第8駅 駅前に畑を作ろう。
白百合駅の朝は、昨日より少しだけ暖かかった。
正確には、気温が上がったわけではない。
朝から風呂に入れる。駅前広場も片付けたから、外に出ても体が汚れることはない。それだけで、妙に身体が軽い。
「おはよう、千景ちゃん」
「おはよう」
駅舎を出ると、ひよりが待っていた。
何やらやる気がみなぎっている。肩には大きな袋を背負っていた。
「……な、何それ」
「種だよ」
「種?」
「うん」
ひよりは袋を開けた。
中には、小分けにされた袋がいくつも入っている。
豆。野菜。葉物。
いくつかは千景にも見覚えのない名前だった。
「こんなにあるの?」
「これでも持ってきたものの一部だよ」
「持ってきたってどこから?」
「前に住んでたところ」
ひよりは種袋を並べた。
「食べ物が少なくなった時でも、種だけは残してたの。育てることができれば、また食べられるから」
「……なるほど」
千景は種袋を一つ手に取った。
「保存状態も悪くない……気がする」
農業には詳しくないから、気がするとしか言えない。それでも、ひよりは嬉しがった。
「そうでしょ!」
「でも、こんな界塵が降る土地で、植物なんて育つのかなぁ」
「普通の種じゃ無理だね。けど、これは品種改良された耐灰種の種なんだ」
ひよりが小さな布袋を愛おしそうに撫でる。
「お日様の光さえあれば、界塵が混ざった土でもちゃんと育つ強い子たちなんだから。……まあ、その分お水はたっぷりあげないとダメなんだけどね」
「……すごい」
千景は感心した。
機械を直すことしかできない自分とは違い、ひよりは命を育てる術を持っている。それはこの滅びた世界において、自分の技術よりもよほど尊いもののように感じられた。
ひよりが笑う。
「じゃあ、決まり」
「何が?」
「畑を作ろう!」
千景は駅前を見る。ここ数日で掃除した広場。
その奥に、かつて貨物を扱っていた区画がある。
古い倉庫。壊れた荷台。雑草に埋もれた線路。人が使わなくなってから長い。
「旧貨物ヤード。あそこがいいかな」
千景が呟く。
「そこなら土地はある」
「本当?」
「土も残ってるはず」
「じゃあ、そこにしよう!」
ひよりの目が輝いた。千景は、少しだけ考える。
「水はどうする?」
「千景ちゃんが出るようにしてくれたじゃん」
「あれは飲み水用だよ」
「畑には使えないの?」
「ひよりちゃんのさっきの話なら水はたくさんあげなきゃいけないんでしょ。そのまま大量に使うと足りなくなるよ」
「……そっか」
ひよりは少し考えてから、にっと笑った。
「じゃあ、水も増やそう!」
「話が大きくなってきたなぁ」
「だって、そうしなきゃ野菜が育たないんだもん」
「分かったよ」
千景は工具箱を持ち上げた。
「まず土地を見に行こうか」
「うん!」
* * *
旧貨物ヤードは思った以上に広かった。
雑草。枯れた木。倒れた柵。
ところどころ、昔の線路が顔を出している。
「ここなんだけど、どう?」
「うん」
ひよりがしゃがみ込んだ。土を手に取る。指で軽くほぐす。
「……悪くない」
「分かるの?」
「土のことなら分かるよ」
「本当にすごいな」
「千景ちゃんは機械が分かる。私は土が分かる」
ひよりは得意そうに笑う。
「役割分担。ちょうどいいでしょ」
千景はその言葉を聞いて、少しだけ頷いた。
確かに自分一人なら、この土地はいつまでもただの空き地のままだった。でも、ひよりには、ここが畑に見えている。
「じゃあ、始めよっか」
「うん」
二人で作業を始めた。
まず雑草を抜く。石を拾う。壊れた金具を取り除く。
千景が古い道具を修理して、ひよりが土を耕す。
「千景ちゃん、これ直せる?」
「少し待って」
錆びた耕作用具の柄を確認する。
「刃が曲がってるんだね」
「どう。いけそう?」
「たぶん」
「また、たぶん」
「……今回は本当にたぶん。農業用の道具なんて専門外だよ」
千景は工具を取り出した。曲がった金属を叩いて角度を調整する。固定をし直す。ひよりがそれを受け取る。
「ありがとう」
「どういたしまして」
「やっぱりすごいね、千景ちゃん。欲しいものを言うと、直してくれる」
「何でもじゃないよ」
千景は苦笑する。
「でも、今のところなんとかなってるじゃん」
「それは、ひよりちゃんも動いてくれてるから」
「なんだか……」
ひよりが止まる。
「どうしたの?」
「ううん」
ひよりは少しだけ嬉しそうに笑った。
「……千景ちゃん、なんだか頼りになる旦那さんみたいだなって」
その言葉に千景は激しくむせた。
「な、何を言って……っ」
