第4駅 初めての朝ご飯。
白百合駅に流れる朝の時間は、昨日までとは少しだけ違っていた。
水がある。電気がある。そして、人がいる。
「ちょっと待ってね、千景ちゃん」
ひよりはそう言うと待合室の隅で何かをし始めた。小さな箱を床に置き、その中身を並べている。
「何するの?」
「朝ご飯だよ」
「……朝ご飯?」
「うん」
ひよりが笑う。
「せっかく水が出るようになったんだから、ちゃんとしたご飯を食べようよ」
「保存食ならあるけど……」
「ノンノン。それじゃあ味気ないでしょ。ちょっとだけ手を加えます」
ひよりは胸を張った。
箱の中から取り出したのは、乾燥野菜、保存米、缶詰、それから小さな調味料の瓶だった。
「こんなの持ってたんだ」
「別に全部、私が育ててたわけじゃないよ」
ひよりは少し照れたように笑った。
「前にいたところで集めたの。種とか食べ物とか。使えるものは取っておく主義だから」
「おお。合理的」
「千景ちゃんに言われると、なんかすごく褒められてるって気がするな」
「すごく褒めてるよ」
「え?」
ひよりの手が止まった。
「え、えっと」
「ごめん。声、小さかったかな。……ひ、ひよりちゃんって合理的な考え方ができるし、ちゃんと計画的に行動する人なんだね。私、そういう人のこと尊敬するな」
「へ!?」
ひよりの頬が赤くなる。
「……あ、ありがとう。嬉しい」
ひよりは頬を赤らめたままぎこちなく言う。
千景は、その顔を見て首を傾げた。ただ正当な評価を述べただけなのに、何がそんなに嬉しいんだろう。
「じゃあ、千景ちゃん。そこ座ってて」
「私も手伝うよ」
「いいよ」
「でも」
「今日は私が作りたいの」
「……分かった」
千景は少し離れた場所に座った。
ひよりが食材を広げる。
乾燥させた野菜を水で戻す。保存米を鍋に入れる。缶詰の中身を少し加える。
昨日までなら、千景はそんな光景を見ることはなかった。
一人で食べる。必要なだけ食べ、空腹でなくなればそれで終わり。
食事はそういうものだった。
けれど今は、目の前で誰かが料理をしている。
包丁の音がする。鍋から湯気が立つ。
駅舎に、少しずつ匂いが広がっていく。
「……いい匂い」
「でしょ?」
「本当に料理、できるんだ」
「できるよ。得意だって言ったでしょ。私、こう見えて生活力あるんだから」
「そうなんだ」
「そこはもっと驚いてよ」
冗談めかして言うひより。それを聞き、千景は少し考えた。
「じゃあ、すごい」
「急に棒読み!」
ひよりが笑う。千景も、ほんの少しだけ笑った。
「さっきはすっごい良い感じに褒めてくれたのに」
「さっき? ああ……」
千景は視線をさまよわせながら思考する。先ほど、ひよりの合理性を評価したようなことをもう一度言えばいいのか。
「……ひよりちゃん、料理が上手くてすごいな。私にはできないからとても尊敬する。ひよりちゃんなら、きっと将来は良いお嫁さんになれるよ」
ひよりが、お玉を取り落とす。その頬は紅潮していた。
「……千景ちゃん。心臓に悪いから、料理中はやめてね」
「よ、よく分からないけど分かった……」
千景は首をひねる。会話というのは本当に難しい。
ひよりがそのまま煮込み続けると、やがて小さな鍋の中身が完成した。
「できたよ!」
ひよりが器に盛る。
簡単なスープ。乾燥野菜と豆、それから少しの保存肉。
それだけだ。けれど、ここ何年も保存食をそのままかじるだけの生活をしてきた千景にとっては御馳走に見えた。
「……いただきます」
千景は箸を取った。
「いただきます!」
ひよりも向かいに座る。
二人で食べる。
静かだった。
外では風が吹いている。
壊れた窓の隙間から、冷たい空気が少しだけ入ってくる。
でも、目の前には、湯気の立つスープがある。
向かいには、ひよりがいる。
「……どう?」
ひよりが聞いた。
