早過ぎだろ
『――どう思います?』
「いや、ないわ」
『ですよね』
丸川さんに問われ、即答する。
昨今色んな会社が出社回帰していっているのはニュースにもされていたし、俺も知っている。
数年前のパンデミックの影響でリモートワークに切り替えたのを戻そうとしているらしい。
しかし、動画の中で須藤さんが挙げていた大企業達は、自社でサービスを展開している所ばかりだ。
自社サービスの成長には議論が要る。
だから、効率的に議論を行う為に同じ場所に集まった方が良い。
それは理解できる。
一方でうちの会社はと言うと、議論はどちらかと言うと顧客とする事が多く、それは結局リモートで行うのだ。
会社に行った方が効率がいい事なんて、俺には大して思いつかない。
「エンゲージメントを上げる為に出社するってどういう事だ?」
『後から聞いたんすけど、会社に来たら会社が好きになるだろうって事らしいっすよ。知らんけど』
まったく意味が分からない。
逆に言えば、会社に来ないから会社を好きにならないって事か?
どうしたらそういう思考に到れるのか。
「しかも何するかは各々で決めろって?」
『みたいっすねー。案件稼働してない人達だから、お勉強の計画でも立てさせられるんすかね?』
学校でも開くのか、と思って笑いが込み上げる。
何の為に何をするのか。
それが何一つ決まらないまま、出社させる事を決めた。
少なくとも俺にはそう受け取れた。
具体的な目的意識も何もなく、ただ周りがそうしてるからうちもそうしようなんて。
そんな小学生みたいな、と可笑しくなってくる。
『まぁとりあえず俺は案件入ってるんで、今の所関係はないんすけど』
「うん、俺も」
ひとまずは、関係ない。
ただ、今後もずっと関係ないかと言われると、そんな事もない。
常に案件がとれる保証なんてないのだから。
――つまり、いつ対象になってもおかしくない。
ふと、人事異動の話を聞いた時の記憶を手繰る。
……いや、まだ実害が出るとは限らない。
要は仕事が途切れない状態を作り出せば良いのだ。
仕事なんて、探せばいくらでも作り出せる。
案件を取りにいく為の提案作成やら、仕事を回す為の仕組み作りやら。
新しいチームを発足して、それをやれる立ち位置を得ればいい。
この間話した新しいチームマネージャーも遠方だ。
そう考えれば、対象になる可能性はかなり抑えられる。
……チームマネージャーとは相談しておいた方が良さそうだけど。
『うちの方、ヤバい事になってますよ』
「ヤバいって?」
『いやほら、うちって案件入れてない人多いじゃないっすか』
「あぁ……」
確かに。丸川さんのいる、俺が元いた課は、短期で終わる仕事が多い。
だから当然、案件の狭間が多く生まれる。
強制出社対象者が、かなりの人数になるという事だ。
『何か一部では、内部通報祭りになりそうな予感っす』
「へぇ……まぁそれなら大丈夫かもしれないな」
祭りの規模がどの程度に膨れ上がるのかは分からないが、そんな事になってはしばらく推進は押し留められるだろう。
少なくとも、何らかの形で納得のいく状態に持って行かざるを得ないはずだ。
とりあえず様子を見ようと話して、通話を終えた。
『それでは、アナリティクスイノベーション課の定例会議を始めます』
7月1日。昼前に予定された定例会議が始まった。
……というかこの会社、本当に会議好きだな。
画面上は皆カメラもOFFになっていて、マイクもミュートになっているから、発言者の声しか聴こえない。
もしこれがオンラインではなくて出社で行われていたら、ざわざわと喧しいだろうと思えるくらいの人数である。
『まず初めに、本日付けで課長に就任されました久利生さんから……え、先にこっちですか? 分かりました。えーと、その前に海藤役員よりお話を頂きます』
役員?
課の会議に課長より上の役職の人が出てきた事なんて今までなかった。
何の話だろう、と耳を澄ます。
『えー、海藤です。すみませんが初めに少し時間を頂きます。えーと、ですね。先日須藤新部長から一部に展開された出社回帰の件についてです』
役員の顔は見た事があった。前に部署の全体会議で説明していた人だ。
何と言うか、画面越しなのに妙な圧を感じる。
こちらを押さえつけるというよりも、近寄り難いというか。
出社回帰の件と聞いて思わず身構える。
『あちらですが、上層部で議論した結果、撤回する事になりました』
……おぉう。
撤回早っ。まだ発表から1週間経ってないぞ。
そりゃそうだろうなとは思っていたから驚きはしない。
むしろこの程度の事も考えていなかったのか、という方が気になった。
『経営側でも改めて精査しましたが、我々の方では出社を強制したい意図はありません。リモート前提で入社されている方もいます』
海藤役員はゆっくりと、言葉を選ぶように続けていく。
『ですから、出社や出張、客先対応もですね。あくまでも必要に応じて対象者に相談し、その必要性についてもしっかりと説明して納得して頂いた上で、対応頂きたいと思っています』
入社面接時のやり取りを思い出す。
あの時も、猪田課長は同じ事を言っていた。
一応経営側の意図としても同じだったのだと認識する。
――そして須藤新部長は、そんな経営側の意図を考えずに展開をしたのだ、とも。
『――それでは改めて、課長に就任された久利生さんからお話を頂きます』
『久利生です。これまではマネージャーとして――』
新課長の挨拶は無難に終わり、いつもの連絡事項が伝えられて、定例会議は幕を閉じた。
その翌日。ポーンと突然通話窓が画面に開いた。
名前を見ると、丸川の文字。
「よっす」
『おぃっす、早かったっすねー、乱の収束が』
「乱?」
『あぁ、こっちでは今回の事、須藤の乱って呼んでるんすよ』
乱か。言い得て妙だな。
あちらの課でも役員が出て行って、撤回発言がなされたらしい。
『いやー……まさか1週間もかからないとは』
「俺もそれ思った。早過ぎだろ」
『完全に須藤さんの暴走だったんすねー。あれだけ内部通報されたらそりゃあ早めに動かなきゃまずいと思ったんでしょうけど』
あぁそう言えば。内部通報祭りがどうとか言っていたな。
「そんなにしまくったの?」
『そりゃあうちは対象者も多かったですし。7割ぐらいはしたんじゃないすか? 内部通報のテンプレートが全体チャットに貼られてましたもん』
「うひぃ」
そんなにか。
……まぁ俺も、自分が対象になってたら同じ事をしたんだろうとは思うけど。
『これでしばらく大人しくなりますかね?』
「んー、そうなったらいいなとは思うけどね」
今回役員まで出てきた事は、部長にとっては苦い体験になっただろうと思う。
それが足枷になって、より慎重に物事を進めるようになってくれれば良い。
――とは、思うのだが。
「どっちにしろ警戒しておくに越した事はないよ」
『そうっすかね?』
今回の一件で再確認した。
須藤部長は、変わっていない。
やはり、警戒しておかなければならない。
「今回は撤回されたけど、部長を選ぶのは役員でしょ?」
『あー、それは確かに』
一見、役員が事態を収めたので、経営陣はまともそうに見える。
けれど、須藤さんを部長に据えたのも――役員なのだ。
『あーでも良かった。もし出社しろって言われても、うちめちゃめちゃ遠いんですよねー』
「まぁ君はね」
丸川さんは地方に在住している。
流石に遠方の人に関東の事務所まで来いとは言わないと思うけど。
「あ、そう言えばこないだこんなニュース見たんすけど――」
丸川さんの話が横道に逸れていき、俺はそれに付き合いながら雑談を続ける。
――いずれにせよ、安心はできない。してはならない。




