スキル喰い
置き場の前に、知らない人間が五人立っていた。
三人がスマートフォンを構えている。一人は三脚を立てていた。
俺がシャッターに手を掛けたところで、一人が声を上げた。
「あ、来た」
◇
三日前から、掲示板に一つのスレッドが立っていた。
『【悲報】S級九条巽、スキルが「消えた」説について考察するスレ 12』
スレ番号が十二まで伸びている。
最初は雑談だった。薬物だの、精神だの、S級の限界だの。それが五日ほどで変わった。
誰かが、六月二十一日のB級の件を掘り出した。
『先月のB級も該当なしになってる』
『名前出てる?』
『出てない。協会が伏せてる』
次に、共通点を探しはじめた者がいた。
『両方の現場に同じ業者がいたらしい』
『ソースは』
『協会の入館記録。開示請求した人がいる』
『非覚醒者だぞ。関係あるわけない』
『でも十一年ゼロだったのが二週間で二件』
議論は三日で三百レスまで伸びた。
途中で、まともな反論も出ていた。
『非覚醒者に何ができんの』
『たまたま同じ建物にいただけだろ。あの協会、一日に何百人来ると思ってんだ』
『陰謀論やめろ』
それでも、スレは伸び続けた。
伸びたのは、誰かが名前をつけたからだ。
『もうこれ、スキル喰いだろ』
その語呂がよかったんだと思う。
スキル喰い。
名前がつくと、話が動く。それまでは「六月二十一日の件と七月一日の件の共通項」だったものが、その日から「スキル喰いの二件目」になった。
翌日にはまとめサイトが拾った。翌々日には、俺の勤め先が特定された。
協会の入館記録に第三資材置き場と書いてあれば、あとは地図を見るだけだ。
◇
「すみません、少しだけいいですか」
二十代の男が、カメラを俺の顔に向けていた。
「スキル喰いって、あなたですか」
俺は答えなかった。
シャッターを腰の高さまで上げて、荷を左手で持ち上げた。
「否定しないんですか」
肯定も否定もしない。したところで、証明する方法がない。
消えました、と言っても信じてもらえない。消してません、と言っても同じだ。
鑑定機にかければ、俺は該当なしと出る。十二回そうだった。十三回目も、たぶんそうなる。
俺の掌には四行あるのに、機械はそれを読めない。
世界で唯一、俺の側の事実を証明できる装置が、俺を白と判定する。
「協会の記録だと、六月二十一日と七月一日、両方にいましたよね」
カメラのレンズが近い。三十センチもない。
男は俺に触っていない。触らないように、身体だけ後ろに残して腕を伸ばしている。
三日前から、業界の全員がそうしている。
◇
野次馬の中に、探索者が二人いた。
装備をつけたまま来ている。仕事帰りだろう。
その一人が言った。
「触るなって言われてんのに、こんな面白いのになあ」
もう一人が笑った。
「触ってないだろ。回り込むだけなら」
言い終わる前に、その男が消えた。
消えたように見えた、というほうが正確だ。
三メートル離れた位置にいた人間が、次の瞬間、俺の正面五十センチにいた。
俺の顔の前で、男が止まった。
「な、触ってない」
周りが少し沸いた。カメラが寄ってくる。
男はもう一度やった。俺の背中側に回り込んで、また正面に戻った。
二度目の風圧が、シャツの襟を動かした。
肩にも、腕にも、触れていない。触れていないのに、俺の身体は、その移動の効果の中を通された。
右の掌に、何かが入った。
入る感触は、いつも同じだ。手のひらの真ん中に、爪の先ほどの熱が落ちてくる。
◇
男は満足したらしく、笑いながら離れていった。
配信者がカメラを向け直した。
「今の、見えました? 縮地ですね。E級でも使える移動系ですけど、あの速さは相当」
俺は荷を持ったまま立っていた。
喜べない。
カメラが六台ある。
シャッターが半分開いたまま、金属が熱で膨張して軋む音を立てた。七月の午後だった。
誰かが後ろから、俺の名前を呼んだ。
「柏木さん」
配信者ではない。もっと若い、必死な声だった。
振り返る前に、置き場の中からシャッターが動いた。