「おいしい」
「ほんと?」
「うん」
「よかった!」
ひよりは嬉しそうにスープを口に運ぶ。
千景ももう一口食べる。
――思ったより悪くない。一人で食べるよりずっと、いい。
千景は、そんなことを考えていた。
自分でも、少し驚く。
誰かと一緒に食事をするなんて、面倒なだけだと思っていた。
会話をしなければならない。食べる速さを合わせなければならない。何か気の利いたことを言わなければならない。
そういうものだと思っていた。でも、ひよりは自分にそういうことを求めてはこない。
「千景ちゃん。今日はこの後、何する?」
「……修理かなぁ」
「じゃあ、私も手伝う」
「危ないこともあるよ」
「できることだけやる。本当に大変そうなのは千景ちゃんに任せるから」
「……うん。分かった」
どうやらそれだけの会話でいいらしい。
千景は、もう一口スープを飲んだ。
やっぱり思ったより悪くない。むしろ、少しだけ楽しいのかもしれない。
* * *
「じゃあ次は、寝る場所だね」
朝食を終えると、ひよりが立ち上がった。
「……そうだった」
千景は忘れていた。
「千景ちゃんって普段どこで寝てるの?」
「一応、寝るスペースは確保してるからそこでかなぁ」
「千景ちゃんの部屋があるんだ。見てみたい!」
「別に見るほどのものじゃないけど」
「いいから」
ひよりに押されるまま、千景は旧駅長室へ向かった。
古い机。工具箱。部品の入った箱。鉄道関係の資料。予備のバッテリー。
折り畳み式の簡易ベッド。そして、その上に置かれた毛布。
「こ、これは……」
ひよりが絶句した。
「どうしたの、ひよりちゃん……?」
「千景ちゃん。これ、寝室じゃなくて物置だよね?」
「……ね、寝られはするから」
「そういう問題じゃないよ!」
ひよりが部屋を見回す。
「ベッドの横に工具箱あるし!」
「すぐ使うから」
「その隣は部品だし!」
「必要だから」
「天井には穴が空いてるし!」
「そこは……あとで直す」
「窓も割れてる!」
「……直す予定」
ひよりは頭を抱えた。
「よくこれで寝てたね」
「慣れてるから」
「慣れちゃ駄目だと思う」
「でも、一人なら何も困らないし」
千景がそう言うと、ひよりは少しだけ黙った。それからおもむろに言う。
「じゃあ、二人なら困るね?」
「……二人?」
「私もいるから」
千景は部屋を見渡した。
確かに、彼女の言う通りだ。
昨日まで、何も考えなくてよかった。
自分が寝られれば、それでいい。でも、今は誰かがいる。
誰かと暮らすなら、このままではいけないのかもしれない。
「部屋、分けた方がいいよね……?」
「うん。千景ちゃんと暮らすのは全然嫌じゃないけど、自分の部屋はあった方がありがたいかな」
どこか照れ臭そうに言うひより。
彼女の答えを聞き、千景は考える。
「空いてる部屋は……」
駅務室。待合室。旧宿直室。資料にはそれらの部屋が書かれている。
「旧宿直室がよさそう」
「本当に?」
「掃除すれば使えると思う」
「じゃあ、そこにしよう」
ひよりの表情が明るくなった。
「私、掃除する!」
「分かった。私は壊れてるところを直す」
「うん」
千景は工具箱を持ち上げる。ひよりは箒を手に取る。二人で部屋を出る。
ふと、千景は後ろを振り返った。
昨日まで、あの部屋はただの寝床だった。
今日からは、誰かと暮らすための空間にある『自室』に変わるのだ。
また、ほんの少しだけ『家』に近づいた気がした。
その時、YURIが背後から言った。
『現環境は居住には全く適していません。改善を推奨します!』
「……今からやるところなの!」
『申し訳ありません!』
ひよりが笑う。
「ユリ、千景ちゃんよりしっかりしてるね」
「こいつ、普段はポンコツなのに……!」
白百合駅の中に、また笑い声が響いた。
次に直すのは寝る場所だった。