ひよりは楽しそうにコロコロと笑う。
「……半分は冗談だけど。でも、今の暮らしが夢みたいだなって思ってるのは本当だよ」
千景は彼女の言葉の意味を考える。夢だなんて、あまりに大袈裟だ。それとも彼女にとっては何か重要な意味があるのだろうか。聞こうか迷い、結局短い言葉だけを発した。
「……そんなに?」
「うん。そんなに」
千景は周囲を見る。
自分の工具。ひよりの種。
二人で耕した土。二人で運んだ石。
確かに白百合駅はもう、一人で使う場所ではなくなっていた。
以前からは考えられないと言えば、その通りだ。
* * *
昼前。小さな畑ができた。
まだ狭い。けれど、黒い土が綺麗に並んでいる。
ひよりは種袋を一つずつ開いた。
「これは育つのが早い野菜」
「そっちは?」
「少し時間がかかるやつ」
「じゃあ最初はどうする?」
「これ」
ひよりが選んだ種を見せる。
「育てやすいやつからいこう」
「失敗しにくいってこと?」
「そう」
「じゃあ、それで」
ひよりが土に小さな穴を開ける。
一粒。また一粒。丁寧に種を置いていく。
千景は、その様子を黙って見ていた。
「千景ちゃん。水、お願いしていい?」
「分かった」
千景は水を汲みに戻る。
先日復旧した給水設備から水を取り、じょうろに入れる。小走りでひよりのもとに戻る。
「はい」
「ありがとう」
ひよりが受け取り、土に水をかける。
千景は真剣な表情でその様子を見つめた。
「これで育つ?」
「すぐには無理だよ」
「そうなんだ」
「明日も水をあげなきゃ」
「……えっ。もしかして明後日も?」
「うん」
「そ、その次の日も!?」
「もちろん」
千景は少しだけ遠くを見た。
「……ひ、ひょっとして毎日ってこと?」
「毎日だよ」
それを聞いて千景は、妙な感覚になった。
今まで自分が直してきたものは、直せば終わるものだった。
電気。水。配線。設備。
壊れたものを直して、動けば終わり。
でも、畑は違う。植えたら終わりではない。
毎日、水をやる。様子を見る。育つまで待つ。
ひよりは、その先の時間を見ている。
「……気が長いね」
「畑って、そういうものだよ」
「私には向いてないかも」
「でも、毎日一緒に水をあげてくれるでしょ?」
ひよりが聞いた。
「……わ、私もやるのか」
「やってくれないの……?」
ひよりが上目遣いで見つめてくる。
「……や、やるよ」
「じゃあ、大丈夫だ」
ひよりは快活に笑った。
その時、YURIの声がした。
『システム上で新しい区画を設定することを推奨します』
「そんなことできるの?」
『可能です。今回は旧貨物ヤードの一部を農業区画として登録することができます』
「じゃあ、お願い」
『登録しました!』
小さな電子音が鳴る。
『白百合駅・農業区画第一号です!』
ひよりが嬉しそうに両手を広げた。
「畑ができた!」
「まだ小さいけどね」
「最初はこれで十分」
ひよりは植えたばかりの土を見つめる。
「ここから増やしていけばいいんだよ」
千景はその言葉を聞きながら、駅舎を見る。
食事。寝床。風呂。そして、畑。
少しずつ駅に生活が増えていく。
* * *
夕方、二人は駅前のベンチに座っていた。
ひよりは畑の方向を眺めている。
「芽が出るの楽しみだね」
「……うん」
「畑が大きくなったら、何を作ろうかな」
「先の話だね」
「先の話だからいいんだよ」
ひよりが笑う。
「明日も、明後日も、この駅にいるって思えるから」
千景は黙った。
昨日までなら、そんなことを考えることはなかった。でも、今は明日の予定がある。
畑に水をやる。風呂を使う。部屋を片付ける。朝ご飯を食べる。
少しずつ生活ができていく。
「……でも」
千景は畑を見る。
「水が足りないな」
「やっぱり?」
「今の設備だと、飲料水と生活用水で精一杯」
「畑に毎日使ったらマズいってこと?」
「うん。そのうちなくなる」
「じゃあ」
ひよりが千景を見る。
「次は、水もどうにかしなきゃね」
「……うん」
千景は工具箱を見下ろした。駅舎のスピーカーから、YURIの無機質な音声が響く。
『駅務管理者様、新規配管ルートの設計を支援しますか?』
「……お願い、ユリ。なるべく早く水を増やしたい」
ひよりが、その隣で驚いたような顔をする。
千景の返答には、以前のような面倒臭さは微塵もなかった。ひよりが植えたあの小さな種から、無事に芽が出るのを見てみたい。ただ純粋にそう思い始めていた。
その理由を、千景は少しだけ理解し始めていた。
畑があるから。ここに、明日があるからだ。
そして、その明日を一緒に迎える人が、隣にいるからだった。




