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撃てば、お前からも消える 〜才能がないと切られた39歳、S級の切り札を一度だけ奪って人類最強を空席にする〜  作者: ヲワ・おわり


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10/23

返しに来ました


 取材は、一日ずれた。


 新規区画の調査が延びて、編成が上がってきたのは翌日の昼だった。予定が組み直されて、七月一日の午後四時。第一ダンジョン前。


 その日の朝、梅雨が明けた。


 十一年見てきた湾岸の空が、久しぶりに端まで青かった。


 俺は午後三時に着いて、人垣の最前列に立った。


 手には何も持っていない。


 右手は添え木と包帯のまま。左の肋は折れている。左腕には昨日の火傷が赤く残っている。


 準備したものは、何もなかった。


 一時間、そこに立っていた。


 隣に来た主婦らしい人が、日傘の位置を気にして半歩ずれた。俺の包帯が当たらないように、という気の遣い方だった。


 礼を言うと、その人は少しだけこちらを見て、それから前を向いた。


 最前列の柵は、日に焼けて塗装が浮いている。左手を掛けると、剥がれた塗料が指の腹についた。


 十一年、俺はこの柵の内側で仕事をしてきた。外側に立つのは初めてだった。


   ◇


 午後四時。


 ゲートが開いて、拍手が起きた。


 九条巽が出てきた。装備は汚れているが、疲れた歩き方ではない。カメラのフラッシュが連続で鳴る。


「九条さん、新規区画の踏破おめでとうございます」

「深度は」

「一言お願いします」


 付き人が二人、記者の列を横から抑えている。


 俺は人垣を分けて、前に出た。


 警備は俺を止めなかった。


 九条が歩いてくる。三メートル。二メートル。


 俺は、その正面に立った。


 九条の足が止まった。


 二秒。


「……ああ、あんたか」


 昨日と同じ二文字が、先に出た。


 カメラが何台かこちらを向いた。


「一つだけ、返しに来ました」


 俺が言うと、九条は笑いかけて、途中でやめた。


 俺が半歩、前に出たからだ。


 九条の間合いに入っていた。


 この男は、他人が自分の内側に入ることに慣れていない。


 記者は一メートル手前で止まる。付き人は横に立つ。ダンジョンの中でも、この男の周りは常に空いている。距離を支配する男の距離を、誰も侵さない。


 侵していい人間が、一人だけいる。


 風景だ。


 柱や、台車や、置きっぱなしのケースと同じものは、間合いの計算に入らない。


   ◇


 三十四階の会議室で、この男は俺の胸倉を掴んだ。


 あのとき、三歩ぶんの距離が消えた。


 俺は掌を握って、その一行に手を伸ばした。


 距離が、無くなった。


 九条の顔が、目の前にあった。


 カメラも、付き人も、記者も、全部が後ろに置き去りになっている。二メートルのはずの空間が、いま、ゼロだ。


 俺は右手を出した。


 包帯を巻いた、折れたままの手を。


 拳が九条の頬に届いた。


 音は、思っていたのと違った。


 肉と骨がぶつかる音は、鉄を殴ったときより軽くて、湿っていた。


 九条の身体が浮いて、ゲートの柵まで飛んだ。金属が撓んで、大きな音を立てた。


 同時に、俺の右腕が折れた。


 前腕の真ん中で、内側から何かが押し出される感触があった。指の骨は、その前に砕けていた。


 膝から落ちた。


 地面が熱かった。梅雨明けのアスファルトが、一日ぶんの熱を溜めている。


 頬をつけたまま、俺は自分の右腕を見ていた。


 肘から先が、あってはいけない角度で曲がっている。


 痛みは、まだ来ていなかった。十日前に指を折ったときも、そうだった。身体が納得するまで、少し時間がかかる。


 その数秒のあいだに、思ったことが一つある。


 もったいない、ではなかった。


 割に合った、でもなかった。


 返した、と思った。


   ◇


 悲鳴と、椅子の倒れる音と、走る足音。


「九条さん!」

「誰か、警備!」


 柵のところで、九条が起き上がった。


 早い。頬を押さえてもいない。


 目が俺を捉えた。


 S級の反射だった。俺を潰すために、距離を詰めようとした。


 九条が一歩踏み出した。


 二歩。三歩。


 普通に走っていた。


 普通の速さで。


 人間が、地面を蹴って進む速さで。


 九条の足が止まった。


