第13駅 二人で帰るには、少し遠い。
旧資材集積所の中は、思っていたより広かった。
天井の一部は崩れている。床には土と瓦礫が積もっている。けれど、棚のいくつかは、まだ原形を保っていた。
「……これは使える」
千景は、古い配管を一本持ち上げた。
「こっちも」
ボルトの入った箱。配線の束。交換用の金具。照明器具。簡易ポンプの部品。どれも白百合駅なら役に立つ。
「こんなに残ってるんだね」
ひよりが言った。
「うん」
「じゃあ、持って帰れるだけ持って帰る?」
「だね。使えそうなものはできるだけ持ち帰ろう」
千景は荷物をまとめ始めた。
まず配管。次にボルト。電線。フィルター。工具。
想定以上に量が多い。
千景は荷物を持ち上げた。なんとか運べそうだ。
「……さすがに重いな」
「千景ちゃん、積めるものは私の荷車に積んでよ。そのために私がいるんだから」
「じゃあ、これを……」
千景が悩ましげな表情で小さな箱を一つだけ手渡そうとする。ひよりは思わずズッコケた。
「そうじゃなくて! 荷車に積める分は全部!」
「ひよりちゃんに荷物を持たせるのは申し訳なくて……」
「なんでそんなことを気にするの。大丈夫だから。私も千景ちゃんと同じ荷物を持ちたいの!」
千景はそれでも少し悩んだ。
「……なら、お願い」
「オッケー。任せて!」
それだけのことなのにひよりが嬉しそうに笑う。荷物を受け取ると、丁寧に荷車へ積み込んでいった。
* * *
倉庫の奥には、大型の設備らしきものまで残っていた。
「あれは何だろう……?」
千景は近づいた。古い銘板を照らす。
そこには『簡易資材保管・整備ユニット』と書かれていた。その下に小さく『近隣駅への補修資材供給を目的とする』とある。
千景は息を吐いた。
「……これ」
単なる倉庫ではない。もしかすると、この施設そのものを使えるかもしれない。
資材を駅に持ち帰るだけではなく、ここを――。
「資材倉庫にできる」
千景は、そう呟いた。
ひよりが困惑したような声をあげる。
「どういうこと?」
「ここ、資材を保管しておいて、必要なものだけを他の地点に移動させる設備みたい」
「えっ、すごいじゃん。じゃあ、ここを使えたら」
「白百合駅の資材置き場として運用できる」
千景は設備の状態を確認する。
電源は落ちている。けれど、完全に壊れてはいないようだ。
「もっと詳しく調べたいけど、この場では難しいな。……これ、持って帰れないかな」
「だいぶ大きいよ?」
「本体は無理だろうから制御部分だけ外して持ち帰ろう。調べて駅で使えるようにする」
「できるの?」
「たぶん」
「またたぶんだ」
「……本当のたぶんだよ。こんなの初めて見るんだもん」
ひよりが笑った。
「じゃあ、頑張って。私には応援することしかできないから!」
「うん」
千景はしゃがみ込み、作業を始めた。
古いカバーを外す。配線を確認。端子を一つずつ記録する。
「何かできることがあったら言ってね」
「うん。……じゃあ、青いタグのやつ」
ひよりは少し迷ってからそれらしきものを手渡す。
「これ?」
「そう。ありがとう」
「どういたしまして」
作業が続く。
気づけば二人はほとんど言葉を交わさなくなっていた。でも、その沈黙は、駅前で作業したときと同じだった。
何をすればいいのか、もう分かっている。
千景が修理する。ひよりが支える。
必要になれば、ひよりが言われる前に道具を渡す。
「……ひよりちゃん」
「このレンチ?」
すっと渡される。
「……あ、ありがとう」
千景は少しだけ驚いた。
「どうしたの?」
「いや」
何でもない。
ただいつの間にか隣にいる人を信頼して作業している。
それが少し、不思議だった。
* * *
全ての作業を終え、外に出る。空の色が変わっていた。
「……白い」
ひよりが空を見る。
来た時より、界塵が濃い。空は白く霞み、太陽の光は遮ぎられている。
「帰ろう」
千景は荷物を背負い直した。
「うん」
二人で歩き始める。
けれど、途中から妙な感覚があった。
道が少し違って見える。
さっき通ってきた場所のはずなのに曲がり角の位置が、微妙に違う。
「千景ちゃん」
「うん」
「ここ……来た道で合ってる?」
「たぶん……」
千景は地図を見る。端末の画面がちらついている。
