損失として処理します
「損か得かで話しましょう。そのほうが早い」
病室に戻ると、丸椅子に老人が座っていた。
六人部屋の窓際。俺のベッドの脇に、見たことのない仕立てのスーツが一つ、背筋を伸ばして待っている。
◇
午前中は処置室にいた。
右前腕の再固定。ギプスは肘から手首までで、そこから先は指まで包帯が続いている。三角巾で首から吊るされた。
「二回目ですね」
医師は同じ人だった。十二日前に俺の指を診た医者だ。
「中手骨の骨折が治りきっていないところに、前腕が入りました。癒合がずれると、握力が戻りません」
「わかりました」
「六週間です。今度は本当に、右手は無いものと思ってください」
問診票を書き直した。左手で。
氏名、柏木湊。生年月日の欄に、一九九七年九月二十日と書いた。
書いてから、少し手が止まった。
あと三か月足らずで、四十になる。
それだけのことだった。書き終えて、次の欄に移った。
会計で八千円と少し払った。前回と同じ額だ。通帳の残高が四十五万円になった。
◇
「鷹取と申します」
名刺を出された。左手で受け取った。
クラン『天啓』クランマスター。鷹取源三。
名前は知っている。この業界で知らない人間はいない。テレビにはほとんど出ないが、業界紙には毎月出る。
「お怪我を」
「はい」
「昨日の件は、映像で拝見しました」
鷹取さんは膝の上で手を組んでいた。指の関節が太い。若い頃に何かで潰した手だ。
「単刀直入に申し上げます。九条巽の年間の稼ぎは、うちの売上の四パーセントでした」
「はい」
「それが、昨日ゼロになりました」
窓の外で、蝉が鳴きはじめていた。今年初めて聞く音だった。
「原因は分かっておりません。ただ、あの場に、業者証も探索者証も持たない人間が一人いた。それが記録されています」
俺は何も言わなかった。
否定する材料も、肯定する義理もない。
「うちの映像解析に回しました。四十七本、集まりました。報道が九本、一般の方の投稿が三十八本」
鷹取さんは指を一本立てた。
「どの角度からも、あなたが九条に触れる瞬間が映っておりません」
俺は天井の蛍光灯を見ていた。
「距離が三メートルあり、次の駒では九条が柵に当たっている。その間が、どのカメラにも無い」
「機械の不調ですか」
「四十七本、同時にとなると、そうは申せません」
鷹取さんの声は、最後まで同じ高さだった。
「解析の担当者は、九条自身のスキルが誤射したのだろうと言っております。距離を潰す力ですから、暴発すれば説明はつく」
「そうですか」
「私は、そうは思っておりません」
それきり、その話は終わった。追及もされなかった。
「柏木さん。あなたが何かをされたのか、たまたま居合わせたのか。どちらでも構いません」
鷹取さんはこちらを見ていた。責める目でも、探る目でもない。
「どちらでも、損失は同じですから」
◇
病室の他の五人は、それぞれのカーテンの内側にいた。誰も出てこない。
鷹取さんが続けた。
「協会は明日、九条の処遇を決めます」
「処遇」
「ランクの扱いです。十一年前に作ったきり、一度も使われていない条文があるそうで」
俺は天井を見た。
協会一階のロビーの掲示板を思い出した。細かい字の並びの中の、一行。
第四十一条。保有スキルの喪失が確認された場合、当該探索者のランク認定はこれを取り消す。
注記があった。適用実績なし。
「使うんですか」
「使わざるを得ないでしょうな。一件目が先月、出ておりますので」
鷹取さんは、はじめて口の端を動かした。笑ったのとは違う動きだった。
「B級が一人。名前は控えます。あれが前例になりました。前例ができると、制度は動きます」
◇
「柏木さん」
鷹取さんが立ち上がった。
立つと、思ったより背が低い。俺と同じくらいだ。
「私は、あなたを恨んでおりません」
三角巾の結び目が、首の後ろで擦れた。