◇
巻き上げ機の音がして、シャッターが下がってきた。
俺は身体を屈めて、内側に入った。
鉄の板が下まで降りて、外の音が半分になった。
峰岸さんが、操作盤の前に立っていた。
「うちは、取材は受けねえよ」
シャッター越しに、そう言った。
外で誰かが「あっ」と声を上げた。それきり、静かになった。
◇
置き場の中は暗い。切れかけの蛍光灯が、右の奥で点いたり落ちたりしている。
埃と、油と、熱せられたコンクリートの匂い。
峰岸さんが事務所からアルミホイルの包みを二つ持ってきた。
「食え」
「はい」
左手で受け取って、その場で食べた。塩が濃い。夏場の米は少し酸っぱい。九年、ずっとこの味だ。
「あんた、何かやったのか」
峰岸さんが聞いた。
九年で初めて聞かれた。
「……はい」
「そうか」
それだけだった。
どうやったのか、なぜやったのか、これからどうするのか。何も聞かれなかった。
この人は九年、俺の来歴も家族も聞いていない。聞かない人が一人だけそこにいる、というのは、思っていたより楽なことだった。
峰岸さんは自分の分を三口で食べて、包み紙をポケットに入れた。
「表、明日も来るぞ」
「はい」
「裏から入れ。鍵は事務所の三番」
「……ありがとうございます」
「飯、食え」
もう一度そう言って、事務所に戻っていった。
◇
シャッターの外で、まだ人の気配がした。
俺は台に腰を下ろして、左手で右の掌を開いた。
「鑑定」
名前:柏木湊
スキル:
・硬化
・疾走
・火弾
・縮地
四行。
二十日ぶりに増えた。
増やしたのは、俺を面白がった男だ。
触るなと言われている業界の中で、噂を面白がる人間だけが、まだ俺に何かをしてくる。
鷹取源三の通達は、恐怖では止められない層に届かない。
◇
世間は俺に名前をつけた。
スキル喰い。
よくできた名前だと思った。実際、そのとおりだ。俺は他人のものを取って、使って、消している。
ただ、一つだけ違う。
俺は喰いたくて喰っているんじゃない。
喰わせてもらわないと、何もできない。
誰かが俺を蹴るか、押すか、焼くか、回り込むかしてくれないと、俺の掌は空のままだ。
名前をつけた連中は、そこを分かっていない。俺が能動的に何かを奪う怪物だと思っている。
実際の俺は、殴られるのを待っている四十間近の無職だ。
通帳の残高は三十五万円で、右腕はあと四週間動かない。
怪物と呼ばれる人間の生活とは思えない。
ただ、名前がついたことで、一つだけ変わったことがある。
三日前まで、俺には誰も触らなかった。
今日、面白半分の一人が触ってきた。
鷹取源三の通達は、業界の内側には効く。掲示板を面白がっている人間には効かない。
通達が効かない層が、いま、この置き場の前に集まりはじめている。
◇
シャッターの向こうで、若い男の声がした。
「柏木さん。柏木湊さん」
さっきの声だった。配信者でも、探索者でもない。
名前を呼んでいる。フルネームで。
この一月で、俺の名前を呼んだ人間は三人しかいない。
四人目だった。
「柏木さん、いますよね。あの、話、聞いてもらえませんか」
声は必死だったが、脅している響きはなかった。
むしろ、謝りに来た人間の声に近かった。
俺はシャッターに近づいて、耳を寄せた。
鉄が熱を持っていて、頬が触れると熱かった。
外の気配が、一人ぶんだけになっていた。カメラの連中は引き上げたらしい。
「今日じゃなくていいんです。明日でも、来週でも」
声が続いた。
「俺、あなたに用があって来たわけじゃなくて。……いや、あるんですけど、そうじゃなくて」
言葉が整理できていない。
「言われて来たんです。で、それが嫌で。だから先に言っときたくて」
俺は答えなかった。
答えなかったのは、警戒したからではない。
その喋り方に、聞き覚えがあったからだ。
三年やって、Eのままで、と言った男の喋り方と、どこか似ていた。
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