「界塵の影響で、位置情報が安定してない」
「じゃあ、どうする?」
「駅の方向は分かるからそっちに歩き続ければ着くはず」
方位を確認する。
「こっち」
二人で進む。
しばらくして道の先に見覚えのない建物が現れた。
「……こんなのあった?」
「なかったはず」
千景が立ち止まる。
建物は古い。けれど、さっき来た時にはなかった。
「これ……」
ひよりが小さく言う。
「境界現象かも」
――境界現象。界塵の影響で空間が不安定になり、本来そこに存在するはずのない地形や異常気象が生じる状態だ。境界現象が起きている間は異常生物も発生しやすくなる。
こんな状態で、重い資材を積んだ荷車を引いて三キロの道のりを帰るのは容易なことではない。境界現象によって変化した地形で足を取られて動けなくなるかもしれないし、音や匂いで異常生物を引き寄せてしまうかもしれない。
だが、千景は余計なことを言わなかった。
「急いで戻ろう」
二人で駅までの道を引き返す。
白い灰が舞っている。視界が悪い。地図も役に立たない。
「……このまま真っ直ぐでいいのかな?」
『位置情報の誤差が……拡大しています……』
YURIの音声が端末から途切れ途切れに聞こえる。
『警告。……周辺の界塵濃度が危険域に……達しつつあります。早急に屋内へ退避することを……推奨します……』
千景の胸元の端末から、YURIがアラートを発する。
「ユリ」
『……現在……白百合駅……方位……』
通信が切れた。
千景は周囲を見渡す。どれだけ歩き続ければ駅に着くのかも分からない。
――自分のせいだ。資材集積所で時間をかけすぎた。
千景は初めて本気で焦った。
ひよりが不安そうに千景の袖をぎゅっと掴む。
「千景ちゃん、どうしよう。荷車、置いてく……?」
「……ダメだよ。これを置いていったら、駅の防衛が強化できない。昨日の夜みたいな不審な接近があったら、次こそ本当に危ない」
千景の脳内で、猛烈な速度でシミュレーションが行われる。
荷車を引く速度では、安全圏である白百合駅に辿り着く前に界塵に飲まれて完全に立ち往生することになる。
かといって、荷物を捨てて二人で走って逃げれば、駅を守る手段を失う。
答えは、一つしかなかった。
「……ひよりちゃん」
「え?」
千景はひよりの肩を掴み、真剣な目で見つめた。
いつもは目を逸らしがちな千景が、真っ直ぐに自分を見据えていることに、ひよりは息を呑む。
「ひよりちゃんは、身軽な状態で先に駅に帰って」
「……何言ってるの、千景ちゃん!」
「この荷車を引きながら二人で進むのは時間がかかりすぎる。私がこの荷物を引いて後から行くから、ひよりちゃんは先に戻って待ってて」
それは、千景なりの合理的な判断だった。
身軽な人間が一人でも先に安全圏に到達する。千景は遅れても、必ず荷物を持ち帰る。
だが、その言葉の意味を理解したひよりの顔が、さあっと青ざめた。
「そんなのダメだよ! 千景ちゃん一人で、こんな重いもの引きながら、この界塵の中を歩くなんて!」
「私は駅の周りの地形は把握してるし、いざとなれば一人の方が逃げやすいから。お願い、ひよりちゃん」
「嫌だ! 一人で危ないことしないって約束したじゃん!」
「私にとって一番困るのは、ひよりちゃんが帰れなくなることなんだよ……!」
千景の強い声が、界塵の風を切り裂いた。
ひよりは目を見開き、言葉を失う。
千景は、今まで何かを失うのが怖いと思ったことはなかった。最初から一人で、誰もいなかったからだ。
けれど今、この手にある温もりだけは、絶対に失いたくなかった。
「……お願い、ひよりちゃん。駅で待ってて。そんなに遅くならないから。せいぜい十分か二十分か、それくらい」
千景はひよりの背中を強く押す。ひよりはすぐに立ち止まろうとしたが、千景がその背をまた押した。
ひよりは俯いたまま荷車の上に小さな包みを置いた。
「……これ、お弁当。帰ってこなかったら絶対に許さないからね」
それだけ言うとひよりは歩き出す。何度か立ち止まって振り返っていたが、やがて先に進んでいった。
それを確かめると、千景は重い荷車の持ち手を握りしめる。
吹き荒れる界塵の向こう側、見えない白百合駅に向かって、千景は一歩を踏み出そうとしていた。