「うちは慈善事業ではありません。同時に、報復事業でもありません。恨みで動くと、計算が合わなくなるので」
「はい」
「ですので、こうします」
鷹取さんは名刺入れをポケットに戻しながら言った。
「あなたを、損失として処理します」
言い方は、天気の話をするのと変わらなかった。
「悪く思わんでください。そのほうが早い」
「何をされるんですか」
聞いてみた。
鷹取さんは、椅子を元の位置に戻しながら答えた。
「何もしません」
「……」
「損失は、計上して、来期の計画から外すものです。殴り返すものではありません」
三角巾の中で、指が少し動いた。動かすと、前腕の奥が鈍く痛む。
「うちは、あなたに関わらないことにします。うちの人間にも、そう通達します」
そのときは、それが何を意味するのか分からなかった。
温情だと思ったわけではない。ただ、脅されるよりは楽だと思った。
楽だと思ったのが、間違いだった。
◇
鷹取さんが出ていって、三十分ほどして、峰岸さんが来た。
紙袋を持っている。中身は塩むすびが二個と、缶の麦茶だった。
俺の右腕を見て、何も言わなかった。前回はガムテープと割り箸で、今回はギプスと三角巾だ。それだけの違いだ。
「食えるか」
「左手なら」
峰岸さんはベッドの脇の台に袋を置いて、丸椅子に座った。さっきまで鷹取源三が座っていた椅子だ。
「箱、拭いといた」
「……すみません」
「除湿機、水が溜まってたぞ。捨てといた」
「ありがとうございます」
峰岸さんは麦茶のプルタブを開けて、俺の左手が届く位置に置いた。それだけのことを、無言でやった。
「シフト、来週から人が足りねえ」
「すみません」
「謝ることじゃねえよ。腕が折れてんだから」
峰岸さんはそれきり黙って、十分ほどいて、帰っていった。
病室を出るとき、一度だけ振り返って「怪我すんなって言ったろ」と言った。
塩むすびを左手で持って、食べた。塩が濃い。
◇
夕方、テレビが点いた。
六人部屋の共用のテレビで、誰かがニュースにした。
『S級探索者・九条巽さん、体調不良により無期限休養へ』
映像が流れた。昨日の、第一ダンジョン前。
九条が柵に叩きつけられる瞬間は、映っていなかった。カメラが振れていたからだ。
映っていたのは、そのあとだった。
九条が自分の掌を見て、開いて、握って、また開く。
音声はカットされている。
カーテンの向こうで、誰かが言った。
「なんだこれ、キレてんのか」
「疲れだろ。S級も人間だしな」
俺はイヤホンをしていなかったので、それが全部聞こえた。
誰も、正解に近づいていない。
ニュースは一分で終わって、次の話題に移った。夏の水の需要と、貯水率の話だった。
S級が一人いなくなることは、貯水率より短く扱われる。
あの男は十九人のうちの一人で、テレビの特集では左から三番目に並んでいた。並びから一人抜けても、番組は一分で次へ行く。
それを見ながら、俺は自分の右腕を見ていた。
この腕でやった。
やったことの大きさと、報道の一分が、頭の中で釣り合わなかった。
◇
消灯前に、左手で掌を開いた。
「鑑定」
名前:柏木湊
スキル:
・硬化
・疾走
・火弾
三行。
昨日まで四行だった。
一行減って、S級が一人減った。
残っているのは、B級の脚と、警備の踏み込みと、部下の火球だ。どれもS級には届かない。
俺は右腕を見た。肘から手首まで、白い。
六週間。
六週間、この手は使えない。
殴られに行くことも、できない。
いや、殴られるだけなら、腕は要らない。
立って、邪魔な場所に立てばいい。それだけなら明日からできる。
そこまで考えて、鷹取源三の言葉が引っかかった。
うちは、あなたに関わらないことにします。
うちの人間にも、そう通達します。
俺は左手で、三角巾の結び目を触った。
関わらない、というのは、触らないということだ。
蝉の声が、窓の外でまだ続いていた。
『ブックマーク追加』と、下にある☆☆☆☆☆評価をよろしくお願いします。