 まだ五メートルある。


 九条は自分の掌を見た。


 右手を上げて、開いて、握って、また開いた。


「鑑定」


 カメラの前で、そう言った。


 何も出なかった。


「……鑑定」


 もう一度。


 付き人が「九条さん?」と近づいた。九条は手を振って止めた。


 三度目。


「鑑定」


 シャッターの音が止まっていた。


 誰も何が起きているのか分かっていない。分からないまま、全員が撮っていた。


 記者の一人が、遠慮がちに声を出した。


「九条さん、あの、お怪我は」


 九条は答えなかった。


 もう一度、掌を開いて、閉じた。


 装備を確認するときの動作だった。ベルトの締まりを確かめ、留め具の位置を確かめ、最後に自分の手を確かめる。毎回やっている手順なんだろう。順番が身体に入っている。


 最後の一つが、返ってこない。


 九条が、初めて俺を見た。


 十二日間、一度も俺を見なかった目が、正面から俺を見ていた。


「お前、何をした」


 俺は答えなかった。


 答えられなかった。


 腕の骨が折れていて、口を開くと呼吸が入ってこない。


 警備の男が二人、俺の脇を抱えた。九条は追ってこなかった。


 その場に立ったまま、掌を見ていた。


   ◇


 協会の地下二階に、医務室がある。


 処置室で、右腕を固定された。前腕の骨と、指の骨。全治六週間。


「二回目ですね」


 医師が言った。十日前に俺の指を診た医者だった。


「同じ手ですか」

「同じ手です」


 医師はレントゲンを見ながら、それ以上聞かなかった。


 処置が終わって、ベッドで横になった。


 この階は、鑑定課と同じ階だ。


 壁が薄い。廊下を挟んだ向こうから、聞き慣れた手順の音がしていた。


 装置の起動音。冷却ファン。書類の擦れる音。


 十一年、年に一度、俺が聞いてきた音だ。


   ◇


 戸嶋詩織さんの声が、聞こえた。


「判定は、該当なしです」


 九条の声が返した。


「もう一回」


 装置の音が、また鳴った。


「判定は、該当なしです」


「もう一回だ」


 三度目の起動音。


 三十秒。


「判定は、該当なしです」


 声は、一度も揺れなかった。


 二回目も三回目も、同じ速度で、同じ抑揚で読み上げられた。


 定型文だからだ。あの人は五年間、その定型文を毎日読んでいる。


 俺は天井を見ていた。


 処置室の天井は、蛍光灯が四本ある。四本とも切れていない。


 十一年、あの四文字は俺のものだった。


 缶の中に十二枚ある。仮設テントで受け取った一枚目から、四日前の十二枚目まで。


 今日から、あの男のものでもある。


 ざまあみろ、と思うはずだった。


 十二日間、そう思うつもりで動いてきた。


 実際に出てきたのは、それではなかった。


 名前のつかないものが、胸の下のあたりに落ちてきて、そのまま溜まっている。


 処置台の消毒液の匂いが、鼻の奥に残っていた。


   ◇


 廊下が騒がしくなった。


 台車の車輪の音。何人かの走る足音。


「息が浅い」

「過呼吸だ。袋、持ってきて」


 担架が通り過ぎていく気配がした。


 九条巽が運ばれていく。


 S級が。


 誰かが廊下で言った。


「何があったんだ」


 誰も答えられなかった。


 この国で、スキルが消えた記録は十一年間ひとつもない。


 一件出たのは、十日前。二件目が、今日。


 俺は固定された右腕を見た。指も、前腕も、動かない。六週間、この手は使えない。


 左手を上げて、掌を開いた。


「……鑑定」


   名前:柏木湊

   スキル:

   ・硬化

   ・疾走

   ・火弾


 三行。


 間合い喰いが、無い。


 撃った。


 二度と戻らない。俺にも、あの男にも、この世界のどこにも。


 テレビに並んでいた十九人が、十八人になる。


 それを俺がやった。


 廊下の騒ぎが遠ざかっていく。


 誰かが警備を呼び、誰かが救急に連絡し、誰かが本部に報告している。


 処置室のベッドで、俺は左手を下ろした。


 この十二日で、俺の名前を呼んだ人間は三人だ。総務の女性と、峰岸さんと、戸嶋詩織さん。


 いま、この建物にいる全員が、S級に何が起きたのかを話している。


 誰も、俺の名前を出していない。


 まだ誰も、俺のことを見ていない。


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