお会いするときに、続きを申し上げます」
◇
庁舎を出ると、外は三十六度だった。
霞ケ関の歩道は、スーツの人間ばかり歩いている。作業着の人間が一人もいない。
十一年、俺が歩いてきた湾岸には、探索者と業者しかいなかった。見分けるのは簡単だった。荷物を持っていないほうが探索者だ。
ここでは、全員が鞄を持っている。
俺は歩道の脇で、渡された表を開いた。
左と右が、十一年ぶん並んでいる。
十一年、俺は死んだ探索者の私物を箱に詰めてきた。
同じ十一年、この国では毎年、誰かが新しく覚醒していた。
その二つを、俺は別々のこととして見ていた。
◇
表の一行目を見た。
二〇二六年。死亡四十一。新規覚醒三十九。
あの年の最初の一人を、俺は運んだ。
まだダンジョンという言葉が書類に載っていなくて、俺は二十八で、資材屋のバイトで、担架の後ろを持っていた。
その人の私物は、いまも保管室の最上段にある。
俺は表を折りたたんで、ポケットに入れた。
人が死ぬと、次の誰かが覚醒する。
業界の誰も、そんなことは言っていない。
でも俺は、十一年ぶん、その両方を見てきた側の人間だった。
保管室に四十一箱ある。多い年で六箱、少ない年で二箱。
あの数字と、この表の左側は、同じものを数えている。
だから何だ、という結論には行き着かなかった。行き着けるほど頭が良くない。
ただ、一つだけ引っかかったことがある。
十九人が十七人になって、一か月、新しいのが出ていない。
過去の六件は、半年から十一か月で出た。
出ていないのは、まだ一か月だからかもしれない。
あるいは。
俺が消したぶんは、数え直されていないのかもしれない。
歩道の熱が、靴底から上がってきた。
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